オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【追加・訂正】AM産業と業界誌の謎(延長戦):ゲームマシン紙誕生の秘密判明

2022年05月22日 17時53分30秒 | 歴史

本シリーズは前回で終了したつもりでおりました。しかし、前回の最後で「アミューズメント通信社の『ゲームマシン』紙ができたいきさつが見当たらない」と述べたところ、yagiza#hatiiさんがコメント欄にて、一本の動画をご紹介くださいました。

この動画は、2016年4月16日~17日に沼津で行われたレトロゲームに関するシンポジウム「Retro Game À La Carte」で行われた、アミューズメント通信社赤木真澄氏による「『それはポンから始まった』赤木真澄氏から見たアミューズメント史」の講演の記録動画です。ゲーム文化の保存と継承に、多大かつ継続的に貢献をなさっており斯界では有名なおにたまさんが主宰する「オニオンソフト」の「基板大好き」シリーズの一つとして公開されており、講演の進行もおにたまさんがなさっていました。聞き取りにくい部分が若干ありますが、コインマシンの歴史が語られている非常に貴重な記録です(動画はコチラ)。

この動画の冒頭で、赤木氏本人が直接、まさしく「アミューズメントマシン」紙ができた理由を説明されています。それによると、

・大阪と東京で交互に行っていたAM業界のショウが、1974年の秋、大阪の番の時に、当番に当たる事務局がギブアップしてしまった。

・それでは困るということで、「アミューズメント産業」を出版していた日本出版企画制作が「ゲームマシンショウ)」を開催した。

・しかし、何も媒体がないということで、「(現在のゲームマシン紙を)でっち上げた」。

・ショウは成功したが、その後のゲームマシン紙をどうするかと言う話になり、「広告主の存在もあり継続するしかない」と言う結論になり、「ゲームマシン」紙として存続した。

・業界団体の下請け会社(日本出版企画制作)が二種類の業界誌紙を出すことは矛盾するということから、ゲームマシン紙を刊行するのは「アミューズメント通信社」と言う別会社になった。

と言ういきさつがあったのだそうです。「でっち上げた」の言葉には謙遜も含まれているとは思いますが、当時の業界がまだ流動的で不安定な状態にあり、それを人々が懸命に支えて乗り越えてきた時代であったことを思わずにはいられません。

:赤木氏は「ゲームマシンショウ」と述べているが、ゲームマシン紙1975年4月30日号では「ゲームマシンフェスティバル(大阪)」と記述されている。

ゲームマシン紙1975年4月30日号に掲載された業界30年史。1974年に日本出版企画制作が「ゲームマシンフェスティバル」を開催したとなっている(赤枠内)。

ゲームマシンフェスティバル」については、ゲームマシン紙の創刊号から7・8合併号までで報じられており、同紙が創刊された経緯を知った上だと、従来とは異なった視点で改めて業界の変遷を感じることができます。なお、ゲームマシン紙のバックナンバーは、「ゲームマシンアーカイブ」から無料で読むことができますので、既に読んだことがある方も含んで、ぜひこの機会に改めて読んでいただき、AM業界の変遷に思いを馳せていただければと思います。

なお、この情報を教えてくださったyagiza#hatiiさん、本当にどうもありがとうございました。これからも何かお気づきのことがございましたら、よろしくご教示いただけますようお願いいたします。


AM産業と業界誌の謎(3)

2022年05月15日 22時11分38秒 | 歴史

先日、拙ブログでこれまでしばしばご紹介しているカナダのCaitlynからメールが届き、「前々回の記事に掲載されている『アミューズメント紙』がヤフオクで売りに出されている。何か有用な情報があるかも」と教えてくださいました。さっそく見てみると、そこに見本として掲載されている画像はワタシが保存している画像と一致しています。ワタシはそれらをTwitterで拾ったと思っていましたが、ここから拾ったものを勘違いしているのかもしれません。オークションの説明文には、

