オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

SEGA MAD MONEYがやって来た!(1):ここに至るまでの経緯

2022年11月27日 16時28分25秒 | スロットマシン/メダルゲーム

さる9月、拙ブログをご高覧くださったある方から、「我が家にあるセガのMAD MONEYを譲りたい」とのオファーをいただきました。

MAD MONEY(関連記事:【小ネタ】セガ・マッドマネーとアルフレッド・E・ニューマン(Alfred E. Neuman))。「ダルマ筐体」とも呼ばれるこの筐体を、拙ブログでは「スターシリーズ筐体」と呼んでいる。

この時のワタシの心の動揺は、楽器店のショウウィンドウに陳列されているトランペットを飽かず眺める黒人の少年が、見知らぬ紳士から突然「これを君にあげよう」と言われた時の心境を想像していただければよろしいかと思います。

スターシリーズ筐体の左右両側面。

お声がけくださったのは愛媛県の方で、仮にKさんとしておきます。Kさんはこれを、セガの前身であるサービスゲームズ・ジャパン関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(2) 4つの「Service Games」)の専務だったS原さんと言う方から、かつて日本の米軍基地で稼働していたものとして譲り受けたとのことです。

スターシリーズ筐体の背面。メンテナンスはこちらから行う。

しかしKさんは「MAD MONEY」にどのような謂れがあるのかをほとんど知らず、自分なりに調べてはみたものの役に立つ情報を得ることができないまま今日に至っていたのだそうです。それが最近、ふと思い出してまたネット上を検索してみたら拙ブログがヒットし、長年の謎の答えをやっと知ることができ、そして「我が家のMAD MONEYも家で眠っているよりもちゃんと価値のわかる人の所にあるべき」と決心して、ワタシにお声がけくださったのでした。

背面のドアを外して内部を覗いたところ。どこもかしこもピカピカに整備されている。

この上なくありがたいお志ですが、しかし、ワタシには二つの問題がありました。一つは保管場所の確保です。単体では小さく見えるスロットマシンも、居住空間に持ち込むと結構なスペースを占有するので、狭い我が家には置けません。可能性のありそうなところをいくつか当たり、某オフィスで置いても良いと言っていただけるところを見つけて、この問題は解決しました。

もう一つの問題は輸送手段です。最初に問い合わせたY運輸は、「当グループではスロットマシンを禁制品に指定しております」と言われて断られました。以前は取り扱っていたものの、どうも個人間でやり取りするパチスロ機の輸送でトラブルが少なからず発生して方針を変更したらしいです。その後に問い合わせた他の運送会社でも次々と断られ、やっとS運輸が「補償なし、営業所止めであれば」との条件で受けてくれることになりました。

MAD MONEYのトッパ―部分。このゲームの最大のフィーチャーが掲げられている。

問題はクリアしたとは言え、これだけの重量物(コミコミで約60㎏)を運送業者まで運ぶだけでも結構な労力を要しますので、「あとはKさんに全てお任せ」と言うわけにはいきません。ワタシが人足として働かなければバチが当たりますし、何より直接お会いしてお礼を申し上げたいこともあって、先週末、女房を伴って愛媛に行ってまいりました。

松山空港に到着すると、有り難いことにKさんが車でお迎えに来てくださっていました。まずはホテルまでお送りいただいてチェックインし、その後、実機の保管場所に行って発送の最終準備をするという段取りでした。しかし、保管場所に到着してみると、Kさんは既に土台の木枠とかぶせる段ボール箱を作成されており、あとは車に積んで運ぶだけの状態まで整えておいてくださっていました。

その夜は、Kさんが行きつけだという「赤ちょうちん」という屋号のおでん屋に入り、松山名物のじゃこ天やらかまぼこやらのおでんをいただき、時には初対面の他のお客さんとも楽しく談笑しながら過ごして初日を終えました。

