オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「Continental Bingo(Bally, 1972) 」の検証(1)

2021年05月16日 16時35分54秒 | スロットマシン/メダルゲーム

「今度のブログのネタ、どうしようかなあ」と手持ちの資料を漁っていたら、なんと昨年の9月に掲載した記事「Continental Bingo」(Bally, 1972)
で取り上げたスロットマシンの仕様書が出てきてしまいました。

Continental Bingo(Bally, 1972) のフライヤー。

ワタシはその記事の中で出鱈目な確率の試算をして後に慌てて訂正するというお粗末をやらかしていますが、それはつまり、当時のワタシはこの資料の存在を忘れていたということです。いや、忘れていたというよりも、むしろ知らなかったという方が心情的には正確な気がするほど、いつ、どうやって入手したのか、全く記憶にありません。この資料がどなたかからの頂き物だったとしたら、実に全く申し訳ないことです。

今回発見した仕様書は3種類あります。

一つ目は、各リールに配されているシンボルとその個数と、それだけを見ても何のことかはわからない部品番号が記されているものです。

二つ目は、仕向け地や仕様により異なる部品及びその部品番号の対応表です。ここで挙がっている部品には、リールストリップ(ここでは「TAPES」と書かれている)、コンタクトプレート(表出絵柄検知用基板)、それにインデックスホイール(表出絵柄検知用回転輪)など、全部で8種類が記載されています。

三つめは、当たり判定の回路図です。前の二つは画像ファイルでしたが、これだけpdfファイルです。ワタシは電気の知識は殆どなく、回路図を読み解くことはできないものの、ビンゴカード上で当たりが発生するラインごとにそれぞれ独立した判定回路があるくらいのことはわかりました。この変則的なスロットマシンの回路構成は、おそらく通常の機種とはずいぶん違うのではないかと思います。

これら三つのうち、今回はゲームの仕様を理解する上で最も重要な情報が記載されている、一つ目の仕様書を詳しく見て行こうと思います。

一つ目の仕様書から、5本ある各リールのそれぞれに、何のシンボルがいくつ配されているかが記述されている部分。

この画像の最上段に見える「#929-1」は、Continental Bingoのモデル番号(929)とその枝番です。上述の二つ目の仕様書によると、枝番1が付く機種は、ゲーム結果の払い出しを、ホッパーとクレジットカウンターのどちらかに切り替えが可能なモデルのことです。

次の段は、5つの各リールに配されているシンボルと、それぞれがリール上にいくつ配置されているかを示す見出しで、ペイアウト率が89.24%用と81.96%用の2種類があります。それにしても、高い設定でも90%未満とは、今の感覚ではずいぶん渋く見えます。一概には言えませんが、これは日本のメダルゲームと似たような水準です。

見出しに続く段には、リールに配されているシンボルの種類と、そのシンボルがリール上に配されている個数が、左から第1リール、第2リール・・・の順に記載されています。例えば第1リールには、「B、11、9、12、25、7」の6種類のシンボルが、それぞれ「3個、4個、7個、4個、1個、1個」配されているということです。すべてのリールは、1種類のスペルネームシンボルと5種類の番号シンボルで構成されており、どのシンボルも他のリールには存在しません。

★ここまでのポイント
・1つのリールには1~25までの番号のうちの5種と、B、I、N、G、Oのスペルネームのうち1種が配されている。
・複数のリールに配されている番号、またはスペルネームはない。

さて、これらが知れただけでも大収穫ですが、まだ確かめたいことがあります。フライヤーでは、95通りの勝ちパターンがあると謳っていますが、本当にそれだけあるかどうかを確認してみました。

Continental Bingo のトッパ―グラス。2種類のビンゴカードと、当たり役とその配当表が描かれている。

■レギュラーカード(通常ライン)
レギュラーカードには、9本の通常ラインと、1本のスーパーラインがあります。
このうち、通常ラインは、1本につき3通りの3-IN-LINE2通りの4-IN-LINE、それに1通りの5-IN-LINEの勝ちパターンがあります。つまり、1本の通常ラインには6通りの勝ちパターンがあるということです。それが9本あるのですから、通常ラインでの勝ちパターンは6×9=54通りがあることになります。
*レギュラーカードの通常ラインでの勝ちパターンは54通り。

■レギュラーカード(スーパーライン)
スーパーラインでの勝ちパターンは、10通りのANY 210通りのANY 35通りのANY 41通りの5-IN-LINEがあります。これらを全部足すと、スーパーラインでの勝ちパターンは26通りとなります。
*レギュラーカードのスーパーラインでの勝ちパターンは26通り。
*レギュラーカードでの勝ちパターンの合計は80通り。

