オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【予告】4年ぶりのG2E見物とブログお休みのお知らせ

2023年09月10日 19時26分26秒 | その他・一般

来たる10月8日より、G2Eショウ(ギャンブル業界の見本市。参考記事:新ラスベガス半生中継2019年G2Eショウ(3) DAY 2:G2Eショウその1他)を目当てにラスベガスに行ってまいります。最後に行ったのは2019年の秋(その顛末は上述参考記事参照)なので、実に4年ぶりとなります。これだけブランクができたのは偏にコロナ禍による渡航制限のためですが、G2Eショウ自体は一昨年より再開しています。ワタシにとって失われたこの4年の間に、カジノ業界にどんな変化が起きているのかそれとも起きていないのか、興味が尽きません。

例えば、これは2019年のG2Eショウより、NEXT GAMING社のブース。「スキルベースド・ゲーミング」をモノにしようと、ATARIやタイトーのビデオゲームにペイアウトを付けたゲームを出展していたが、果たしてその後はどうなっているのだろうか。

しかしその4年間のうちに、ラスベガス旅行の事情は、特に費用面で大きく変わりました。まず、以前は往復15万円でも高いと思っていた飛行機代が、今は運賃値上げと原油高による燃油サーチャージの高騰で、合計で30万円近くになっています。

また、ラスベガスの物価が、食費は1.5~2倍、ホテル代は2~4倍と爆発的に高騰しています。例えば、以前は8ドルだったハンバーガーは15ドル、一泊50ドルだったホテルは100ドルから200ドルと言う具合です。

例えば、2018年10月にサンコーストのボウリング場のスナックバーで食べたダブルチーズバーガー。この時点では8.99ドルだったが、現在は13.99ドル。

さらに、テーブルゲームのミニマムベット額が軒並み高くなっているとも伝わって来ています。かつてはミニマム5ドルが当然にあったダウンタウンでも、今ではミニマム10ドルが最低線で、それでも安い方なのだそうです。ミニマムベットを変えられないマシンゲームの場合は、ペイアウト率を落とす対応をしており、特にダウンタウンはこの傾向が顕著で、今では悪名高いストリップエリアよりペイアウト率が悪くなっている(平均値での比較)という報告があります。また、フルペイのビデオポーカーでは会員ランクの査定の基準となるポイントを付けないようにするなど、とにかく渋い方向の変化が激しいです。

そしてこれに、2019年秋には1ドル=107円くらいだった為替相場が、今は1ドル=148円とおよそ1.4倍の円安となって追い撃ちがかけられます。これはつまりドルベースでの滞在費用が1.4倍になったということで、これに物価高騰を併せると、滞在費及び遊興費は従来の2倍以上が必要となります。

飛行機代、滞在費、ゲーム費用、それに円安のクアドラプルパンチで、我々日本人にとってかつては比較的気軽だったラスベガス旅行は、今ではそれなりの費用を要する高級品となってしまいました。最近の日本を訪れる外国人観光客が「日本は安くて良い」と評価しているらしいですが、我々はその真裏にいることを実感します。

愚痴ばかりになりましたが、そんなわけで、10月8日と10月15日は、拙ブログの更新をお休みとさせていただきますので、なにとぞご了承ください。ラスベガスの現況及びG2Eについては、10月22日以降に順次拙ブログ上でご報告いたします。


【小ネタ】次回予告:オールドゲーム機がやって来る!

2022年11月20日 21時00分05秒 | その他・一般

先月末の記事「お知らせと過去記事の補足をいくつか」でお知らせしていた通り、今週末は18日(金)より東京を離れ、本日20日(日)に戻ってまいりました。そのため、今週の拙ブログの更新にはほとんど着手できずにおります。

かと言って、毎週日曜日更新を目指している拙ブログとしては何もしないでいるのも不本意です。実は今回の旅行では、拙ブログ始まって以来の一大イベントともいうべき出来事があり、本来であればその件についての記事をアップしたいはずのところなのですが、いかんせんまだ記事の素材が揃っておりません。そこで今回は、次回の予告編として思わせぶりな画像をいくつか挙げてお茶を濁しておこうと思います。

