オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

IR汚職事件で思ったこと

2019年12月29日 23時32分09秒 | その他・一般
拙ブログをご高覧下さった皆様、今年一年、どうもありがとうございました。拙ブログが幾分なりとも古いコインマシンに関する情報の拡散に役だっているのであれば、これに勝る喜びはありません。

さて、今年も終わりに近づいたところで、にわかにIR(Integrated Resort)関連の政治的なスキャンダルが持ち上がって参りました。汚職は当然のことながら糾弾されてしかるべきことでありますが、これを機に噴出しているIR推進反対派の主張は、カジノ及びギャンブルは絶対の悪であると決めつけているように見え、たびたびラスベガスに行ってはカジノでギャンブルを楽しんでいるワタシなどは、彼らにかかるとまるで反社会的な人物ででもあるかのようです。

◆ワタシにとってギャンブルとは何なのか
これでは不本意なので、この機会にギャンブルに対するワタシのスタンスを説明しておこうと思います。まず、ワタシにとってギャンブルとは、お金を払ってスリルを楽しむ娯楽であり、消費行動です。この点においては、お金を払ってローラーコースターに乗ることと本質的な違いはありません。スリルを得るための質草が、ギャンブルでは自分の小遣いであり、ローラーコースターでは自身の身の安全であるという点が異なるだけです。

お金が増えたか減ったかは、スリルを楽しんだ後にゲームの成功の度合いを示す結果に過ぎません。もちろん成功すれば嬉しいですし、失敗が大きければ落胆もしますが、それはスリルを求めた結果として受け容れなければならないものです。お金を失って「そんなつもりじゃなかった」とか「カネ返せ」などと言う人は、スリルで遊ぶ資格がそもそも無い人です。

◆ワタシはなぜギャンブルをするのか
カジノのギャンブルゲームの殆どは1回のゲーム時間が短く、スリルが次から次へと提供されるので、続けることが苦痛になりません。更にカジノのギャンブルゲームでは、ゲームが始まってから結果が出るまでの間にサスペンスが生じます。特定のゲームが面白いかつまらないかは、そのゲームにサスペンスを感じるかどうかで決まるとワタシは考えています。

つまるところ、ワタシがギャンブルで遊ぶのは、スリルとサスペンスが連続して楽しめるからです。「ばくち好きは遊んでお金を稼ごうとする人間のクズ」という言説を良く耳にしますが、メダルが何万枚増えようと金品と交換できないメダルゲームが日本のコインマシン市場で50年近くも主要なジャンルの一つとして確立できているという事実からも、それはごく限られた一面しか見ていない批判だと言わざるを得ません。

余談になりますが、どこにサスペンスを感じるかは人それぞれです。例えばワタシは、バカラにはサスペンスを感じないのでやりません。また、パチンコもやめて20年くらい経ちますが、やめた理由は、ゲーム開発者がサスペンスを感じさせようとするあまり、内部のプログラム的には既に当たりかハズレかの結果は出ているくせにプレイヤーの気を持たせるためにわざと結果を出し惜しんでつまらない演出で延々と引っ張り続けるようになって、感情を弄ばれているような強い不快を感じるようになったからです。サスペンスもなかなか難しいものではあります。

◆カジノ(IR)は打ち出の小槌ではない
カジノやIRの推進を反対する勢力がよく口にする、「カジノは負けた人のお金で成り立っている」とか「IRとはすなわちカジノでしょ」という言説は、反対の理由としては感情論的で脆弱な理論だと思います。今回の前半で述べたように、ギャンブル遊びは消費行動ですから、カジノがそれで成り立つのは、ローラーコースターの搭乗料金で遊園地が成り立つ理屈と変わるものではありません。また、IRとは「複合リゾート施設」の意味であって、カジノはその中の一施設に過ぎません。何となれば、カジノなど無くてもIRは(理屈の上では)成立し得ます。

