オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「パチンコ誕生博物館」館長杉山氏の新著「コリントゲーム史」のご紹介

2023年07月30日 15時41分31秒 | 歴史

パチンコ誕生博物館」(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))の館長である杉山一夫さんは、長年の研究によってパチンコの始祖は中世欧州のゲーム「バガテール」であることを突き止めました。そのバガテールは世界各地で個別の進化を遂げ様々な経緯を経て、あるものは「パチンコ」に、あるものは「玉ころがし」に、そしてまたあるものは「コリントゲーム」へと変化していったと述べています。

杉山さんはこれら3つの「バガテール」の子孫のうち、「パチンコ」と「玉ころがし」については既にそれぞれ独立した著書でその研究成果を発表されています(関連記事:法政大学出版局「ものと人間の文化史 186 パチンコ」のご紹介 / :法政大学出版局「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」のご紹介)。

「コリントゲーム」も、それがパチンコの起源であるとする説が一般に広く流布されているからにはパチンコの歴史を語る上で無視できないゲームであり、紆余曲折があり難航もしたとのことですが、この7月27日にめでたく「コリントゲーム史 パチンコ四部作完結編」が出版されました。

「コリントゲーム史 パチンコ四部作完結編」(めい出版、2023年)の表紙。全474ページに渡る大著。

「四部作」とは、杉山さんが過去にパチンコとそれにかかわるゲーム機の歴史を探求した著書「パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽」(創元社、2008年)、「ものと人間の文化史 186 パチンコ」(法政大学出版局、2021年)、それに「ものと人間の文化史 188 玉ころがし」(法政大学出版局、2022年)の三部に次ぐ四部目の意味です。最初の「パチンコ誕生~」の出版が2008年なので、実に15年の長きにわたるシリーズです。

パチンコの「コリントゲーム起源説」が誤りであることはこれまでの著作の中でも言及はされていましたが、詳述まではできていませんでした。しかしこの本には誤った通説が発生・定着した経緯や、またコリントゲーム後に発生し一時はパチンコとともに栄えた「スマートボール」との関係についても書かれています。

レトロパチンコファン、レトロゲームファンの皆さんにはぜひとも一読いただきたい本ですが、ただ、この本は諸般の事情により価格が「5000円+税」と少々高くなってしまいました。個人で購入できる方はAmazonから購入できますが、厳しいと感じられる方は、地元の図書館にリクエストをすれば取り寄せてもらうことができる地域もありますので、ぜひ活用していただければと思います。


アイレム(IREM)のメダルゲーム

2023年07月23日 23時10分42秒 | スロットマシン/メダルゲーム

アイレム(IREM)は、元々は、後にカプコンの創業者となる辻本憲三氏が「アイピーエム」として立ち上げた会社が1979年に社名変更されたものですが、その社名の由来は、「International Rental Electronics Machine」の頭文字なのだそうで、これはちょっとなんだかセンスがナナメな感じ(悪い意味)がします。

アイレムは1980年にCRTモニターなど電子機器を製造していた「ナナオ(現EIZO)」に買収された後、「ムーンパトロール」(1982)、「ジッピーレース」(1983)、「10ヤードファイト」(1983)、「スパルタンX」(1984)、「R・TYPE」(1987)、「イメージファイト」(1988)など、人気タイトルをコンスタントに輩出するゲームメーカーとなりました。

このように、ビデオゲームメーカーの印象が強かったアイレムですが、1985年10月に行われた東京・平和島で開催されたJAMMAショウに、「NEVADA 21」と言うタイトルで5人用メダルゲーム機を参考出品され、後に「ブラックジャック (Blackjack)」の名で売り出されました。

「ブラックジャック(BLACKJACK)」のフライヤー。5席5人用で、サテライトそれぞれにモニターが付いており、更にディーラー席用として6個目のモニターが付いている。この頃のモニターは相対的に高価な部材で、贅沢な仕様と言えたと思う。

ブラックジャックをモチーフとしたメダルゲーム機はこれ以前にもありましたが、たいていは本来のルールになにがしかのアレンジが加えられており、正しくブラックジャックと言えるものではありませんでした。しかしアイレムの製品は実際のゲームを忠実に再現しています。試作段階のタイトルである「NEVADA 21」も、本物のブラックジャックであることを意識していることを伺わせます。

アイレムの「ブラックジャック」は、個人経営に近いような小規模なロケ(1985年ころはまだそういうロケがたくさんあった)にも普及し、結構なヒット作となりました。これに気を良くしたのか、アイレムは1991年2月に開催されたAOUショウに、「クラップス」を再現した6人用メダルゲーム機「セブンアウト (Seven Out)」を出展しました。