 ◆ アミューズメント 古新聞
 ◆ 日本アミューズメント工業協会
 ◆ 昭和レトロ  昭和44年5月 1969年
 ◆ 発行部数が、全日本遊園会員の会員誌の為、ほんのわずか
   一般娯楽業者には配布されませんでした

とありました。この中の、「日本アミューズメント工業協会」と、「全日本遊園会員」は、今後の調査において重要なキーワードになるかもしれないという予感がします。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
さて、ここからが前回の続きです。前回は、「次回はその複雑な業界団体の変遷について調べたことを記録しておこうと思います」と述べていますが、その時点のワタシは、日本のAM業界の団体の複雑さを本当に理解していませんでした。

日本の歴代AM業界団体は、昭和16年(1941)に設立された「児童遊園地協会」以降全部で16団体がありました。それらがさまざまな紆余曲折を経て、現在の17番目の団体「日本アミューズメント産業協会(JAIA)」に至っています。

しかし、過去の16団体には、類似する名称はもちろんのこと、全く同名、あるいは同じ略称を持つ団体が存在しており、それが離合集散を繰り返しているため、情報の収集と整理はしばしば困難を極めました。今でも本当にこの認識でいいのかと不安が残っているくらいです。

そのような団体を逐一前回記事のように説明するのは、いたずらに退屈な記事が長くなるだけになりそうな予感がします。そこで今回のシリーズは、これまでに判明した16の業界団体を成立順に一挙に列挙するとともに、どの団体がどんな業界誌紙を刊行してきたかを記録するにとどめて、結論としたいと思います。

①児童遊園地協会
 設立:昭和16年(1941)5月
 解散:昭和18年(1943)6月
 備考:遠藤嘉一が実質的なリーダー。
 
②日本遊園施設協会
 設立:昭和33年(1958)
 解散:昭和42年(1967)5月
 備考:この段階ではまだ全国的な組織にはなっていなかった。

③関西遊園施設協会
 設立:昭和37年(1962)
 解散:不明
 備考:→昭和42年(1967)、④全日本遊園施設事業協同組合(JRE)に吸収される。

④全日本遊園施設事業協同組合(JRE)
 設立:昭和41年(1966)
 解散:昭和46年(1971)
 備考:昭和42年(1967)、③関西遊園施設協会を吸収
 業界誌「全日本遊園」刊行

全日本遊園誌70年4月号表紙。

⑤日本アミューズメント工業協会(NAMA)
 設立:昭和42年(1967)
 解散:昭和46年(1971)
 備考:→⑦日本遊園施設協会とともに昭和46年(1971)⑧全日本アミューズメント協会
 業界紙「アミューズメント」刊行

アミューズメント紙 昭和44年5月1日号。Caitlynからの情報がさっそく活かされた。

⑥日本遊園施設工業協会
 設立:昭和43年(1968)1月
 解散:昭和46年(1971)
 備考:関東の業界団体。46年1月設立の⑦日本遊園施設協会に統合される。

⑦日本遊園施設協会(JREA)
 設立:昭和46年(1971)
 解散:昭和48年(1973)?
 備考:⑥日本遊園施設工業協会を吸収→⑩全日本遊園協会(JAA)に統合される。

⑧全日本アミューズメント協会(JAA)
 設立:昭和46年(1971)
 解散:昭和55年(1980) 
 備考:⑤アミューズメント工業協会と⑦日本遊園施設協会を統合。→⑩全日本遊園協会(JAA)へ
 業界誌「アミューズメント」刊行→⑩全日本遊園協会(JAA)刊行の「アミューズメント産業」へ。

アミューズメント誌創刊号 1972年1月号。

⑨日本オペレーターユニオン(JOU)
 設立:昭和46年(1971)
 解散:不明
 備考:1973に法人化、日本娯楽機械オペレーター協同組合に改称(JOUは変わらず)

⑩全日本遊園協会(JAA)
 設立:昭和48年(1973)7月
 解散:昭和55年(1980)
 備考:⑦と⑧を統合。会長遠藤嘉一。→⑪JAMMA、⑮NAO、⑯JAPEAへ
 業界誌「アミューズメント産業」刊行