ただ、このようなお粗末な反対論が出てくる責任の一端は、推進論者側にもあると思います。IR構想とは、海外からの訪日客を増やして国内でお金を使って行ってもらうための仕掛けを作ろうというものであったはずです。しかし、マスコミに流れるニュースはほぼカジノ一点に集中してしまっているにもかかわらず、推進論者側からIR構想の丁寧な説明を積極的に行う努力は殆ど報じられません。

IRには「MICE(マイス)」というキーワードがあります。これは、企業などのミーティング(Meeting)、企業などの褒賞・研修旅行(Incentive)、国際的な機関が行う会議(Convention)、見本市、トレーディングショウ(Exhibition)の頭文字を取ったものです。つまり、これらのイベントによって世界中から人を呼び込んで、産業や学術その他の情報の集約・発信の中心にしましょうと言う構想です。

しかし、IR施設(もしくはカジノ)を作ったからと言って、自動的にそこがMICEの会場になるとは限りません。MICEには主催者がおり、その主催者に日本のIRを会場として使ってもらうためには、主催者から見てそこがイベントを行うに魅力的でメリットを感じるようにアピールする必要があります。カジノはそのための仕掛けの一つにすぎないもののはずなのですが、ワタシは今まで推進論者からそういう説明があったという話を、新聞やテレビなどで聞いたことがありません。いや、多少はあったのかもしれませんが、知られていなければやっていないのと同じことです。そもそも、推進論者の中にもこのようなIR構想の理論をどこまで理解しているのかが疑わしいと思われる人も多く見受けられるように思います。今回、収賄で捕まった国会ギーンもそんなうちの一人ではなかったかと感じます。

MICEの主催者たちと交渉して、例えば何年後にはこれだけのイベントが開催できる見込みとなるよう努力を続けているなどと言った説明ができないようなIR構想であれば、それは日本の為政者が得意とする単なるハコモノ行政に過ぎず、カジノやギャンブルに寛容なワタシだって賛成できません。

あまりにもタイムリーだったため、年の最後に滔々と語ってしまいましたが、年明けからは平常運転に戻るつもりですので、どうぞ来年もご指導、ご鞭撻いただけますようよろしくお願い申し上げます。

埼玉レゲエ紀行(2):BAYONの記録その2 + パチンコ博物館(さいたま市)

2019年12月22日 22時55分42秒 | ロケーション

レゲエコーナーを一通り見て回った後、メダルゲームコーナーに向かうと、そこには「COCKTAIL NIGHT筐体」や「LOTUS筐体」などの懐かしい筐体に入ったビデオポーカー類、sigmaが海外のカジノ向けに作ったメカスロット類が大量に設置されていました。


懐かしの筐体の本のごく一部。(1)sigmaのメカスロ「Night Fever(1994頃)」。 (2)ベルトップ筐体(1998頃)。この筐体は当時ラスベガスのカジノのあちこちで見かけた。 (3)カクテルナイト筐体(違うかも? 1987頃)UP2筐体(コメント欄でのご指摘により修正・21/9/23) (4)ロータス筐体(1994頃)インターミディ筐体(コメント欄でのご指摘により修正・21/9/25)。

さらには、sigmaのスピリッツを引き継ぐCRON社のマシンで構成される一角まであり、BAYONのシングルメダル機にかける熱い気持ちが伝わってきます。


おびただしい数のCRON社のシングル機で構成されている一角。画像右下にわずかに見えるスラント筐体は、CRONを立ち上げたメンバーがサミーに所属していた時に開発していたものだったかもしれないが、迂闊にも確認するのを忘れてしまった。

これらの筐体を重点的に撮影しながら奥に進んでいくと、うわさに聞いていた、現在の日本で(おそらく)唯一営業稼働しているビンゴ機が3台、ステージのように一段高くしたところに設置されていました。


BAYONに設置されているビンゴ機3台。手前からCHEROKEE ROSE、PASTEL SHOWER、ELDORADO。いずれもsigma製のICビンゴ。

これらのうち、CHEROKEE ROSEを除いたEL DORADOとPASTEL SHOWERの2機は残念ながら稼働していませんでした。ビンゴはワタシが最も熱中したゲーム機の一つですから、せっかくここまで来たのに遊ばない手はありません。メダルを借りに貸出機の方に行きました。メダルの貸出料金は1000円で150枚、2000円で400枚、3000円で500枚となっていました。