■スーパーカード
スーパーカードには8本のラインがあり、1本につき1通りの3-IN-LINEがあるので、1×8=8通りの勝ちパターンがあるということになります。
さらに、スーパーカードには4つのコーナーが全部点灯するCORNERSが1通りあります。これらを足すと、スーパーカードの勝ちパターンは9通りとなります。
*スーパーカードの勝ちパターンは9通り。
*レギュラーカードとスーパーカードの勝ちパターンの合計は89通り。

■スペルネーム
スペルネームとは、「BINGO」の文字列が3個以上連続して並ぶと勝ちとなるフィーチャーです。スペルネームの勝ちパターンとしては、3通りの3個並び(B-I-N、I-N-G、N-G-O)、2通りの4個並び(B-I-N-G、I-N-G-O)、1通りの5個並び(B-I-N-G-O)があります。これらを足すと、スペルネームの勝ちパターンは6通りとなります。
*スペルネームの勝ちパターンは6通り。
*レギュラーカードとスーパーカードとスペルネームの勝ちパターンの合計は95通り。

以上で、確かにフライヤーが謳う通り、95通りの勝ちパターンがあることは確認できました。

しかし、スーパーカードはどうにでもなるとして、レギュラーカード上で80通りの勝ちパターンを実現するには、各リールの番号をどのように配置すれば良いのでしょうか。1本のライン上には、一つのリールに配されているシンボルを2つ以上配置することはできないことくらいはパッと思いつきますが、具体的な配置を考えるのはなかなか骨のあるパズルのように思えます。

そこで、ビンゴカードに配されている数字を、リール別に色分けして、その答えを可視化してみることにしました。

・・・と、ここまで述べたところで、今回は存外に長くなってしまいました。というわけで、残りは来週の更新に持ち越しとさせていただきます。よろしければみなさまも、レギュラーカードの番号の配置を考えてみていただければと思います。

(つづく)

 

コメント (3)

1980年前後のセガのビデオゲームいくつか

2021年05月09日 19時57分11秒 | ビデオゲーム

ただいま多忙のため、ブログ更新にあまり時間を割くことができません。そこで今回は、ワタシのセガのビデオゲームのフライヤーコレクションから、1980年前後のものをいくつかご紹介することでお茶を濁しておこうと思います。これらは、語れるネタがあまりないため今まで拙ブログでは取り上げずにいたものの一部です。

一つ目は、1979年のフライヤーです。表面には「CAR HUNT」、裏面にはその「CAR HUNT」と「DEEP SCAN」を1つのテーブル筐体に収めた「スペシャル・デュアルIII」が掲載されています。

「CAR HUNT」と「DEEP SCAN」を収めた「SPECIAL DIAL III」フライヤーの表と裏。

二つ目も同じく1979年のもので、「HEAD ON PART II」のテーブル筐体です。従来のヘッドオンは一方通行でしたが、パートIIでは「Uターン・ゾーン」が設けられ、反対方向に進むことが可能となりました。

「HEAD ON PART II」のフライヤーの表と裏。

三つめは1980年の「TRANQUILLIZER GUN」です。当時としてもお粗末なグラフィックだったし、ゲームとしてもそれほど面白いと思っていたわけではないのですが、なぜかそこそこやりこんでしまった記憶があります。

「TRANQUILIZER GUN」のフライヤーの表と裏。

元々喫茶店ロケに設置することを想定していたテーブル筐体が一般のゲームセンターにも普及し始めるのは1979年ころからですので、これらは比較的初期のテーブル筐体です。コントロールパネルを見ると、ジョイスティックが右、ボタンが左に付いています。タイトーや他のメーカーはジョイスティックを左に付けているものがほとんどで、その方が操作もしやすかったものですが、セガはなぜこのような仕様にしていたのでしょうか。

今回の最後は、今回の一つ目と同様、表と裏に異なるタイトルを載せたフライヤーです。表面はATARIの「WARLORDS」、裏面はビリヤードをビデオ化した「VIDEO HUSTLER」となっています。

「WARLORDS」と「VIDEO HUSTLER」を表裏に載せたフライヤー。

「VIDEO HUSTLER」の開発元は、実はコナミでした。当時のコナミはまだ弱小メーカーで、セガから売りだされていたタイトルは他にもあります。その中でも「FROGGER」はなぜか北米で大ヒットして、今でもパックマンなどと並ぶ往年の名作扱いされ、何年か前、カジノ業界で「スキル・ベースド・ゲーミング」が注目されていたころには、スロットマシンのテーマにも取り入れられています。