現在のロゴとは異なる、アミューズメント産業誌76年3月号(上)。その奥付(下)は、体裁や所在地など前身の「アミューズメント」時代と共通する部分が多い。

⑪日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA) 1981~1989 →⑯JAMMAへ
⑫日本アミューズメントオペレーター協会(NAO) 1981~1985
⑬全日本遊園施設協会(JAPEA) 1981~1989
⑭全日本アミューズメントマシンオペレーター連合会→全日本アミューズメント施設営業者協会連合会(AOU) 1985~2018
⑮日本SC遊園協会(NSA) 1985~2012 2012年、⑬JAPEAとともに⑯日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)に統合。
⑯日本アミューズメントマシン協会(JAMMA) 1989~2018 ⑪JAMMA+⑬JAPEA+⑮NSA
⑰日本アミューズメント産業協会(JAIA) 2018~現在 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

以上がワタシの調査結果です。ここで特筆しておかなくてはならないのは、⑪の日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)までの業界団体のほとんどに、遠藤嘉一氏がキーパーソンとして関与していることです。戦前から一貫してAM産業の発展に寄与し続けた遠藤氏は、1977年に勲五等双光旭日章を授与されています。

遠藤氏の叙勲を報じるゲームマシン紙1977年5月15日号。

正直なところ、ワタシは遠藤氏がどんなことをされてきたのかについてはとんと無頓着でおりました。しかし、今回業界団体の歴史を調べていくうちに、日本が世界のAM業界をけん引するまでに至った過程で長年にわたって終始業界発展に貢献されてきたことがわかり、いまさらながらその偉業に感服いたしました。

なお、現在はウェブ上でバックナンバーを無料で公開していると呼ぶべきアミューズメント通信社の「ゲームマシン」紙も、全日本遊園協会(JAA)から分派してできたものだったと聞いたか読んだかしているのですが、確認できる情報が見つけられないまま時間切れとなってしまいました。この件について何かご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければありがたく存じます。

(このシリーズおわり)


AM産業と業界誌の謎(2)

2022年05月08日 19時52分45秒 | 歴史

前回は、4つのAM業界誌紙

 ◆「アミューズメント(新聞形式)」:発行者不明
 ◆「全日本遊園」:全日本遊園施設事業協同組合
 ◆「アミューズメント(雑誌形式)」:全日本アミューズメント協会
 ◆「アミューズメント産業」:全日本遊園協会

に触れ、「業界誌は業界団体の機関紙だが、その業界団体がコロコロ変わっていてなにがなんだかよくわからない」と言う趣旨を述べました。

そこで、日本のAM業界団体の歴史を調べてみたところ、完全に解明するには至らなかったものの、それでもある程度はわかったので、今回はAM業界団体の変遷を備忘録として残しておきたいのですが、その前に予備知識として、日本のAM業界の成り立ちをごく簡単におさえておきたいと思います(文中敬称略)。

大正時代から自動販売機などを製作販売していた遠藤商会(後の日本娯楽機製作所/ニチゴ)の社長、遠藤嘉一(1899~2001、以下遠藤)は、昭和3年(1928)、宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)で、係員が料金を受け取るとスイッチを入れるドイツ製のキディライドを見てインスパイアされ、翌昭和4年(1929)、コインを投入すると自動的に揺動を開始するキディライドを開発しました。

昭和5年(1930)、遠藤は、翌年にオープンを予定している浅草松屋に遊戯場を設置したいとの依頼を受け、設計技師たちと相談して、遊戯場を「スポーツランド」と命名することにしました。スポーツランドには、キディライドやミュートスコープ、菓子自販機などのコインマシンのほか、屋上には8人乗りゴンドラが付いたロープウェイも設置され、更に少しのちには豆機関車や、現在の遊園地でも見られる「コーヒーカップ」のような動きをする乗り物などの遊園施設も設置されました。

日本のAM産業はこの辺りから始まるわけですが、同時期には大型遊園機器の先駆者とも言うべき土井万蔵や、後に東洋娯楽機(後のトーゴ)を創立する山田貞一森周一若田部繁之助ら、その後のAM業界発展のキーパーソンとなる人たちが、遠藤を中心として互いに親密な関係にあったそうです。