昔は1000円で50枚が相場(sigmaのゲームファンタジアはさらに高い35枚だった)である上にボリュームディスカウントも殆どなかったので、当時のワタシがsigmaのビンゴ・イン(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)で遊ぶときには1000円で50枚ずつ借りて惜しみながらベットしていたものなのに、150枚となればその3000円分ですから、当時のワタシにとってみれば結構なお大尽遊びのレベルです。

唯一稼働しているCHEROKEE ROSEは、プランジャーに僅かに引っかかるような感触があり、ボールの安定した打ち出しが若干困難でした。ある程度ならば筐体を揺らすことでリカバーはできますが、もし、BAYONの方々がこれに気づかれましたら、メンテナンスをお願いしたいところです。

ビンゴ・ピンボールは、スコアが伸びればフィーチャーが有効になりにくくなり、逆にフィーチャーが早い段階で有効になるとスコアが伸びにくくなるという特性があります。あるとき、メダル20枚のベットで、スコアだけがどんどん伸びてフィーチャーが一切有効とならないという展開になってしまいました。これ以上追加ベットをしてもフィーチャーが有効になることは望み薄なので、ゲームとしてはあまり面白くないのですが、大量メダル獲得を目指すことでがまんして頑張ったら、最もスコアが高い赤ラインに4並びを完成させて480枚という大当たりを出すことができました。


今回の大当たり。20メダルのベットで、赤ラインに4並びで480枚のメダルを獲得。もしこれが5¢硬貨でのガチなギャンブルプレイなら、$1のベットで$24の大勝利という事になる。

これだけの当たりは、ワタシが最も一所懸命ビンゴ・ピンボールを遊んでいた頃でもそうそうありません。昔は自由になるお金が少なかったので、特に大きなチャンスの時にかかるプレッシャーは今とは比べ物にならぬほど大きく、ガチガチに緊張してボールコントロールのミスを誘ってしまっていたものでしたが、今は当時と比べればはるかに恵まれているので昔のような切実な緊張感はなく、このメンタルの余裕が勝利に結び着いたことは間違いありません。しかし、それはそれで良し悪しでもあります。心に余裕がある半面、勝利の嬉しさの強さが昔に比べて半減している気がします。そしてこれには、メダル単価の大暴落と、プッシャーなどに見られるジャックポットのインフレ化も多少なりとも関係していると思います。

◆パチンコ博物館(さいたま市南区)

BAYONを午後3時ころに出て、次にワタシは北戸田駅を目指しました。今回、BAYONについて立地などを調べていたら、ここに「パチンコ博物館」というものがあることを発見していたので、ついでに訪れることにしていたのです。

ふじみ野駅から電車を2回乗り継いで辿りついた北戸田駅から徒歩数分のところにある「ガーデン北戸田」というパチンコ店の2階に、「パチンコ博物館」はありました。入場は無料で、子供連れでも入れるとのことです。

自動ドアを開けて中に入りましたが、他の観覧客の姿が認められず、ずかずかと入り込んで良いのか不安になりました。右手に女性の受付係員がいたので入っても良いのかと聞くと、どうぞと丁寧に答えてくれました。ついでに、写真を撮影しても良いかと聞くと、「申し訳ありませんが写真の撮影はご遠慮いただいております」と、本当に申し訳なさそうに言われてしまいました。その代わりと言うわけではないのでしょうが、脇にあるウィンドウに陳列されている業者関連のグッズから一つ、好きなものを下さるというので、西陣のネームの入ったクリアフォルダをいただきました。