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この週末、ワタシは成田空港から飛行機に乗って、

こんなところとか

こんなところ、

あるいはこんなところに行ったりして、

こんなものを食べたりしていました。

もちろんメインの目的は他にあって、それはある古いゲーム機を受け取りに行くことでした。どんなゲーム機かと言うと、

バックドアを開けるとこんな機構があったり、

インクの色が抜けて判読が難しい検印ステッカーがあったり、

筐体内にはなぜか大量の10円硬貨が入っていたりしました。更に機構の一部をアップにすると、

こんなものが見えていたりもします。

察しのいい皆さんにはもうバレバレかとは思いますが、ブツが手元に届き、機械を十分に撮影した上で、来週の更新で詳細をお伝えしたいと思いますので、恐縮ですが今しばしお待ちください。


プライズの上限価格、21年ぶりに改訂

2022年03月05日 21時51分53秒 | その他・一般

*毎週日曜日更新を目指す拙ブログですが、次の日曜日はお出かけの予定があるので、今日のうちに更新しておきます。

業界誌「アミューズメント産業」1975年10月号には、ゲームセンターのオペレーターの業界団体である「日本娯楽機械オペレーター協同組合(略称JOU・ジョウ)」によるプライズ機の景品の広告が掲載されています。

アミューズメント産業1975年10月号に掲載されている、JOUによるプライズ機の景品の広告。今ではメジャーとなったベビースターラーメン(この当時は10円だったと記憶している)も見える。

この頃、ゲームセンターのプライズマシンが提供できる景品の市価は、「ゲーム料金の3倍」とされていました。当時のゲーム料金は10円が相場でしたから、景品は30円が上限と言うことになります。

しかし、ゲームの結果によって景品を獲得するという遊技は風俗第7号営業(現在の4号営業≒パチンコ店)に限られているはずで、ゲームセンターのプライズ機は風営法違反となりかねない営業です。この矛盾を解消するため、プライズ機が風俗7号営業とされていた時代が70年代の前半頃にあったはずなのですが、その具体的な時期や風俗営業から外された理由などの詳細は判明しておらず、ワタシにとって究明すべき謎として残されています。この件についてご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひお話をお聞かせください。

プライズ機の景品の上限価格は、その後200円、300円、ワタシの思い違いで、300円時代はどうもなかったようです(3/9追記))500円と時代に合わせて上がり続けてきましたが、それらは警察庁から口頭で業界のトップに伝えられるのみで、明文化されたのは2001年に通達された解釈運用基準からです。この時に「物品の市価」は「おおむね800円」とされ、長い間これが上限とされ続けてきました。

それが去る3月1日、警察庁生活安全局は、プライズ機が提供できる物品の小売価格を「おおむね1000円」に引き上げる通達を各都道府県警察などに送りました。

3月1日に通達された風適法解釈運用基準から、プライズ機が提供する物品の市価に言及している部分。

規制が緩むこと自体は歓迎できますが、しかし、この200円アップによりどの程度の変化が現れるのかはなんとも見当が付きません。日本の経済は長いあいだデフレと言われており、最近は所得は伸びない(むしろ下がっている)のに物価は上がるというスタグフレーションの様相を呈しつつあります。そんな中、アジア諸国の所得は伸び、既に日本と同等もしくは超えている部分もあるそうです。今回の規制の緩和が、上限価格800円では景品のレベルを維持できないことの現れではないかと言う不吉な懸念を感じますが、どうかこれが杞憂でありますように。


2021年のハイライト

2021年12月26日 20時27分50秒 | その他・一般

ご高覧くださっている皆様に励まされ、今年も1年なんとか続けることができました。本当にありがとうございます。今年最後の更新は、今年アップした記事の中からハイライトをまとめてみようと思います。

【スロットマシン/メダルゲーム】関連
今年は7件を追加。sigmaが頒布していたビンゴ・ピンボールの遊び方を解説するフリーペーパーをeメールを介してお分けする企画では、予想を超えるお申し込みをいただきました。その節はありがとうございました。
・「sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985)」(7/18)

また、おそらくこれが「初期の国産メダルゲーム機」シリーズ最後となるであろう
初期の国産メダルゲーム機(10)プント・バンコ(SEGA,1975)」(8/1)
も公開しました。