このように、日本のAM業界は遊園施設をホームグラウンドとしていたことから、大型遊園施設とコインマシンは同じ産業とみなされており、現在も刊行が続く「アミューズメント産業」誌には大型遊園施設メーカーの広告が掲載されています。

最近のナウなヤングは、ビデオゲームと言うと家庭用ビデオゲームに限定して考えてしまうケースが少なからずあるようですが、対するださいオジンだって、コインマシンばかりがAM産業と誤解してはいないかという反省はあっても良いかもしれません。

遠藤の日本娯楽機製作所が昭和10年(1935)ころに制作したカタログ「日本娯楽商報」には、自社の娯楽機の納入先40カ所の名称が並んでおり、スポーツランドから始まった日本のAM産業の拡大を示しています。

昭和10年(1935)ころに制作された日本娯楽機製作所のカタログ「日本娯楽商報」の表紙(上)と納入実績のリスト(下)。

発展しつつあった日本のAM産業でしたが、昭和16年(1941)に勃発した太平洋戦争により一旦は活動がほぼ止まってしまいます。しかし、終戦から1年後の昭和21年(1946)には浅草松屋が再開してスポーツランドも再開にこぎつけ、翌昭和22年(1947)には東洋娯楽機が浅草花やしきを再開(再開直後は合資会社浅草花屋敷との共同運営で、昭和24年(1949)にから単独経営となり、「花やしき」に改名された)しています。土井万蔵も、昭和23年(1948)には活動を再開し、朝日新聞社が主催した「復興博覧会」に飛行塔や観覧車、回転ジープなどを出展しました。経済白書が「(昭和35年の消費内容で特徴的なこととして)レジャーブームの兆しが見えている」と指摘したのは昭和36年度(1961)版ですが、戦前に活躍していた人たちは、戦後まもなくからもうAM産業に新たな息吹を吹き込んでいたのでした。

さて、きわめて大雑把に日本のAM産業界を辿ってきましたが、実は太平洋戦争が勃発する直前の昭和16年(1941)5月には、遊戯機の安全管理にあたることを目的とする業界団体「児童遊園地協会」が設立されています。これは遠藤が実質的なリーダーとなっていたとのことですが、戦乱のさなかである昭和18年(1943)に自然解散してしまいました。

戦後、AM業界は再び活動を開始しましたが、昭和25年(1950)物品税の制度が改正され、遊園施設にも過大な税が課されるようになってしまいました(サラリーマンの月収が1万3千円ほどだった当時、セガは月に20万円くらいの物品税を支払っていたらしい)。遠藤はここでも業界のために大きな働きをしています。はじめは個人的に税理士に依頼して一部の物品税を免除するだけでした。しかし、一人で頑張っているだけでは限界があるとして、昭和33年(1958)に業界団体「日本遊園施設協会」を設立し、組織として物品税撤廃に取り組みます。遠藤はその運動に相当の私財も注ぎ込んだそうです。その結果、昭和37年(1962)に、大部分の遊戯機械の物品税撤廃を実現しました。

その日本遊園施設協会は、将来的に全国組織とすることを前提に、昭和42年(1967年)に解散するのですが、紆余曲折(その内容は不明)があり、すぐには実現できなかったようです。その間、関東と関西のそれぞれに団体が結成されていたそうです。これらのうち、関西の団体についての詳細はわからないのですが、関東の団体は日本遊園施設工業協会と称し、昭和43年(1968)に設立されています。

全国組織が実際に実現したのは昭和46年(1971)で、名称は「日本遊園施設協会」を引き継いでいます。会長には遠藤が就任しました。

すでにいろいろな団体名が出てきて混乱してきたので、ここまでに出てきた業界団体をまとめておきます。

①児童遊園地協会
 設立:昭和16年(1941) 解散:昭和18年(1943)
 目的:遊戯機の安全管理
 備考:遠藤嘉一が実質的なリーダー。
 
②日本遊園施設協会
 設立:昭和33年(1958) 解散:昭和42年(1967)
 目的:物品税撤廃を業界として運動するため
 備考:この段階ではまだ全国的な組織にはなっていなかった。