展示はパチンコの原型となったゲーム機から始まり、バラ釘時代、村正のスタンダード6穴時代、連発式の許可、役物の自由化時代を経て電役、羽モノ、そしてセブン機と順を追って豊富に展示されており、実に充実しています。特に、バラ釘以前の機械は、現存しているのが奇跡的と思われるものもあります(ただ、なぜか「半ゲージ」の展示は無かった)。

また、順路の壁にはパチンコの年表や昭和時代のパチンコ店の風景などもあり、これらも丁寧に見て行こうとすると時間がいくらあっても足りそうもありません。写真撮影を断られているので撮影もできないので、これらを丹念に見ることはできませんでした。

写真撮影を禁じている理由はわかりません。一般人がウェブ上で公開してしまったら来場者が減ると考えているのでしょうか。ワタシとしては、一般人が広く紹介すれば、実際に訪れてみようと思う人は増えると思うのですが。なんとももったいないことです。

写真は無いので、配布しているパンフレットを掲載しておきます。興味を持たれましたらぜひ実際に確認しに行って見てください。

パチンコ博物館
所在地 : 埼玉県さいたま市南区辻8-24-10
      ガーデンシティ北戸田2F
開館時間: 午前10時~午後6時まで(定休日:不定休)
最寄駅 : JR埼京線 北戸田駅東口から徒歩2分







(このシリーズ終わり)


埼玉レゲエ紀行(1):BAYONの記録その1

2019年12月15日 23時14分27秒 | ロケーション
去る11月29日(金)、ワタシは初めて、埼玉県ふじみ野市にある、一部のレゲエファンの間で聖地となっている「バイヨン(BAYON)」というゲームセンターに行って参りました。


東武東上線ふじみ野駅から徒歩およそ5分、BAYONが入る建物の正面。BAYONはこの2階全域を占める。

BAYONは、シングルメダルゲーム機が充実しまくっていると聞いていました。中でも、今ではおそらく日本で唯一ビンゴ・ピンボール機を設置しているロケであるとのことだったので、かねてからいずれは行かなければならないと思っていたところです。

エスカレーターで2階に上がると、すぐ左手がレトロゲームコーナーの入り口となっていましたのでまずはここから入ると、たくさんのビデオゲーム筐体と、今時珍しいピンボールコーナーがありました。BAYONと言うとメダルゲームでしか聞いたことが無かったので、これは嬉しいサプライズでした。ただ、残念なことにビデオゲームのほとんどは90年代以降のもので、ワタシにとってレトロゲームと呼べる機種は「ゼビウス」くらいしかなく、レゲエの聖地と言うには中途半端な印象を受けました。いろいろ事情はあるでしょうが、80年代のゲームの充実が望まれます

ピンボールコーナーの床にはダーツのスローラインと思しき跡があり、もとはエレクトリック・ダーツを置いていた一角と見えます。様々な試行錯誤を繰り返して奮闘されている様子が窺われます。

ピンボール機はSS機が8台で、うち2台は故障中でしたが、稼働している機械はどれもメンテナンス状態が良く、快適に遊べます。これももっと知られてよいフィーチャーだと思うので、BAYONには頑張ってもらいたいものです。

【設置されていた機械】
・BANZAI RUN (Williams, 1988・故障中)
・FISH TAILES  (Williams, 1992)
・JACK BOT (Williams, 1995)
・CONGO (Williams, 1995)
・ATTACK From MARS (Bally Midway (WMS), 1995)
・LETHAL WEAPON 3 (Data East, 1992)
・JUNK YARD (Williams, 1996)
・TWILIGHT ZONE (Bally Midway (WMS), 1993)


ピンボールコーナー。いまどきこれだけのピンボール機を設置している店は無いので、もっと広く知られてもらいたいものだ。ファンがそのためにできることには何があるだろう?