上からじゃがいも、牛すじ、肉団子、カマボコ。からしは味噌を練り込んだ自家製。写真にはないが、じゃこ天とロールキャベツもおいしい。

翌日、Kさんの車にMAD MONEYを積み込んで運送会社に持ち込んで発送しました。我々はこの日も松山にとどまり、翌朝に東京へ戻る旅程であったところ、Kさんは「空港までの交通機関は貧弱だから」とおっしゃって、なんと我々が帰京する日の朝もホテルまで車でおいでになり、空港まで送ってくださいました。機械をお譲りいただくだけでもこの上なくありがたいことなのに、万事至れり尽くせりのご親切を賜り、何とお礼申し上げればよいのか言葉が見つかりません。Kさん、その節は本当にありがとうございました。機械は無事到着し、某オフィスに設置されております。これからも重要な歴史資料として大切に保管させていただきます。

(つづく)

 

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【小ネタ】次回予告:オールドゲーム機がやって来る!

2022年11月20日 21時00分05秒 | その他・一般

先月末の記事「お知らせと過去記事の補足をいくつか」でお知らせしていた通り、今週末は18日(金)より東京を離れ、本日20日(日)に戻ってまいりました。そのため、今週の拙ブログの更新にはほとんど着手できずにおります。

かと言って、毎週日曜日更新を目指している拙ブログとしては何もしないでいるのも不本意です。実は今回の旅行では、拙ブログ始まって以来の一大イベントともいうべき出来事があり、本来であればその件についての記事をアップしたいはずのところなのですが、いかんせんまだ記事の素材が揃っておりません。そこで今回は、次回の予告編として思わせぶりな画像をいくつか挙げてお茶を濁しておこうと思います。

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この週末、ワタシは成田空港から飛行機に乗って、

こんなところとか

こんなところ、

あるいはこんなところに行ったりして、

こんなものを食べたりしていました。

もちろんメインの目的は他にあって、それはある古いゲーム機を受け取りに行くことでした。どんなゲーム機かと言うと、

バックドアを開けるとこんな機構があったり、

インクの色が抜けて判読が難しい検印ステッカーがあったり、

筐体内にはなぜか大量の10円硬貨が入っていたりしました。更に機構の一部をアップにすると、

こんなものが見えていたりもします。

察しのいい皆さんにはもうバレバレかとは思いますが、ブツが手元に届き、機械を十分に撮影した上で、来週の更新で詳細をお伝えしたいと思いますので、恐縮ですが今しばしお待ちください。


Ballyの蹉跌:WINNERS CIRCLE

2022年11月13日 21時32分20秒 | ピンボール・メカ

拙ブログではお馴染みの、カナダのCaitlynから、Ballyの「WINNERS CIRCLE」というとても興味深いゲーム機の画像をいくつかいただきました。

画像1:「WINNERS CIRCLE」を正面から見たところ。元の画像を正面アングルとなるように補正しているので、縮尺が若干狂っているかもしれない。

画像2:盤面の部分のアップ。下段中央に近い2カ所の緑のポケットの上に、釘を抜いたと思しき跡が見える。

 

画像3:盤面右上と、コインカップ前面に見える「Bally」のロゴ。

画像4:赤、黄、緑に色分けされた電光競馬ゲームのような表示板。

画像5:ハンドル部分。日本の手動式パチンコのハンドルを真似たと思われるが、形状がずいぶん異なる。

画像6:ゲームのインストラクションプレート。超訳すると、

1. トークンを投入する。
2. 「WIN」と「PLACE」の馬が自動的に選択される。
3. WINの馬がまず1着となり、続いてPLACEの馬が2着となるように球を打ち出し、入ったポケットと同色の馬が進む。
4. 馬は、入ったポケットの数字分だけ進む。銀または金のポケットは、全ての馬が進む。
5. 3頭すべての馬がフィニッシュラインに達するとボーナスが与えられる。
6. 最大のスコアを目指して、ペイアウトボタンを押す前に全てのボールを打ち出す。
7. すべてのボールを打ちだしたらゲームオーバー。
8. もし勝利条件を満たしていたら、ペイアウトボタンを押して獲得する。
注意 台を叩いたり揺すったりすると負けとなる場合がある。