③日本遊園施設工業協会
 設立:昭和43年(1968) 解散:不明(昭和46年(1971)以前)
 目的:詳細不明
 備考:関東の業界団体。

④名称不明
 設立:不明 解散:不明(昭和46年(1971)以前)
 目的:詳細不明
 備考:関西の業界団体。

⑤日本遊園施設協会
 設立:昭和46年(1971) 解散:調査中
 目的:AM産業の全国組織として
 備考:遠藤嘉一が会長に就任。

日本のAM業界の成り立ちが思いのほか長引いたので、続きは次回とさせていただくことにいたします。

(つづく)


AM産業と業界誌の謎(1)

2022年05月01日 12時21分55秒 | 歴史

アミューズメント産業」という月刊のAM業界誌があります。創刊は1972年で、創刊号の表2ページ(表紙の裏)には、冒頭で「明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願い申し上げます」と謳うセガの広告が掲載されており、その発刊が正月前後頃であることが窺えます(関連記事:新年のご挨拶2021)。

アミューズメント産業の創刊号の表紙(上)と表2のセガの広告。この時点での誌名は「アミューズメント」。スキャンではなくカメラで撮影しているので画質が悪い。

創刊時の誌名は「アミューズメント」となっています。これがいつ「アミューズメント産業」に変わったのかはよくわかっていませんが、調べることはたぶん可能で、これはそれほど難しい謎ではないと思います。

ところで、比較的最近、ワタシは「アミューズメント」という名称の業界紙の画像をTwitterで拾いました。

Twitterで拾った業界紙「アミューズメント」の画像。アングルは補正してある。

TLが流れてしまってオリジナルのツィートが特定できず、未承諾のままでの転載となりますが、当座はなにとぞご容赦ください。オリジナルをお持ちの方からコメント欄にご連絡いただければ削除いたします。

このアミューズメント紙の発行時期や発行者を知りたいのですが、奥付部分は解像度が低く、判読が難しいです。

アミューズメント紙の奥付の拡大図。判読が難しい。

かろうじて「5月1日(木) 昭和44年 第十三号」までは読めるのですが、枠内の部分はほとんどわかりません。なんとなく、1行目は「発行所(者?)」で、2行目には「アミューズメント」の文字が入っているように見えます。3行目は発行者名、4行目以下が所在地と電話番号のように思えます。

ひょっとしてこの新聞形態の「アミューズメント紙」が雑誌形態の「アミューズメント誌」を経て、現在の「アミューズメント産業」に変わっていったのかもしれない。と思っていたところに、つい先日、拙ブログに時々英語のコメントをくださるカナダのCaitlynさん(関連記事:カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション)が「全日本遊園」という業界誌のPDFファイルをシェアしてくれました。

このとてつもない資料は、70年4月号(No.28)、5月号(No.29)、7月号(No.30)、11.12月号(No.32)、71年新年号(No.33)、4月号(No.34)をスキャンしたものです。彼女はこれらを、Discordサーバーを通じて友人から入手したと言っています。

全日本遊園1970年4月号の表紙。

「全日本遊園」の奥付には、「全日本遊園施設事業協同組合」の名があり、その中の全日本遊園編集局が出版していると記されています。

全日本遊園1970年4月号の奥付。「全日本遊園施設事業協同組合」と、「全日本遊園編集局」の名が見える。

さて、ここまでに4つの業界誌紙の名前が出てきて早くも混乱してきたので、一旦整理しておきます。

これまでに出てきた業界誌紙のリスト。

上記リスト中の「手元にある最古/最新の資料」は、ワタシの手元にある資料の中での最古及び最新の意味です。創刊と終刊の意味ではない点にはご注意ください。

これら4誌紙の関連について現在はっきりと言えることは、「アミューズメント産業」は、雑誌形態の「アミューズメント」から誌名が変更されたものであるということだけで、他の2誌紙との関連はまだ明らかにはできておりません。