レゲエとピンボールコーナーの隅の壁には、「MAナビ」と称して、設置ゲームの遊び方や攻略法などを解説した資料が用意されていました。今後発売されるビデオゲームでは新規客の取り込みが難しいとなれば、過去のヘビープレイヤーをゲーセンに呼び戻すことと、併せて古き良きゲームで新規客を開拓しようとすること自体は大変良い試みだとは思うのですが、そのようなターゲットにどこまで、どうやって周知させるかが課題だと思います


「MAナビ」と称する、設置されているオールドゲームの遊び方を説明したチラシ。このような取り組みは大いに賞賛したいが、どれだけ知られ、どれだけ有効に機能しているのだろうか。

本日はちょっと体調がすぐれないため、残りは次回とさせていただきます。皆様におかれましては、栄養と睡眠を十分にとって、風邪など召されませんようにお過ごしください。


新ラスベガス半生中継2019年G2Eショウ(8) DAY 4~5: Extra Ball!(でも要らない)

2019年12月08日 15時17分07秒 | 海外カジノ
本来のスケジュールでは、
 (1)9時LAS発、10時40分SFO着
 (2)11時半SFO発、14時半NRT着(+1日)
のはずだった。しかし、(1)が大幅に遅れて出発したため、SFOに到着した時には既に(2)の国際線が出て行ってしまった後だった

とりあえずT本と二人で国際線の搭乗ゲートに行ってみたところ、事情を承知している地上係員と思しき人から「成田行き? ××(失念)に行ってください」と言われたのでそちらに行ってみるが、誰もいない。ユナイテッドのカスタマーサービスカウンターを探したが見つからないので、とりあえずどこでもいいやとセキュリティエリアの外(ランドサイド)に出て、ユナイテッドのチェックインカウンターで事情を話すと、すぐに端末を叩いて便を探してくれたが、「今日出発の成田行きの便はもうない。台北経由で8時間ほどの乗り継ぎを経て2日後に日本着の便ではどうか」と言い出した。この場合、日本着は月曜日の早朝となる。さすがにそれは厳しいので、大阪行きでもいいから今日出発の便はないかと食い下がるも、「それもない。香港経由東京行きの便ならある」と言われた。乗り継ぎ時間と日本着の時間はどちらもほとんど同じだった。

我々に与えられた選択肢は、「経由地を台北にするか香港にするか」のみで、月曜早朝の日本着は避けられないようだった。やむを得ず、過去に使った経験があり僅かなりとも見当がつくという理由で香港経由を選んで、搭乗券を受け取った。とんだエキストラボールだが、最終目的地が成田ではなく羽田になっていたのはむしろありがたく、せめてもの慰めになった

飛行機は確保したが、今いるところはランドサイドであるから、もう一度セキュリティを通らなくてはならない。しかし、セキュリティゲートの前には数十メートルに及ぶ長蛇の列ができている。どうやら列は大きく分けて2つあるようなので、ワタシとT本で別々の列に並んでみた。すると、T本の列はそれなりに進むものの、ワタシが並ぶ列は遅々として進まない。そうこうしている間にT本とは10メートルほども離れてしまったので、ワタシは列を離れてT本に合流することにした。それでも、この時点で出発まで1時間半ほどしかなく、間に合うのかと不安になった。

そこに、ラッキーと言うべきなのかどうなのか、ユナイテッドから携帯に、我々が乗る香港行きの便に「予期せぬオペレーション上の問題」が発生したため出発が20分ほど遅れるというメールが届いた。そしてその後も、搭乗ゲートが変更になった報せと、遅延がもっと長引くという報せが相次いで届いた。メールには、キャビンのドアが閉まらないトラブルとあったので、おそらく機材の変更があったのだろう。

大混雑のセキュリティを抜けてようやく搭乗し、機内で席に着くと、安心したせいかすぐに眠りに落ちた。そしてふと目覚めると、飛行機はまだ地上にいる。時計を見ると、出発の予定時刻を大幅に過ぎている。

またか

騒いでも仕方がない、こんな時はとにかく眠ってしまえと思い、再び目を閉じた。

機内食の配膳の音で目覚めたら、香港到着まであと2時間ほどだった。14時間ものロングフライトをこれだけ眠って過ごせたならおおいに上等だ。やはり現地最後の夜はカジノで徹夜に限る。


