オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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初期の国産メダルゲーム機(10) プント・バンコ(SEGA, 1975)

2021年08月01日 22時01分45秒 | 初期の国産メダルゲーム機

バカラ(BACCARAT)」というカードゲームは、なぜかアジア人(もちろん日本人も含む)に人気が高いゲームです。マカオに行けばテーブルゲームの大半はバカラだし、国内では「バカラ賭博で逮捕」などという報道が時々あるので、見聞したことがある人も多いと思います。

「プント・バンコ(PUNTO BANCO)」は、そのバカラの一種です。バカラにはいくつかバリエーションがありますが、ワタシはどうしてもバカラが面白いと思うことができず、本を読んでもすぐ忘れてしまうので、それぞれのどの辺がどう違うのかはよくわかりません。

例によって話がわき道に逸れていますが、ここから本題です。
プント・バンコ(PUNTO BANKO)」は、セガが1975年に発売した12人用のマスメダルゲーム機です。セガが初めての国産メダルゲーム機「ファロ」と「シルバーフォールズ」を発売したのが1974年(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)で、その後「ハーネス・レース」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))、「グループビンゴ」(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975))と続き、「プント・バンコ」はセガにとって5番目のマスメダル機として、1975年の秋に発売されました。

「プント・バンコ」はしかし、そのモチーフはカードゲームではなく、なぜかルーレットでした。英文表記の綴りは「PUNTO BANKO」となっており、ひょっとして異なる言語の綴りなのかもと思って調べてみたら、「BANKO」はリトアニア語で「銀行」の意味、「BANCO」はスペイン語で「銀行」、イタリア語で「ベンチ(長椅子)」の意味なんだそうです。このゲーム機の名前がこれらのどれに由来しているのかは知る由もありません。

プント・バンコ(PUNTO BANKO)のフライヤー。二つ折りの4ページ構成で、上から順に表紙、1ページ目、2ページ目、裏表紙。なお、システム推奨サイズでなるべく大きく表示するために各ページを上下に2分割してある。

改めて、「プント・バンコ(PUNTO BANKO)」は、ルーレットをモチーフにしているであろうことは一見してわかります。一般的なルーレットは、0の目と、1から36までの目で構成されていますが、プント・バンコは、0と、1から12までの目で構成されています。

プント・バンコのプレイフィールド。この画像では見えにくいが、レイアウト上にチップを模した色とりどりの円形の印があちこちに見える。

プレイフィールドを見ると色とりどりのチップ(円形の印)があちこちに散らばって見えます。このチップは12種類に色分けされており、その色は12の席にそれぞれ割り当てられた色に対応しています

遊び方の基本は一般的なルーレットに準じ、1目賭けの他、複数の目をまたいだ賭け方が4種類用意されています。ただし、賭けられる番号は賭け方ごとに固定されており、好きな数字を選んで賭けられるわけではありません。フライヤーでは、緑の席を例に説明されています。

フライヤーに掲載されている遊び方の説明で、ここでは緑色の席を例として、「これ以外のナンバーには張れません」と言っている。

説明を読むと、緑の席は、1から12の番号のうち、

・1目賭けは11番
・2目賭けは8-10番
・3目賭けは2-4-6番
・4目賭けは9-10-11-12番
・6目賭けは1-3-5-7-9-11番

にのみ、ベットすることができることになっています。一応12種の番号すべてを網羅してはいるので、すべてにベットすれば、0が選ばれない限りどれかが当たることにはなりますが、大当たりを狙える番号は常に固定されていることになります。

業界紙「ゲームマシン」の1975年10月15日号は、新製品を紹介する「話題のマシン」で、このプント・バンコを紹介しています。それによると、「最近の電子工学技術」により「中枢部は四百六十個のICボード」が積まれているとのことです。セガは世界的に見ても最も早くからゲームのIC化に着手したメーカーのひとつで、このプント・バンコもその初期のチャレンジの一つだったのでしょう。ただ、このような技術的なハッタリはセガが好むところのはず(関連記事:GOAL KICK(SEGA, 1974))ですが、フライヤーの中では言及されていません。

プント・バンコの発売を報じる業界紙「ゲームマシン」の1975年10月15日号7面。

「プント・バンコ」は、賭けたい番号に自由に賭けられないゲームシステムが受け入れられなかったのか、残念ながらファロ、ハーネスレース、グループビンゴらそれ以前のセガのマスメダル機ほど普及しなかったように思います。ひょっとするとこれがマスメダル機におけるセガの挫折の第一号と言えるかもしれません。