「セブンアウト」のフライヤー。

クラップスは、プレイヤー自身が振った2個のダイスの出目で勝敗が決まる、特に北米で大変な人気があるゲームです。ダイスを振るプレイヤーは「シューター」と呼ばれ、良い結果を出し続けるシューターは他のプレイヤーからも称賛されて、大いに盛り上がります。「セブンアウト」では、各サテライトにトラックボールが付いており、シューターとなるプレイヤーはこのトラックボールを転がすと2つのCRTモニターで構成されるプレイフィールド上をダイスのグラフィックが転がりました。ただ、そのダイスの転がり方が、実際の操作の強さに比例している動きには感じられない点はストレスでした。

クラップスには、配当が整数倍でない賭け方(例えば6単位の賭けに対して7単位を支払う(1.16倍)6または8へのプレイスベット)もありますが、「セブンアウト」はこれも忠実に再現しました。このように小数点以下の倍率を付けた賭け目を採用したメダルゲームはこれが初めてで、sigmaやセガでもこの頃はまだやっていませんでした。また、ペイアウト率が100%となる「オッズベット」も、「シングルオッズ(当初の賭け金と同額までの意味。実際のカジノでは当初の賭け金の2倍以上に設定されているケースが多い)」ではあるものの再現しており、ベストプレイを行えばペイアウト率は99%を超えますが、これをメダルゲームとして稼働する上でどのように折り合いを付けていたのか不思議になります。

セブンアウトの遊び方の説明書。二つ折り4ページ。

遊び方説明書の、ゲームの説明部分の拡大図。実際のルールから若干の省略はあるが、大筋においては本来のルールが採用されている。

ことほど左様に本来のカジノゲームに近づけた「ブラックジャック」と「セブンアウト」を、ワタシは1996年か1997年ラスベガスのストラトスフィアカジノで見ています。ただし、メーカー名は「IREM」ではなく、聞いたことがない、海外の社名になっていました。おそらくはカジノ仕様に改造されているはずですが、IREMがどこまでこのカジノ版に関与していたのかはわかりません。

その後のアイレムは、90年以降は4号営業方面の開発にも参入し、「大工の源さん」や「海物語」など、永くその名を使い続けられるタイトルを作っており、元々ギャンブル志向を持ち続けていたメーカーだったのかもしれません。90年代半ばには「回転ハード」を使用した本格的ルーレットをナムコから発表するということもしていたようにも思うのですが、アレは結局発売されたのでしょうか。


1991年のセガ(後編)

2023年07月16日 18時55分54秒 | メーカー・関連企業

前回も申しあげたとおり、この総合カタログが頒布された1991年9月は、日本の「バブル景気」が終焉を迎えた直後になります。従ってこの総合カタログ掲載されている製品はそのバブルの最中に開発されたものと言うことになります。3ページ目と4ページ目では9機種のマスメダル機と、同じく9機種のシングルメダルが掲載されています。

1991年に頒布された総合カタログの3ページと4ページ。

総合カタログだけあって、現在販売中の機種には新旧が入り混じっています。まずはここにある9機種のマスメダル機と、同じく9機種のシングルメダルのリリース年を記録しておこうと思います。

■1988年
ワールドダービー

■1989年
ビンゴサーカス
ゴールデンウェーブ
M3001
M3002
M4001

■1990年
エキサイティングブラックジャック
M3003
M4002
M5001

■1991年
ロイヤルアスコット
ダービーデイ
ゴールデンナイト21
ロイヤルクラブ
M3004
ブリックス
ティンカーベル(?)

■1992年
カリビアンブール

旧型機が多く含まれる理由としては、もともと稼働期間が長いメダルゲーム機が買ってすぐに旧型機になってしまうようではオペレーターとしては安心して購入できないという事情もあることでしょう。

なお、これらのうちカリビアンブールのみイメージイラストですが、マーキーには「CRAP CARD」と描かれていることから、この時点では開発中であることが窺われます。実際、カリビアンブールがリリースされたのは1992年のことです。あまり成功作とは言えなかったように思いますが、モナコのカジノにも設置されたと聞いています。

次は5ページ目と6ページ目です。

1991年に頒布された総合カタログの5ページと6ページ。

5ページ目はプライズ機が並んでいますが、プッシャーの「スターバースト (STARBURST)」とシングルメダル機「雀夢」、それにシングルメダルの汎用筐体「リベラルキャビネット」がはみ出しています。

「スターバースト」は海外製のプッシャーですが、製造元がよくわかりません。ワタシの手元には2種類のフライヤーがありますが、一つは英国、もう一つは米国の会社が頒布しています。