SFO-HKG間での機内食。たいていのモノがうまいと思えるおめでたいワタシにして恐れを感じてきたユナイテッドの機内食も、昔に比べれば随分とマシにはなっている。

機内食をいただいてからほどなくして香港に到着。現地時間は夜9時くらいで、次の乗り継ぎまでは3時間半ほどで済む。結果論ではあるけれど、出発の遅れもむしろ好都合に作用した。漢字が併記されている案内表示を頼りに結構長々と歩いて乗り継ぎのセキュリティチェックエリアに辿りつき、日本語を使う係員の指示に従って手荷物の検査を受ける。政治的、社会的な混乱が続く香港だが、少なくともこの日の空港内ではそんな雰囲気はまったく感じられない。

エアサイドに入ったワタシとT本はラウンジに向かったが、6年前に女房とこの空港に来た時にはアジア系の航空会社(社名は失念)だったように記憶しているラウンジは、「ユナイテッドラウンジ」になっていた。日本でも米国でも、ユナイテッドのラウンジの飲食物にはたいしたものはないので落胆しかけたが、いざ中に入ったら、女房と利用した時と同等のしっかりしたホットミールが数種類、ちゃんとあった。ビールもタダだ。


香港のユナイテッドラウンジで食べたもの。写真は豚肉の角煮、焼きそば、茄子の四川風炒め物。他にもグリーンカレーやフォーなどがあり、これらも食べてみたが、どれもおいしい。特に茄子の四川風は思わずうなるほどで、リピートした。加えて、青島ビールってこんなにおいしかったっけかと感心する。

ラウンジが閉まる時刻(深夜0時)が近づいてきたので搭乗口へ向かう。同便の乗客の中に、サンフランシスコ空港で出会った、我々と同じ目に合っていた日本人乗客もいて、お互い大変でしたねえといくらかの言葉を交わす。今回はANA運行便で、機内食もユナイテッドよりはおいしい。


HKG―HND間で出た機内食。ワタシは長年ユナイテッドのテリブルな機内食に鍛えられ続けてきたので、よその航空会社の機内食はどれも水準が高いと思えるようになった。

羽田に到着したのは早朝6時。ラスベガスで預けた荷物は、経路変更のタグが貼られて無事に羽田で受け取ることができた。出発は台風、帰りは飛行機のディレイで旅程が狂いまくった旅もようやく終わり。財布の中の現金は、出発時よりも120ドルくらい増えていた。

(このシリーズ終わり)

新ラスベガス半生中継2019年G2Eショウ(7) DAY 4:最終日(のはず)

2019年12月01日 17時30分57秒 | 海外カジノ
◆本日の主な行動予定
・ゴールドコーストをチェックアウトする。
・昼の1時、現地在住の友人Gさんと、空港の東に新しくできたラーメン屋で昼食。
・夕方の6時半、現地在住の友人Sさんと、オーリーンズのオイスターバーで夕食。
・深夜、どこかのカジノで出発まで過ごす。
・明朝7時にレンタカーを返却後、空港に行き帰国の途につく。
以上。

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いよいよ最終日。朝9時ころに目覚める。バフェイで朝食の後、部屋に戻り荷物を引き上げて車のトランクに詰めれば残りの帰り支度は昼までにゴールドコーストをチェックアウトすることのみ。以降、明朝の出発まで宿無しの身となるが、どうせ最後の夜は一晩中カジノで過ごすので大きな支障はないし、そうやって寝不足状態を作り上げていれば、帰りの飛行機では眠って過ごすことがし易い。

Gさんとの待ち合わせ時刻にはまだ早いので、カジノでゲームをして過ごす。Aristocratの、あまり見かけたことのない新しいスロットマシンがあったので試しに遊んでみたら、ボーナスゲームに頻繁に入ってくれて楽しい。最終的にお金はそれほど増えなかったが、十分に遊べた。