今回取り上げたのは、1979年から1981年のタイトルです。セガは1979年ころよりフライヤーの裏面に作成年を記述しており、資料として整理するときに大変ありがたいです。他のメーカーのフライヤーにはこのような配慮がない場合が非常に多いので、発表年を特定するのに苦労します。

コメント

サンフランシスコ・スロットマシン工房跡地巡りの記録

2021年05月02日 18時14分28秒 | 歴史

今年もゴールデンウィークがやってきました。平時であればラスベガスに巡礼に行くところなのに、COVID-19のせいでラスベガスはおろか国内旅行すらままなりません。昨年の今頃は、「まあ、来年には終息しているだろう」などと甘いことを考えていましたが、事態はむしろ悪化しています。手を尽くしてこうであるならともかく、今の行政は殆ど何もしていないように見えるのが、いいかげん腹立たしくなってきました。

2010年のゴールデンウィークのことです。
ワタシはラスベガスに行く際にサンフランシスコ空港(SFO)で乗り継ぎがあることを利用して、ついでに19世紀から20世紀初頭にサンフランシスコのベイエリアに集中していたスロットマシンメーカーの跡地を訪ねてみることにしました。

こんな酔狂を思い立ったきっかけは、スロットマシンの歴史本としておそらく最も普及している「SLOT MACHINES A Pictorial History of the First 100 Years」という本の中に、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてサンフランシスコに存在したスロットマシンメーカーの地図「サンフランシスコ 1892-1906 スロットマシンの峡谷 (San Francisco 1892-1906 SLOTMACHINE GULCH)」があったからです。

「SLOT MACHINES A Pictorial History of the First 100 Years」に掲載されている、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてのサンフランシスコにあったスロットマシンメーカーの地図。この図は第5版の25ページより。同じ図は他の版にも掲載されており、現在は第6版が容易に入手可能。

過去記事「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアムの記憶(1/3):プロローグ」でも述べているように、この時期、サンフランシスコはギャンブルがまったく野放し状態で、男が出入りする場所ならどこでも1台以上のスロットマシンがあったそうです。Google mapで現在のこのあたりの地図を見ると、道筋自体は当時とほとんど変化がありません。そこで、効率よく巡礼する順番を一覧できる自家製マップを作成し、現地に向かいました。

自家製の巡礼マップ。全部で18カ所が、サンフランシスコのベイエリアに集中している。

成田空港を発ったUA便は、SFOへは朝に到着します。荷物をリチェックしたのち、空港から市内に直接行ける「BART」という鉄道に乗るのですが、チケットが何種類もあって多少まごつきました。それでもなんとか無事にモンゴメリ通り駅までの切符を買って乗り込みましたが、車内アナウンスがほとんど聞こえず、うっかり乗り過ごしたりせぬよう常に注意を払っている必要がありました。

モンゴメリ通り駅に着くと、弱い雨が降っていたので、雨宿りを兼ねて「BOUDIN」というレストランで朝食をとりました。この店はSFOの中にも店を出しており、サワードゥという酸味のある丸いパンをくりぬいて、中にサンフランシスコ名物のクラムチャウダーを注いだものが名物です。

BOUDINの名物。ワタシは「クラムチャウダー イン ブレッドボウルをくんろ」と注文しているが、実は正式の商品名はいまだに知らない。

BOUDINを出ると、雨は上がっていました。まず最初に、現代スロットマシンの要件を規定したとされる「リバティ・ベル」が製作されたという、チャールズ・フェイの工房跡地[1]を目指します。そこは現在、地下駐車場の出入り口の脇となっており、カリフォルニア州の937番目の史跡として記念碑が建てられています。

フェイの工房跡地と記念碑。

以降は、原則としてここから近い順に回っていきました。赤い文字は、スロットマシンのアンティークの本によく出てくる名前です。同じ名前が複数出てくる場合もありますが、間違いではありません。


(1)=[2] Royal Card Machine Co. 
(2)=[3] Schultze
(3)=[4] Holtz
(4)=[5] Holtz & Fey


(1)=[6] T.F.Holtz
(2)=[7] Novelty Machine Works
(3)=[8] Holtz & Fey
(4)=[9] Caille


(1)=[10][11] Wattling, Schultze
(2)=[12] Novelty Machine Works
(3)=[13] Mills Novelty
(4)=[14][15] Bracford Novelty, Reliance Novelty


(1)=[16] Chicago Slotmachine
(2)=[17] Monarch Card Machine
(3)=[18] Royal Novelty

