

セガ「CRASH COURSE」(1977)フライヤーの表(上)と裏(下)。
「CRASH COURSE」は2P対戦で、1PでもCPUを相手に遊ぶことができました。0.5秒程度置きに1ブロック分進行する矢印の進行方向を、上下左右の4つのボタンで操作して画面上にブロックを置いていき、相手の矢印の進行を妨げ、または閉じ込めるというゲームで、このゲーム性は後に「初のコンピュータグラフィックス映画」と謳われた「トロン(TRON)」という映画でも採り入れられています。
しかしこの「CRASH COURSE」は、その前年に米国のグレムリン(Gremlin)社が、同社にとって初のビデオゲームとして発表した「Blockade」と同じものに見えます。

Gremlinの「Blockade」 (1976)のフライヤー。
グレムリン社は1971年に創立され、「Blockade」以前は一般に「ウォール・ゲーム」と呼ばれる電光点灯式のゲーム機を主に作っていた会社です。そのグレムリン社は、1978年にセガに買収されて子会社になっています。
さて、なぜ「CRASH COURSE」のフライヤーに目が留まったかというと、そこに書かれている「初のCPU・TVゲーム」という文言に気づいたからです。
それ以前のビデオゲーム、例えばピンポンゲームやブロック崩しゲームなどは、コンピュータープログラムに相当する部分を、「TTL(Transistor-transistor-logic)」というIC部品を組み合わせて作っていました。それは、「電子ブロック」という玩具みたいなものだったと言えるかもしれません。
TTLでロジックを組むためには多くのICを要するため、基板が大きくなりがちです。従って、CPUを導入し、ロジックはプログラムROMに格納されているプログラムに置き換えるという新技術は、基板上の部品数を減らすことになり、将来的にはコンパクトなシステム基板への発展に繋がっていきます。
というわけで、CPUの登場はビデオゲームにおいては大きな技術革新の一つであり、だからこそセガもフライヤーで謳ったのだと思います。しかし、まだデジタル技術が一般に浸透しているとは言えなかったその当時、どれだけのオペレーターがその意味を理解していたものでしょうか。いや、理解どころか、「CPU? うまいもんずらか?」と首をかしげるか、良くて「なんだかわからんがすごい(らしい)」と思うのがせいぜいだったのではないかと想像します。ちなみにグレムリンは、「グレムリンの技術力によるイノベーション」程度のアピールしかしていません。セガがグレムリンを傘下に収めたのも、このグレムリンの技術力を取り入れるためだったと聞いています。
しかし、1975年に発表された米国ミッドウェイ社の「Gun Fight」は、すでにCPUを積んでいたという情報を何かで読んだこともあり、セガのハッタリが本当に事実なのかどうか、よくわからないところもあります。この辺、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、何卒ご教示いただけますようお願い申し上げます。

Midwayの「Gun Fight」(1975)のフライヤー。
オマケ情報。TAITOもセガと同様、「Blockade」に類似するゲーム「BARRICADE II」と「HUSTLE」の二つを1977年に出しています。


TAITOの「BARRICADE II」(1977・上)と「HUSTLE」(1977・下)のフライヤー。
それにしても、以前にも拙ブログのどこかでも言いましたが、70年代は、同じ内容のゲームが異なるメーカーから名前を変えて発売される例がたくさんあるだけでなく、筐体やフライヤーにライセンス関係を示していないことも珍しくないため、どれが元祖でどれが正規許諾品でどれが無断コピーあるいは海賊版なのか、なかなか判別がつかない、厄介な時期です。