おそらく1978年、ワタシは日比谷の映画街にあったセガ系列のゲーセンで、「プント・バンコ」の筐体を使った、プント・バンコではないゲーム機を見た記憶があります。おぼろげな記憶では、「セガ・ルーレット」と名乗っていたような気がしますが、ゲーム内容ははっきり覚えていません。ただ、賭けたところを意図的に外す操作が行われているような印象を得ました。ひょっとして、「プント・バンコ」の在庫部品処理だったりしたのでしょうか。どなたかこの機械についてご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか


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4 コメント

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Unknown (Liner)
2021-08-02 10:31:40
ごめんなさい、本題とずれる思い出話を。

今回の記事になっている画像の下にひょっこり存在している「ジャンプ・アップ」。
一応スキル系プライズマシン…であると認識しておりますが、あれ、こまやだったんか!
幼少の思い出でございます(デパート屋上系遊戯場によく設置されていた記憶)。

こまやってどうしてもSC向け小型機しか脳内に残っていないのですが、こんなものも作っていたのですね…
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Unknown (EM好きおじさん)
2021-08-02 16:11:58
nazox2016様、こんにちは。

このPUNTO BANKOというマシンはどこかで見た事がある様な気がするのですが覚えていません。

写真を見ると、セガの人は「何とかルーレットの雰囲気をもっと実物に近づけられないか」と苦労したのだろうと思いました。36までの数字を盤上に表現してチップを表示するのは無理だ、12までにしよう、という事だったのではないでしょうか。

単純なペイアウト率が12/13=92.3%と高いので、マイコン制御ならば何回かに1回(もちろんプレイヤーには知らせない)強制的に"0"を出したり、各プレイヤーのベットを見て一番払い出しが少なくなる数字を出したりしてペイアウト率を下げた可能性もあるのかな?と思います。

このゲームが受けなかった理由としては、やはり自分の好きな数字に賭けられない事が一番大きかったと思います。ファロの様に最初からx2,x4,x6,x8,x10,x30と用意された箇所に賭ける方式ならば何とも思いませんが、数字が12個あるのになぜ自分で好きな数字を選べないの?と疑問に感じる人は多かったでしょう。

そこで自分の好きな数字に賭けられる様にしたらどうなるか考えて見ました(また勝手な妄想ですみません)。盤上でのすべての賭け方を許すと多すぎるので、

1数字賭け:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12の12通り
2数字賭け:1-2,3-4,5-6,7-8,9-10,11-12の6通り
3数字賭け:1-3-5,2-4-6,7-9-11,8-10-12の4通り
4数字賭け:1-2-3-4,5-6-7-8,9-10-11-12の3通り
6数字賭け:1-3-5-7-9-11,2-4-6-8-10-12の2通り
計27通り

としてみましたが、それでも1人のプレイヤーに27通りの賭け方があるので12人では324箇所、これでは盤上がチップを模した表示だらけになってしまいます(オリジナルは60箇所)。実装的な問題だけでなくコストにも影響大なので実現は難しいと思いました。

一方サテライト側は、12個の数字ボタンと1/2/3/4/6数字賭けボタンの17個に減らせば何とかなると思いました。(例えば2-4-6に賭ける時は2,4,6のいずれかを押してから3数字賭けボタンを押す)

なお音声はカートリッジテープと書いてあるので、もしかすると汎用の8TRACKか4TRACKを使ったかもしれませんね。


ではまた。
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Unknown (nazox2016)
2021-08-02 20:11:01
EM好きおじさん、コメントをありがとうございます。
筐体デザインはいい雰囲気ですよね。セガが次に発売するブラックジャックも本格的なカジノの雰囲気を目指しており、これは大成功していたと思います。
今ならばフルスペックのルーレットだって簡単に実現できますが、1975年当時の技術ではその縮小版でさえなかなか困難だったことが窺い知れるのも、技術の発達の過程が見えて興味深いです。
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Unknown (nazox2016)
2021-08-02 20:14:56
Linerさん、ジャンプアップはまだ有限会社だったころのこまや製です。うちの近くのダイエー碑文谷店がオープンした直後(1975年)からゲームコーナーに設置されており、何回か景品(JOUのケチなキャンディの小箱)を獲得したものでした。
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