特に大通り沿いの建物は現代的な高層ビルになっているところが多く、当時の面影はありませんが、中には時代を感じさせるビルもあり、ひょっとしたらここで、今ではアンティークとして人気があるスロットマシンが作られたりしていたのかなあと想像してみたりしました。

市中から空港方面に向かうBARTには4種類の線があり、空港に向かう線は一つしかなく、土地勘がないとうっかり乗り間違えそうに思われたので、少し早めに空港に戻りました。興味のない人には大して面白くもないであろうこの酔狂に、嫌な顔もせず付き合ってくれた女房には、心よりありがとうと言いたいです。

それにしても、次にラスベガスに行けるのはいったいいつになるんだろう。現地からの情報では、ラスベガスでは賑わいがすっかり戻ってきているとのことですが、それというのも地域挙げてワクチンの接種を進めているからです。それに比べて、ろくに手を打たない日本の行政にはまったく腹が立ちます(大事なことなので二回言いました)。

コメント (2)

タイトー初のビデオスロット「スーパーレインボー(1981)」

2021年04月25日 21時01分47秒 | スロットマシン/メダルゲーム
拙ブログでは、日本のAM業界にメダルゲームというジャンルが確立されたのは1972年と認識しています(関連記事「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)。メダルゲーム機の殆どは外国製でしたが、1974年にはセガが初の国産メダルゲーム機となる「ファロ」を発売(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)し、翌年の1975年にはタイトー、任天堂、ユニバーサルもメダルゲームに参入しました。

業界のトップランナーであったセガは別格としても、任天堂はEVRレースで当時のメダルゲーム場を席巻し、ユニバーサルも業界誌で大々的に広告を打ち続けるなど積極的にメダル機をアピールしていました。しかし、タイトーだけは後々まで語り継がれるようなメダル機がなく、かといってユニバーサルのように継続的に広告を打つわけでもないまま、まるで昼行燈のようにただそこに立ち続けるだけで、さらには1977年以降はしばらくの間メダルゲーム機の開発をしていません。これはおそらく、その後に訪れたビデオゲームブームにより、社内のリソースをビデオゲーム開発とロケーション開拓に振り向けていたからだと思います。

タイトーが再びメダルゲーム機を売り出すのは、1981年になってからのようです。この年タイトーは、「スーパーレインボー」と称するビデオスロットのシリーズで、「スパコン」と「5ライン」の2機種を発売しました。

 

「スーパーレインボー・スパコン」のフライヤーと筐体部分の拡大(画面画像はオリジナル位置より移動させています)。

 

「スーパーレインボー・5ライン」のフライヤーと筐体部分の拡大。


ワタシはこの2機種を、かつて新宿歌舞伎町にあった「ルナパーク」というゲーセンで見ています。ビデオスロット自体は、遅くとも1978年ころには米国Fortune Coin社製の機械が日本に入ってきており、さらに1980年にはsigmaが米国Sircoma社と提携した「TV-Slot 5Line」を発売しているので、この頃には既にその新奇性は薄れていました。

さらにスーパーレインボーシリーズの2機種は、どちらもBally社の既存のスロットマシンをビデオに置き換えただけのようでした。しかし、ラメの入ったFRP素材を前面に配した筐体と、そこから突き出るレバーは、それ以前のスタンダードであったBally社の筐体とは一線を画す、斬新なものに見えたので、ワタシは多少プレイしています。レバーの可動域となる隙間の部分には、指などが入らないように、蛇腹状の可動性のマスキングが施されていましたが、このマスキングが正常に動作せず、「故障中」となっているところも見た覚えがあります。

タイトーはこのスーパーレインボーを皮切りに再びメダルゲーム機の開発を始めましたが、世間をアッと言わせるような大型タイトルを出すわけでもなく、そのスタンスは77年以前とあまり変わったようにも見えませんでした。

そんなタイトーに変化が感じられるようになるのは、1986年に発表した「インスピレーションベースボール」からです。これはハッタリの効く大型機で、豪華なフライヤーも作ってアピールしましたが、残念ながら量産されることはありませんでした。その後もどうしたことかこれと言ったヒット作に恵まれないのは相変わらずで、プッシャー系で時々、いくらか話題となるものが出てくる程度であったのは、大メーカーにあって不思議なことでした。


コメント

オモロン西新小岩店の記憶

2021年04月18日 20時31分13秒 | ロケーション
2005年8月、ワタシは総武線新小岩駅を最寄り駅とするゲームセンター、「オモロン西新小岩店」を訪れています。ここは、この時点でもはや希少種となっていたピンボール機を多く設置しており、ときおりピンボール大会も開催している奇特なロケであると聞き、これは一度みてみなければなるまいと思ってのことでした。