昼過ぎ、Gさんと待ち合わせている「HANA RAMEN」へ。場所は、マッキャラン空港の東端に隣接するウォルマート・スーパーストアのある辺り。横浜家系を謳うが、塩や味噌、カレーラーメンなどもある。ワタシは13.95ドルと少し高い、店一押しの「Meat Lover」ラーメンを注文。Gさんは別のラーメンの他に、「今夜の夕食用に」と、チャーハンと餃子を持ち帰りで注文していた。


(1)HANA RAMENの外観。 (2)店内。あまり広くない。 (3)卓上のメニューから、ラーメンの部分。 (4)Meat Loverラーメン。背脂もたっぷりの濃厚系は、ワタシの好むところ。

「Meat Lover」の厚切りチャーシューはさすがアメリカと思わされる。横浜出身だという日本人のあんちゃん店員もフレンドリーで良い。麺のゆで方が私の好みより柔らかめであったので、そこまで指定できればなおいいのだがと言ったら、Gさんは「言えばやってくれると思いますよ」と言う。リピートしても良いと思える店なので、次回来たときは「麺硬めでお願い」と注文してみよう。

Gさんと別れた後、「Pinball Hall of Fame」に立ち寄って1時間ほど遊んでからオーリーンズに行き、T本と合流する。ポーカープレイヤーのT本はポーカールームへ行き、ワタシはプログレッシブが溜まっているVPのトリプルプレイで、ディナーまでゲーム。しかし、どうにも良くない。お金が結構なペースでなくなっていく。

昨日も、ゴールドコーストに戻ってからいくらかゲームをしたのだがいいところがなかった。クラップスでは、最初にバイインした200ドルは4ゲームで全部溶け、リバイした200ドルもすぐに風前の灯火まで追い込まれた。その後は若干盛り返しもしたが、結局3時間ほど遊んで200ドルを失っている。それまでの収支は僅かにプラスだったのに、これ以降はずっとマイナス傾向となり、その趨勢を今日も引きずっている。そろそろ、25セントデノミではロイヤル様の降臨でもない限り一撃で取り返すことが難しいくらいへこんできた。

そうこうしているうちにSさんとの待ち合わせの時間が近づき、T本もやってきたので、オイスターバー「Big Al's」の前でSさんを待つ。Sさんがなかなか来ないと思ってSNSで連絡したら、「私も店の前にいますよ」と言うのできょろきょろしたら、数メートル離れたところにいた。お互い全然気づかなかったと笑いながら店に入る。


Big Al'sで注文したもの。(1)生カキ1ダース。 (2)ロックフェラー半ダース (3)クロウフィッシュ。大きくて食い応えがあった。 (4)ワタシが注文したクラムチャウダーは、ラーメンどんぶりほどの大きさの器に盛られていて、これだけで腹はかなり膨れる。

オイスターバーでの勘定は溜まりまくっているワタシのコンプダラーで支払い、SさんとT本にはチップ分だけお願いした。3人で生カキ1ダースロックフェラー(殻付カキにチーズ、ガーリック、ほうれん草などを乗せてオーブンで焼いたもの)半ダース、クロウフィッシュに、それぞれがアラカルトと飲み物を注文して120ドル弱はそれだけで安いと思うが、感覚的には実質タダなのでなおさらお得感がある。

Sさんと別れたのち、T本もワタシもゲームに戻る。T本が言うには、最近のラスベガスのポーカールームでは「ルーズ・アグレッシブ」スタイルのプレイヤーが多いらしく、そうなるとほとんど運任せのスロットマシンを引くようなゲームになり易く、ツイていないと簡単に軍資金が減ってしまうとのことだった。そしてT本も今のワタシ同様、良い流れに乗れずかなりお金を失っていると言う。

カジノで遊んでいられるのも残すところあと10時間ほどしかないので、いっそこの辺で勝負を大きくしてみようと思い立ち、$1シングルプレイのDDB・Aces & Facesに移動した。DDBは分散が大きい、ハイリスク・ハイリターンの機種だが、「Aces & Faces」はA及びJ~Kのクワッズにボーナスが付くので、同じペイアウトスケジュールなら、通常のDDBよりもPO率は高くなる。

