オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

ブログ開設5周年/PHoF移転資金目標額達成/アマゾニアン(Sega, 1978)

2021年02月28日 12時51分48秒 | その他・一般
2016年2月28日に開始した拙ブログは、本日を以て開設5周年を迎えました。

調子に乗ってバーチャル記念メダルなんてものを作成してみたりして。

拙ブログを始めたことで、海外を含む多くの方々がお声がけくださり、貴重な情報や機会をご提供いただきました。かつては息切れして更新が滞ることもたびたびありましたが、ここ数年は最低週1回更新の目標を(内容の質はともかくとして)概ね達成できております。これも偏にご高覧くださる皆様のご支援、ご声援に助けられての結果です。本当にありがとうございます。最近はコロナ騒ぎでネタを拾ってこれないのと、またもや少しスランプ気味で、次のネタがなかなか出てこないのですが、まだまだ頑張って行きたいと思っておりますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

話はガラッと変わりますが、前回の記事「貴重なゲーム遺産施設の存続にご寄付のお願い2件」で取り上げた2件のロケーションのうちの一つ、ラスベガスの「Pinball Hall of Fame」は、クラウドファンディングの目標額20万ドルに達したとの報告を、facebook他で行いました。ワタシが最後に見たときの寄付金総額はまだ13万ドル程だったのですが、匿名で7万9000ドルもの大口の寄付があったとのことです。


PHoFがfacebookで公表した目標額達成の報告。

今やラスベガスのアイコンの一つとなっている同所のこのニュースはラスベガス・レビュージャーナルをはじめマスコミ各社も取り上げました。あとは、いつCovid-19が終息してくれるかです。

今回は短いので、この機会に、一つの記事に取り上げるには足りない「想い出のゲーム」ネタをひとつご紹介しておこうと思います。


アマゾニアン(Sega、1978)のフライヤーの表と裏。

アマゾニアン(セガ、1978)は、4人用のガンゲームです。この機械が画期的だったのは、プラスチックの弾を自動的にロードして本当に撃ち出すことと、もう一つ、銃を的に向けないと弾が出ない「マジック・セーフ」機構が備えられているところでした。ワタシは、わざわざ「マジック・セーフ」が本当に機能するかどうかを確かめるために100円を投じて遊んだものでした。そのくらい、当時は機械が光を認識して機能するということが不思議で物珍しいことだったのです。

ワタシはアマゾニアンを、都立大学駅前にあった「マジックランド」(関連記事:ゲーム場チェーン「マジックランド」の記憶)
https://blog.goo.ne.jp/nazox2016/e/1187f654c31489411cdc323dab8583c0
というゲーセンでしか見たことがありません。もともとが大型で相当の設置面積を要することと、ほどなくしてスペースインベーダーの歴史的大ヒットによりビデオゲームブームが到来し、ゲーム施設のインベントリーがほとんどビデオゲーム(しかもテーブル筐体)で占められるようになったことも、あまり普及しなかった理由ではないかと想像しています。

【緊急】貴重なゲーム遺産施設の存続にご寄付のお願い2件

2021年02月21日 20時29分52秒 | その他・一般
ピンボール・ホール・オブ・フェイム(PHoF)」と言えば、ピンボールファンなら知らぬものは無いと言っても過言ではない、ラスベガスにあるピンボールの聖地で、拙ブログでもこれまで何度か触れています。
そのPHoFが、現在地からストリップ沿いに引っ越すという計画が発表されたのは、2018年半ばの事でした(関連記事:ピンボール・ホール・オブ・フェイム(ラスベガス)、移転か?)。

その後、なかなか動きが無かったのですが、昨年の春に、やっと計画が本格的に動き出されたことが明らかにされ、ファンに期待をもたらしました(関連記事:新PHoF、いよいよ始動!)。

しかし、折り悪くコロナウィルスによってラスベガスにやってくる観光客がほとんど完全に途絶えたため、当初の財政計画では建設費用が捻出できないという事態に追い込まれています。

建物はほぼ完成しており、現在の場所からは5月6日までに出ていかなければならないとのことで、このままでは、リーマンショック時に多数発生した新築の廃墟の一つに新PHoFが仲間入りしてしまいかねません。そこでPHoFは、不足が見込まれる移転費用を調達するクラウドファンディングを募っています。拙ブログをご高覧下さっている皆さんにも、よろしければご寄付のお願いをしたいと思います。

Pinball Hall of Fame Las Vegas needs HELP!