スターバースト(STARBURST)のフライヤー2種。上はイングランドの「K. W. SYSTEMS」社によるもので、下は米国ニュージャージー州の「COIN CONSEPTS」社によるもの。

「雀夢」はイーグル社製の麻雀ゲームですが、同様の内容のゲームが他社からも出ていました。一体この辺はどうなっているのか、全くわけがわかりません。

プライズ機のうち「ドリームパレス」はゆっくりと回る回転台の上に筐体があり、客はこの回転台に乗って、筐体と一緒に回りながらゲームをしました。実に全くバブルの世情にマッチした、大げさな機械ですが、やることはUFOキャッチャーで、この当時の景品の上限価格は500円に過ぎないものでした。

6ページ目には、キディライドといくらかのカーニバルゲーム、それに両替機が記載されています。この辺りはワタシは詳しくありませんが、キディライドにCRTモニターを載せるようになったのはこの頃からだったように思います。

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3ページ目。

4ページ目。

5ページ目。

6ページ目。

バブル崩壊以降、日本の景気は右肩下がりとなっていくのですが、バブル時の「毎日がお祭り」のような狂騒状態を忘れられない多くの日本国民は、以前よりも「安く、近く、短期間で(安・近・短)」楽しめるレジャーに流れていきました。ゲームセンターはその格好のスポットであったため、ゲームセンターは世間の「不景気」の気分に反して活況を呈し(関連記事:ロンゴロンゴ(sigma, 1993):最もバブリーなロケーション)、今となっては夢のような日々がこの後数年の間続くのでした。


1991年のセガ(前編)

2023年07月09日 17時20分29秒 | メーカー・関連企業

【本題に関係ない前置き】
ワタシはブログを更新するとツイッターでお知らせをしていますが、前回記事「アルゼゲーミング、消滅の危機」の更新のお知らせが万バズ(と言ってもインプレッション数での話です。でも通常は250から多くても1000には届かない程度なので桁違いです)してしまいました。ユニバーサル(アルゼ)ってそんなに皆さんの関心の高い企業だったのでしょうか。弱小泡沫ブログの、人を選ぶ極めてニッチなテーマにこれだけのインプレッションがあるとは驚きです。

*********** これより本題 ************

「失われた30年」となる以前の、バブル景気時代を知る世代にとっては、現在の日本は本当にめちゃくちゃな国になってしまったなあと思います。少子化も含めひとえに政治の貧困が原因ですが、二人に一人が選挙に行かない国民がそんな政治を許しているわけで、「こりゃもうニッポン、ダメかもしれんね」と半ば諦めの境地に達しつつあります。

日本の「バブル景気」は、ウィキペディアによれば1986年11月から1991年5月の55か月間に日本で起きた好景気とそれに付随する社会現象を指すそうです。そのバブルが崩壊した直後の1991年9月、セガは全8ページの総合カタログを頒布しました。

この総合カタログは少し変則的な形で、両面に印刷された横に長い帯状のフライヤーを4等分してまず両端を内側に折りこみ、次に中央で内側に折りこんで、最終的にはA4判、全8ページの形になっています。今回はこれらのうち片面の4ページをご紹介します。

まずは表紙と裏表紙です。

1991年9月にセガが頒布した総合カタログのうち、表紙(右)と裏表紙(左)。

セガの総合カタログでは、裏表紙最後のページでは両替機など周辺機器を掲載することが多いのですが、ここでは「CYBER DOME」や「AS-1」、「CCDカート」といった大型設備が掲載されており、いかにもバブル時代の雰囲気を感じます。しかしこの時代、ゲームアーケードに留まらない大型機種を作ろうとする傾向はセガに限ったことではありませんでした。

次は表紙と同じ面に印刷されている2ページです。ページ番号としては、左が2ページ目、右が7ページ目となるものと思います。

画像2ページ目(左)と7ページ目(右)。2ページ目を左に、7ページ目を右に開くと、3~6ページ目が見えるようになる。

2ページ目には今では伝説的な「R360」、7ページ目には「ホログラム・タイムトラベラー」が見えます。タイムトラベラーは、ワタシの記憶ではアメリカで作られたものをセガで販売していたと思うのですが、今それを裏付ける資料が出てきません。あまり売れずに、だぶついた筐体を利用した「ホロシアム」も出ましたが、これも残念ながらあまり普及しなかったように思います。

以下、各ページの拡大図。

表紙

2ページ目

7ページ目

裏表紙

「ポリゴン」が実用化される以前のビデオゲームの画面には、ある種の郷愁を感じさせられますね。

これにて前半は終了とします。

次回「後半」につづく。

 