【ピンボール・メカ】関連
こちらも今年は7件を追加。「初期の国産フリッパーピンボール機」シリーズが本格始動しました。
・「初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971)」(2/14)
・「初期の国産フリッパー・ピンボール機:サッポロ(セガ、1971)」(7/4)
・「初期の国産ピンボール機:エクスプローラー(セガ、1972)【在庫整理】」(12/12)

また、カナダ在住のCaitlynさんからメカに関する情報をたくさんいただきました。
・「IPDB、こまやなど日本製5機種をリストに追加」(1/17)
・「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」(1/24)
・「【追加・訂正】「カナダからの手紙 with オールドゲームコレクション」に情報追加(その1)(その2)」

【歴史】関連
拙ブログで最も重視しているカテゴリーで、今年は10件を追加しました。そのうち6件は、2002年に開催された「パチンコ・パチスロフェア2002」で行われていた、パチンコの歴史を紹介するパネル展示でした。
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(1):宝くじ(久野義博、1948)」(8/8)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(2):昭和7年のパチンコ機製造現場」(8/15)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(3):終戦直後(昭和20年代)のパチンコ」(8/22)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」(8/29)
・「【号外】「PPフェア2002より昭和のパチンコ(4):昭和30年代」の補完情報」(8/30)
・「PPフェア2002より昭和のパチンコ(5):昭和40年以降」(9/5)

 

また、6月には「パチンコ誕生博物館」館長の新刊「ものとものと人間の文化史 186 パチンコ」が発刊されました。

・「法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介」(6/13)

【ビデオゲーム】関連
今年の追加は3件。セガロゴが現在のものに変わった時期の混乱に言及しました。
・「【小ネタ】「ROAD RACE」(SEGA, 1976)とセガロゴの話」(10/9)

また、今では生活必需品となっているコンピューターが、まだ一般民衆にとって魔法の技術だった時代は記憶しておきたいものです。
・「TRON(Bally/MIDWAY, 1982)」(10/31)

【ロケーション】関連
今年は2件を追加しましたが、どちらも意外なほど大きな反響をいただきました。
・「オモロン西新小岩店の記憶」(4/18)

・「ロンゴロンゴ(sigma, 1993):最もバブリーなロケーション」(9/19)

【メーカー・関連企業】関連
今年は、全カテゴリー中最も多い15件を追加。号外を含んで7回にも及んだ「Sega Price List 1977」シリーズは海外からのアクセスも非常に多くありました。
・「Sega Price List 1977(1):表紙と会社案内系その123456号外」(3/7~4/11)

また、富士電子のダイスゲームと「1960年代のTAITOシリーズ」は、ご高覧くださる方々からたくさんの情報をいただき、多くの謎が解明されました。
・「富士電子工業(FDEK)のダイスゲームとその後」(10/16)
・「1960年代のTAITO(1):1964-1967【情報求む】」(11/7)
・「1960年代のTAITO(2):1968-1969【情報求む】」(11/14)
・「1960年代のTAITO(3):追加情報その1」(11/21)
・「1960年代のTAITO(4)追加情報その2」(11/27)
・「1960年代のTAITO(5)追加情報その3」(12/6)

【海外カジノ】関連
Covid-19のせいで、丸2年もラスベガスに行けておりませんが、今回は2005年に解体されてしまった老舗カジノホテル「ウェストワード・ホー」の想い出1件を追加しました。
・「ウェストワード・ホー(ラスベガス)を懐しむ」(6/20)

【その他・一般】関連
今年は、閉鎖の危機に瀕する聖地存続のための募金をお願いしました。
・「貴重なゲーム遺産施設の存続にご寄付のお願い2件」(2/21)

もうひとつ、2月には拙ブログが5周年を迎えたということで、記念の記事を挙げましたが、残念ながらあまり反響はありませんでした。
・「ブログ開設5周年/PHoF移転資金目標額達成/アマゾニアン(Sega, 1978)」(2/28)

なお、次の日曜日は元旦につき更新はお休みさせていただき、次回更新は1/8の予定とさせていただきますので、なにとぞご了承ください。皆様におかれましては、どうぞ良い年をお迎えいただけますように。