***************************

もう一件、こちらはニューハンプシャー州にある「American Classic Arcade Museum」も、コロナウィルスのため、運営資金調達のための活動ができなくなり、存続の危機に立たされています。こちらは、ワタシは行ったことが無いのですが、アーケードゲームの歴史を残そうと奮闘されているNPOですので、協力させていただきました。皆様におかれましては、できましたらこちらへのご支援もお願いいたします。

2021 Fundraiser for The American Classic Arcade Museum


どうぞご一考いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971)

2021年02月14日 17時35分53秒 | ピンボール・メカ
日本で、ポップバンパー(関連記事:ピンボールのアートワークの話(番外):Gottliebのもう一つの独自性)を備えた本格的なフリッパー・ピンボールが登場するのは、1971年セガが製造した「ウィナー」、「カーニバル」、「サッポロ」の3機種からです。今回はこれらの中から「カーニバル」のフライヤーをご紹介いたします。




セガ「カーニバル(1971)」のフライヤーの、表紙(上)と裏表紙(下)。

表紙は、ページの半分ほどの幅で見開きとなるように折り畳まれています。その部分を開くと、筐体の画像と遊び方の説明が現れます。


フライヤーの折り畳まれた部分を開くと、筐体と遊び方が見開きで現れるが、開かれた外側に書かれている、表紙側の「パチンコの」に続くコピーが見えなくなるので、この画像だけでは構成が間違っているかのように見える。

バックグラスの右側にはパチンコのような装置があります。「インターネット・ピンボール・データベース(IPDB)」では、このようなフィーチャーを「バックボックスのバガテル(bagatelle in backbox)」と呼んでおり、60年代半ばから終わりにかけての米国製ピンボール機では時々見られる機構でした。また、筐体部分をよく見ると、1971年当時のゲーム料金は、1ゲームは30円ですが、50円硬貨を投入すると2ゲームできるのが相場であったことがわかります。



見開きの筐体部分の拡大図。画像は、なるべく大きく表示できるよう上下に2分割してある。



見開きのプレイフィールド部分の拡大図。こちらもなるべく大きく表示できるように上下2分割してある。

この「カーニバル」に限らず、70年代のセガのポップバンパーは、米国製の一般的な機構とは一線を画す、かなり特殊な造りをしていました。どういう造りになっているのか、今でもよく理解できません。セガと似た外見のポップバンパーは、関東電気工業が1972年頃に製造した「Tarkey Bool」(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)にも見られますが、これがどこまでセガのものと同じだったのかはわかりません。


左がセガのポップバンパー(画像はIPDBの「カーニバル」より)、右が一般的なポップバンパー。

この時代、ゲーム機が設置されている場所と言えば、商業施設かボウリング場のゲームコーナーが一般的でしたが、セガのピンボールを置いていないロケーションも珍しくなく、ワタシにとってはある意味で希少価値を感じさせる機械でした。

【追加・訂正】「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」に情報追加(2)

2021年02月07日 18時16分38秒 | 訂正・追加等
今回は、前回に引き続き、前々回の記事「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」の補足の後編です。

(6)パワールーレット


パワールーレット。

先の記事ではこの製造年を1980年としておりましたが、1978に訂正しました。この年は、のちに「インベーダーブーム」という社会現象を巻き起こす「スペースインベーダー」が発売された年です。インベーダーブームは日本全国を席巻し、客を取られてしまったパチンコ店がゲームセンターに商売替えをするというケースも珍しいものではありませんでした。