それにしても、キャシーの世話になっていた頃は$1デノミのVPを打つのは当たり前だったし、だからこそコンプも比較的簡単に得られていたのだろうが、ローカルやダウンタウンを定宿とするようになってからは殆ど25セント機ばかり打つようになっていたので、若干緊張感が高まる。昔はよくこんなおっかないゲームを平然と打っていたものだ。もっともあの頃は、ニューヨーク・ニューヨークにも、その他のストリップエリアのカジノにも、フルペイのピッケムやDBが普通に転がっていたということもあったのだけれども。

運よく、最初に投入した$100ドルがなくなる前にレギュラーのクワッズが出てくれた。そしてさらにあまり間を空けずに再びレギュラーのクワッズが出て、クレジットは500ドルを超えた。これで少し楽になると安心しかけたが、その後は鳴かず飛ばずとなり、残りクレジットが200を切って不安が頭を持ち上げてきたころ、デルトストレートフラッシュが出た。


デルトストレートフラッシュ。ワタシがデルトストレートフラッシュを引くのはこれが生涯3度目だが、先の2回は最高峰であるロイヤルフラッシュで、レギュラーのデルトストレートフラッシュは初めての経験となる。そう考えると、ワタシはツイていると言うべきだろうか。

起死回生のストレートフラッシュで息を吹き返したと思ったのもつかの間、その後もクレジットは着々と減り、またもやクレジットが200を切ったところでQのトリップスが配られた。クワッズに発展すれば最低でも400ドル、キッカーが絵札以上なら800ドルになる手だ。祈る思いでドロウボタンを押した結果がこれ。


Qのクワッズ。キッカーがJなので800ドルになる。

しかし、クレジットが1000にわずかに届かなかったので、欲を出して続けていたらまた少し減ってしまい、結局800ドルでこのセッションを終える。それでも収支は原点を僅かに上回る程度に回復した。

資金の余裕ができたワタシは、プログレッシブ目当てで再びトリプルプレイに戻るが、依然として手に恵まれない。いや、それどころか、今回の旅で最悪のコールドストリークに突入し、さっきAces & Facesで得たお金の大半を失うと言うドイヒーな展開となってしまった。

カジノを発つまでの残り時間は3時間ほどに迫ってきた。ワタシは夢よもう一度と、再び$1のDDB・Aces & Facesに移ったところ、比較的あっさりレギュラーのクワッズがでて、更にその僅か2分後に、Aces & Facesならではのビッグハンドが降臨してくれた。


クズ手の場合、絵札を残すのはJB系ポーカー共通のセオリーだが、Aces & Facesではさらにそこからクワッズに発展する期待が膨らむ。このようなクワッズは、まさにAces & Facesに期待する結果の典型例。

二度の危機を乗り越え、もう残り時間も少ないのであとは流して過ごそうと思っていたところにT本がやって来て、全くつかず結局有り金を使い果たしたと言う。いくらか融通しようかと申し出たが、散々打ちのめされて心が折れたし時間もあまりないので、あとは24h営業のフードコートで夜食でも食べてのんびり過ごすと言うので、ワタシもハンバーガーのファドラッカーズでコーヒーを付き合う。

最後の1時間ちょっとでは、ワタシはトリプルプレイに最後の勝負をかけたが、結局ロイヤル様が降臨することはなく、若干お金を減らして時間切れとなった。それでも財布の中のお金は、この旅に出発した時よりもわずかに増えていた。T本と共にレンタカーセンターで車を返却し、シャトルバスで空港に向かった。

しかし、旅はまだ終わらなかった。飛行機に乗り込んですぐに眠りに落ちたワタシがふと目を覚ますと、飛行機はまだ地上にいる。いくらか寝た気がしていたのに束の間まどろんだだけだったのかと思って時計を見たら、出発予定時刻を1時間半ほども過ぎている。これが、この後に起きるもうひと騒動の前兆であったとは、この時点ではまだ想像できなかった。

(以下、最終回につづく)