と書いてある。

何だこれはと思われた方は、ぜひCaitlynのブログ「Winners Circle! A Bally prototype arrangeball derby game, probably from 1974」をご一読ください。英語表記ですが、それほど難しくはありません。いざとなれば機械翻訳を使う手もあります。内容は、このゲームの説明にとどまらず、部品からこの機械が作られていた時期を推測したり、パチンコタイプの競馬テーマのゲームなど様々な考察があり、読みごたえがあります。

しかし、Caitlynのブログに全振りするのは拙ブログをご高覧くださる皆様に対してあまりにも不親切であるので、ワタシからも多少述べておきます。

この、一見アレンジボール関連記事:シリーズ絶滅種:アレンジボールを記憶に留めておこう)のバリエーションに見える機械は、Caitlynの推測によれば、おそらく1974年に組み上げられたもので、日本のゲームを米国に移植しようとする当時としては稀な試みであったようです。ちなみに、日本がゲーム機の輸出国となるのはインベーダー以降のことで、それ以前は、日本が欧米のゲーム機を真似ることはあっても、その逆の例は殆どありませんでした。

ゲーム内容は、三色に分けられた馬を指定通りの着順でフィニッシュさせることでコインが払い出されるというものです。球を打ち出して入った穴によって駒が進むゲーム性は、セガが1970年前後にリリースしたプライズ機「ダービーデー」(関連記事:1970年の第九回アミューズメントマシンショウ(3)出展機種画像2)に通じるところがあります。着順の指定は、筐体左下の馬の頭のプレートに配されているランプで行います。

画像7:着順を指定するランプ。ゲームごとに、WINから1色、PLACEから1色が自動的に点灯する。「WIN」は1着、「PLACE」は2着を意味する。

1ゲームの球数はアレンジボールと同じ16発で、球が入った穴と同じ色の馬が、ポケットに書かれている数字の数だけ進みました。しかし、16発を打ち終えても、一つもフィニッシュラインに達することができないゲームも多いです。

1ゲームで払い出すコイン数も、やはり当時のアレンジボールと同じ5枚が限度でした。

盤面の中央に近いふたつの緑のポケットの上には釘を抜いた跡があり、まだ釘構成を検討している段階であるらしいことが推察できます。また、機械の内部には役によって払い出すコイン数を設定するスイッチが付いており、この個体が開発のためのプロトタイプであることがわかります。

画像8:ペイアウト数を設定するスイッチ。量産の際にはおそらく削除されるはずの機能。

この非常に意欲的な機械は、残念ながら製品化されることはなかったようです。盤面下段に配されたポケットは14個しかなく、3種類の色に均等に分けることができません。また、盤面上・中のチャッカ―も、各色均等ではありません。これにより、点灯するWINとPLACEの状況によって勝ちやすいゲームととそうでないゲームができたと思われますが、Ballyはどういうつもりでこのような設計としたのでしょうか。

Caitlynの調査によれば、銘板に記されている「E0-606」はプロジェクトナンバー、「1033-1-17」は、「1033」がモデルナンバー、「1」がバージョンナンバー、「17」がソリッドステートを使用した製品の17番目とのことだそうです。また、同じ時期にBallyは「Relay」という機械を開発していたそうですが、バーリーのパーツ カタログにあるゲーム リストには、このモデルが製造されたことを示すものはないとのことです。

画像9:筐体に取り付けられていた銘板。

どんなメーカーにも、製品化に至らずお蔵入りとなる機械はあるものです。しかし、そのプロトタイプが流出することは珍しく、ましてやあの大バーリーに日本のニッチな風営機を真似ようとしたことがあったという事実が知れたことは、オールドゲームファンにとっては実に興味深いことです。


初期の国産フリッパー・ピンボール機:ターキーボール(関東電気工業、1972)