オモロン西新小岩店の外観。緑一色の派手なビルだったが、今はいたって普通のベージュ色で、「業務スーパー」になっている。

ワタシはここで相当数の写真を撮影したはずなのですが、現在手元にはなぜか30数枚しか残っていません。この事実に気づいたのは2010年ころのことでしたが、「そのうちまた行けばいいや」と延ばし延ばしにしているうちに、オモロン西新小岩店は2014年1月31日に閉店してしまい、後悔先に立たずの言葉通り、取り返しのつかない大きな後悔となっています。

「オモロン」は、90年代のAM業界誌でその名前をしばしば見た記憶があり、ゲーム機のディストリビューターを本業としていた会社だったと思ったのですが、今となってはあやふやです。ネット上を調べても、有用な情報がほとんど記載されていない企業情報が少しヒットするだけで、現存するのかどうかすらよくわかりません。こうなると、あとは国会図書館に行って昔のコインジャーナル誌でもひっくり返して調べたいところですが、コロナ禍の昨今はそれもなかなかままなりません。

というわけで、今回の記事は歴史資料としてはあまり役に立ちません。それでも、かつてそんなロケがあったということを記録しておく意味で、半ば無理やり記事に仕立て上げておきます。

オモロン西新小岩店の建物自体は3階建てで、ワタシの記憶では、2Fがメダルコーナー、3階がピンボールといくらかのプライズ機やビデオ筐体が並んでいました。1Fがどうであったかは覚えていません。

3Fのピンボール機は、10台くらいあったように記憶していますが、残っている画像が不完全で、全容がわかりません。ただ、左右の窓から入って来る外光でなかなか良い絵が撮れなかった印象が残っています。


ピンボール画像その1。手前からStar Wars Episode I(Williams, 1999)、Black Rose(Bally=Midway=WMS, 1992)、Twilight Zone(Williams, 1990)、World Cup Soccer(Bally=Midway=WMS, 1992)。

Black RoseとWorld Cup Soccerの2機種は、バックグラスにはBallyのロゴが描かれていますが、IPDBはMidway社製品としています。この時期、Bally社のピンボール部門はWilliamsの親会社であるWMS社に買収されており、ブランド名だけ残っているもののため、表記がややこしくなっています。

似たような現象は2010年代半ばにスロットマシン業界にも起きており、それまでライバル関係だったBallyとWMS(Williamsの親会社)はScientific Games社に買収されてしまいました(関連記事:新・ラスベガス半生中継 2016年9月(5) コンベンション初日)。


ピンボール画像その2。奥に見える左からFish Tail (Williams, 1992)、Cirqus Voltaire(Bally=Midway=WMS, 1997)、Medieval Madness(Williams, 1997)、不明。

これらの他にも、少なくともJokerz!(Williams, 1988)Attack From Mars(Bally=Midway=WMS, 1997)などもあったはずなのですが、画像が見当たりません。実に全く痛恨の極みです。

ビデオゲームは、脱衣麻雀とレトロゲームが多かったです。

麻雀ゲームコーナー。これ以外にも脱衣麻雀がいくつかあったはずだが、それらの画像も見当たらない。




コナミのドーミー筐体に入ったビデオゲーム。ファンタジーゾーン(セガ、1986)、新入社員とおる君(コナミ、1984)、エキサイティングアワー(テクノスジャパン、1985)、ナムコクラシックコレクションVol.1(ナムコ、1995)。ほかに、ドラゴンスピリッツ(ナムコ、1987)があったことも覚えている。

2Fのメダルコーナーには、sigmaのメカスロが残っていました。

sigmaのメカスロ。Now PlayingとDouble Cherries。共に1980年代終わりころの機械で、同名のビデオ版もあった。

最後に、記憶がないはずの1Fにあったことは確かだとなぜか確信がある、「サブマリンキャッチャー(ユーエス産業、2000)。

サブマリンキャッチャー。

サブマリンキャッチャーは、活きたイセエビをつかみ取るプライズ機で、別名「イセエビキャッチャー」とも呼ばれていました。これが発表された当初、「イセエビがゲームセンターの景品として認められる上限800円で収まるのか」という議論が行われましたが、供給側は「問題ない」としていたものでした。ワタシはこれを、ラスベガスの「Las Vegas Club (現Circa)」というカジノに設置されているのを見たことがあります。
コメント (4)