業界誌紙は、AM産業の業界団体の機関紙として発行されているものですが、業界団体はその歴史上離合集散を含む再組織化が頻繁に繰り返され、そのたびに名称が変わっているので検証が厄介です。これは、日本にAM産業が生まれた当初の経緯から、AM業界には遊園施設、遊園設備、AMゲームが含まれており、それぞれのジャンルで独自に業界団体を持っていたことが大きく関係しているようです。

次回はその複雑な業界団体の変遷について調べたことを記録しておこうと思います。

(つづく)


ロングホーン・カジノのレストラン「チャックワゴン」

2022年04月24日 20時40分41秒 | 海外カジノ

GWが近づいてきましたが、今年ラスベガス定期巡礼には行けません。コロナ禍が始まった2020年の時点では「来年は行けるでしょ」などと軽く考えていたものでしたが、甘すぎました。仕方がないので、今回は2019年秋以来ご無沙汰しているラスベガスでの印象的なレストランを一つ記録して憂さを晴らしておこうと思います。

ワタシは過去に拙ブログで、ラスベガスのボウルダー・ハイウェイ沿いにある「ロングホーン」と言うカジノホテルに触れました(関連記事:ラスベガス半生中継・2017年9~10月 (1)出発前日~1日目)。開業は1989年と、決して老舗と言えるところではありませんが、併設されているレストラン「チャックワゴン」が魅力で、これまで何度も足を運んでいます。

ワタシが初めてこのレストランを利用したのは2012年のことでした。その時は、2個のロブスターテイルが付いたステーキを注文したのですが、値段は僅か$9.99で、その安さに驚愕したものでした。

2012年にチャックワゴンで注文したステーキ&ロブスター。ベイクドポテト1個と温野菜、それに溶かしバターが付いて僅か$9.99だった。ステーキ&ロブスターはその後も何度か注文したが、2回目以降はロブスターは1匹に減ってしまっていた。また、温野菜の内容は毎回違う。

チャックワゴンは、このステーキ&ロブスターだけでなく、パティ1ポンドのモンスターバーガー($9.99)や、隠しメニュー(と言ってもメニューに記載がないだけで表の看板には堂々と掲示している)のステーキディナー($5.99)などのシグネチャーメニューがあり、これ以降も、一人の時も、また同行者がいるときも、積極的に連れて訪れました。しかし、毎回行くたびに、これら看板メニューのなにがしかがいくらか値上がりしていることが少し気がかりでした。

チャックワゴンのシグネチャーメニューの一つ、パティが1ポンドのモンスターバーガー。左上:クラウンを取ったところ。 右上:掴むよりも掌に乗せる方が安定する大きさ。 下段:標準的なハンバーガーとの比較。左がモンスターバーガー、右はダウンタウンのカジノホテル「エル・コルテス」でのハンバーガー。

それでも、よそと比較すればまだまだ格安で利用価値の高いレストランだったので、ワタシはラスベガスに行くたびに1度は立ち寄っていたものでした。しかしそれも2019年の秋を最後に、以降はコロナ禍のためずっと巡礼できない状態が続いています。

巡礼はできずとも、 ネットを通じてラスベガスウォッチングは継続しています。しかし、どうもワタシが行けなくなった2020年以降、ラスベガスの物価は着実に上がっているように見えます。先日、現地在住の友人とSNSで話した時にこの感想を述べたところ、「確かに、最近はランチで10ドルで済む店は無くなっている」と言っていました。チャックワゴンもこの流れから外れておらず、現在のステーキ&ロブスターは$15.99、モンスターバーガーは$13.99になっています。

現地の物価高に加えて、最近はかなりの円安傾向が続いています。かつて、日本人にとっては極めて安く楽しめる観光地だったラスベガスは、今ではそれなりに費用を要するようになってしまっています。それでも次回行く機会があれば、ワタシはやはり一度はこのチャックワゴンに行くことでしょう。でも、それがいつのことになるのかは、まだ全然見当が付きません。