しかし、インベーダーブームがパチンコ業界を震え上がらせるのはパワールーレットが世に出た後のことです。先の記事ではパワールーレットがまるで対スペースインベーダー迎撃機であるかのような記述となっておりましたので、この部分も併せて訂正するとともに、この年がパチンコにもデジタル技術が投入され始めた時期である旨を追加しました。

(7)グローリーボールデラックス


グローリーボールデラックス。

盤面を見ると、ハッタリ(チャッカ―の前面の飾り)に描かれている絵は、ボート、馬術、射撃、フェンシング、それにストラップが付いたメダルのピクトグラムになっています。このシンボル構成は、パチスロの嚆矢であるオリンピア(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)を強く意識したものであるように見えます。


グローリーボールデラックスの盤面。シンボルがことごとくスポーツテーマになっているのはオリンピアのイメージに引っ張られたか。

全く根拠がない話ですが、両替機や硬貨計数機などの大手メーカーである「グローリー」が、かつて風営機を作っていたことがあったようななかったような・・・? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただけませんでしょうか。

(8)ダイスゲーム


前々回の記事で「ダイスゲーム」として紹介したゲーム機。

このダイスゲームは、米国Exhibit Supply社の「SELECT-EM (1933)」でした。
1~6の番号のうち一つをあらかじめ選択してから4つのダイスを振り、選択した番号と同じ目が2個以上出ると得点を得る、というゲームです。

得点表を見ると、選択した目が2個出れば3点、3個出れば6点、4個すべてであれば20点だそうです。筐体には「このゲームは娯楽目的専用」との注意書きがありますが、時代が時代ですので、Gマシンとして使用されていたであろうことは想像に難くありません。そこでペイアウト率を調べてみたら、45.5%(得点1点につき投入した硬貨と等価のものを1枚払い出すとして計算)しかありません。いかにガムを払い出しているらしいとは言え、相当に低いペイアウト率です。なお、ヒット率(当たりの目が出る確率)は13.2%でした。つまり、7~8回遊ぶうちに1回当たるくらいの頻度です。

(9)ピンボール2機種
一つは米国Bally社の「Goofy (1932)」、もう一つは米国Gottlieb社の「MERRY-GO-ROUND (1934)」とのことです。


Goofy (Bally、1932)


MERRY-GO-ROUND (Gottlieb, 1934)

これらの古いピンボール機についてはワタシは詳しくありません。しかし、ピンボールで困ったらIPDB(Internet Pinball DataBase)があります!

Goofy (Bally, 1932)はこちら と こちら。JuniorとSeniorの2種類があるようですが、違いが良くわかりません。

MERRY-GO-ROUND (Gottlieb, 1934)はこちら

(10)ピンボール機の下にある2機種

一つは米国Bally社の「Signal Jr (1934)」、もう一つは米国Calp社の「Bridge Ball (1954)」とのことです。Bridge Ballの方は商品化されることはなく、試作品2台の存在が知られているのみで、これはそのうちの1台という大変貴重なものです。

 
Signal Jr.(左)とBridge Ball(右)

これらの詳細もやはりIPDBをご参照ください。

Signal Jr.はこちら
SignalにもやはりJuniorとSenior、さらに普通のSignalの3種類があるようですが、Caitlynが所有するものはJr.とのことです。

Bridge Ballはこちら
このページには、Caitlynが多くの画像を寄稿しています。中には筐体の内部の画像もあり、どんなメカであったかを見ることができて貴重ですので、ぜひご参照ください。そして、拙ブログをご高覧下さっている皆様の中で後世に残したいピンボールの資料をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひともIPDBにご寄稿下さいますようワタシからもお願い申し上げます。特に日本製のピンボール機を掲載する際には、機種名やメーカー名など日本語での表記を併記しておきたいとのことです。皆様、どうぞご一考いただけますようお願い申し上げます。

(このシリーズ終わり)