2022年11月06日 18時18分19秒 | ピンボール・メカ

本場米国では1940年代に既に登場していたポップバンパーが国産のフリッパー・ピンボール機に初めて導入されたのは1971年のことで、実現したのは国内最大手メーカーであったセガでした(初期の国産フリッパー・ピンボール機:カーニバル(セガ、1971))。

やはり部品数が格段に増え電気回路も多少なりとも複雑になるであろうポップバンパーの導入は、技術的には可能だとしても、まだ発展途上にあった当時の日本のAM機メーカーにとっては冒険だったのかもしれません。

セガに次いでポップバンパーを備えたフリッパー・ピンボール機を開発した国内メーカーは、今ではその名前をほとんど聞く機会がない「関東電気工業」で、1972年のことです。まだブームの余韻が残るボウリングをテーマにしたその機械は「ターキー(ターキーボール)」と名付けられました。

アミューズメント産業1972年5月号に掲載された関東電気工業の「ターキー」の広告。

レジャー産業の老舗業界誌「レジャー産業資料」の72年10月号は、「あたらしい室内ゲームマシン」という特集記事の中で、「このほど開発された「ターキー」(関東電気工業)では、ボウリングに関連したイラストや名称が使われている。ボウリング・ブームがこうしたところにまで反映している」と紹介し、記事の最後ではセガの「サーフィン」と並べて筐体の画像を紹介しています。

「レジャー産業資料」72年10月号の記事「あたらしい室内ゲームマシン」で、大手セガの「サーフィン」と並んで紹介される関東電気工業の「ターキー」。

「ターキー」の広告とそのバックグラスには「Turkey Bool」と記述されており、「ターキーボール」とするのが正しいようですが、しかし、ボウリング用語の「ボウル」であればそのつづりは「Bowl」だし、百歩譲って「ボール(球)」の意味だったとしても「Ball」になるはずで、「Bool」が何を意味しているのかが謎です。

ワタシはこの「ターキー」を、1975年、オープン間もないダイエー碑文谷店7Fのゲームコーナーでしばしば遊びましたが、それはたしか、料金が他のピンボール機よりも若干安かったからだったように記憶しています(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)。

ゲーム内容は残念なことにはっきり覚えておりません。ただ、ポップバンパーの形状がセガのものとそっくりであったことと、かなり単純なゲームだった印象が残っています。得点表示も、他社では5桁が標準となっていた時代であるにもかかわらず、まるで60年代の機械のように4桁です。

セガのポップバンパー(左)と、他の米国製ピンボールのポップバンパー(右)の比較。「ターキー」のポップバンパーは、セガのものと同じと思われるほどよく似ていた。

セガのポップバンパーのスタイルは、フランスのゲーム機メーカー、Rally社が1966年以降にリリースしたピンボール機のポップバンパーと同じ原理であったものと思われます。

Rally社のポップバンパーの原理を説明する図の一つ。機械に付属するマニュアルの部分だが、こんなところに帽子をかぶった小人さんが描かれているのがなんだか微笑ましい。

関東電気工業は、「ターキー」の後にもフリッパーピンボールを少なくとももう一つ作っていたはずと思う(確かアメリカンフットボールテーマ)のですが、資料が見つかりません。(2023年8月16日追記:ここで述べているピンボールは、「三共」が1976年に発売した「アメリカンフットボール」(関連記事:「三共」についての備忘録(5) 三共精機と三共のAM機)のことと思われます。関東電気工業と三共との間には何らかのリレーションシップがあったと思しき節が窺えるのですが、関東電気工業がこの「アメリカンフットボール」にどの程度関係しているのかそれとも全く関係していないのかは不明です。)

ターキーボールの広告には、今も多くのオールドゲームプレイヤーの記憶に残るガンゲーム「チューハンター」も製造していたともあり、60年代から70年代にかけての期間は活発に活動していたと思われるのですが、残念ながら会社は存続していないようです。