アルゼゲーミング、消滅の危機

2023年07月02日 19時42分42秒 | メーカー・関連企業

米国のゲーミング機メーカーであるアルゼゲーミング(以下アルゼ)が破産(チャプター11)を申請したというニュースを聞いたのは今年の2月1日のことでした。ワタシの記憶では、アルゼが「自社とは直接関係しない訴訟への対応策の一環であり問題はない」という内容のプレスリリースを出していたように思うのですが、今そのソースを探しても見つけられません。

アルゼはラスベガスで毎年秋にラスベガスで開催されるGlobal Gaming Expo(G2E)ではIGT、Aristocrat、Scientific Gaming(旧Bally+Williams)らに引けを取らない規模のブースを出展し続け、またラスベガスのカジノではそこそこのシェアを得ており、大手の一角に食い込んでいると言っても過言ではない企業のはずだったので、このニュースは意外でした。

G2Eショウ2019におけるアルゼのブース。

多くの方はご存じと思いますが、アルゼは日本のゲーム機メーカーである「ユニバーサル」を母体としてできた会社です。アルゼが2015年のG2Eで展示していた社史によると、アルゼの始まりは1969年に設立された「ユニバーサルリース」となっています。

G2E2015のアルゼブースに展示されていたアルゼの社史年表(一部)。1969年から始まっている。

確かに、過去記事「初期の国産メダルゲーム機(5) ユニバーサル その1・沿革」でも「ユニバーサルリース」の設立年を「1969年12月」としていますが、これは記事を掲載した2018年当時の「ユニバーサルエンターテインメント株式会社」のウェブサイトをソースとしています。しかし、ユニバーサルが1982年に頒布した会社案内では、ユニバーサルリースが発足したのは「昭和42年(1967)」で、1969年は社名を「ユニバーサル」に変更した年としています。

ユニバーサルの1982年版の会社案内に記述されている沿革(部分)。図中の西暦はワタシが後から加えたもの。

ただ、アルゼの会社案内1982年版には他にも疑わしい部分があり(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)、何をどこまで信じて良いのか悩ましいところです。

それはまあとりあえず措くとして、ユニバーサル(もしくはアルゼ)はいつ頃からか悪い話が多く流れてくるようになり、叩けばいくらでも埃が出てきそうなダーティーなイメージが強い企業となっていました。

ユニバーサル(アルゼ)は、創業者の強権的でワンマンな企業体質を指摘する報道や刊行物が少なからずあること、またワタシの周辺から非公式に流れて来る数々の噂話からも、創業者による「会社の私物化」が相当に激しいもの(この言い方はむしろ穏当と思われるくらい)であったように思われます。ただ、そのような体質だったからこそ一代でここまでグローバルな大企業になれたとも言え、その良し悪しは置かれた立場や人により判断が分かれるところでしょう。

しかし、会社が大きくなるにつれてユニバーサル(アルゼ)の社内では激しい権力闘争が発生し、今もいくつもの訴訟沙汰が続いています。しかしそれらには創業者が関わる法人がいくつも複雑に絡み合っていてなかなか把握しきれません。今回、アルゼの破産について調べていたところ、非常に詳しく報じており実に興味深いウェブサイトを発見したので、興味のある方はこちらをご参照いただければと思います。

ユニバーサルエンターテインメントの経営騒動に潜む闇

思えば、ユニバーサル(アルゼ)はこれまでにいろいろとやらかしてきた企業でした。1980年代にはスロットマシンで違法な演出を行ってネバダでのライセンスを取り消されたり、重役として入社した長男をある日いきなり解雇したり(その確執は現在進行形で続いている)、ウィン・ラスベガスに出資(それが許可されたことも驚きでしたが)して一時は蜜月状態にあったウィン・リゾートから「株主として不適切な行い」を理由に強制的に追い出されたりなど、話題には事欠きません。

しかし一方で、ユニバーサルはメカスロットの分野においてはいち早くステッピングモーターを導入しています。電子的に決定したゲーム結果をステッピングモーターで制御して表示するという手法は、今ではメカスロットの不可欠な標準的な技術となっており、功の部分もないわけではありません。

最近のニュースによると、アルゼゲーミングは今後同業他社に買収される公算が大きいようです。その場合、1980年代から続いてきたアルゼ(ユニバーサル)の名前は消えてしまうことになると思われ、一抹の寂しさを感じます。ただ、ワタシ個人の好みとしては、パチンコ・パチスロ的なセンスを感じるアルゼの機械は嫌いだったので、アルゼ的なゲームが無くなること自体には特別な感慨はありません。