オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975)

2018年02月25日 18時16分48秒 | スロットマシン/メダルゲーム
今回は「ビンゴサーカス(Bingo Circus、1989)」について述べるつもりでしたが、前回はその元ネタである「グループビンゴ」についてあまりに軽く流しすぎたので、予定を変更して、ピンボールビンゴのもう少し詳しい説明とともにその特徴を述べておきたいと思います。

セガは、国産初のメダルゲーム機である(とワタシが考えている)「ファロ(Faro)」と「シルバーフォールズ(Silver Falls)」を1974年の春ころに発売し(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)、同年の秋には多人数競馬ゲーム「ハーネスレース(Harness Race)」を発売しました。今回のテーマである「グループビンゴ」はその翌年、1975年の初夏ころに発売されています。つまりグループビンゴは、セガのマスメダルゲームの第4作目であり、初のマスメダルビンゴとなるわけですが、メダルゲームの開発が始まってまだ間もない、しかもデジタル技術が普及していなかったこの時代に、これだけ複雑なゲームが作れたことには驚きを感じます。


グループビンゴの筐体。


さらにプレイフィールド部分のアップ。見にくいが、円形のプレイフィールドに番号が付された穴20個と、中央にボールリターンホールが開いている。ここに投入されたボールが入った穴の番号でビンゴゲームを行う。

業界誌「アミューズメント産業」の1975年7月号にはグループビンゴの広告が打たれ、同じ号の新製品紹介記事では、グループビンゴについて、「セガでは大型機の需要が増大するものと見ており、グループビンゴはそれに対応した」という趣旨の説明があり、まだマスメダル機が少なかった当時のメダルゲーム場の様子が垣間見えます。


業界誌「アミューズメント産業」1975年7月号に掲載されたセガの広告。「『ファロ』『ハーネスレース』で高収益が実証されたセガ・グループ・ゲーム機の最新作登場!」との文言がある。後に「マスメダル」と呼ばれる多人数用メダルゲーム機を、このころは「グループ・ゲーム」と呼んでいることも興味深い。

グループビンゴが「20穴タイプ」と呼ばれるタイプのピンビンゴをマスメダル機に翻案したものであることは前回述べました。ビンゴ・ピンボール機は1950年代から作られていますが、20穴タイプが初めて現れたのは、1965年に米国バーリー社が発表した「Folies Bergeres(フライヤーはこちら・他のサイトに飛びます)」のようです。それ以前は、ごくわずかな例外を除き、全て25穴タイプでした。

25穴タイプのビンゴカードは、我々にもなじみ深い縦5×横5の正方形で、縦横と対角に結ばれた線上にスポットを並べることを目的とする「インラインタイプ」でしたが、20穴タイプのカードは縦4×横5となり、スポットを線上に並べる代わりに、赤、青、黄、緑の4色に色分けされたエリアにスポットを集めることを目的とする「カラーセクションタイプ」でした。


フライヤーより、サテライト上の各ランプ及びボタンの意味が説明されている部分のアップ。

ビンゴ・ピンボールでは、勝ち易くする「キーフィーチャー」と呼ばれる仕掛けを搭載したものが多くあります。キーフィーチャーにはいくつかの種類がありますが、グループビンゴではこのうち「マジックライン」が採用されました。

「マジックライン」とは、カード上の数字の並びを変更するフィーチャーの一つで、縦列または横列の単位で、数字の並びを上下または左右にずらすことができました。このように数字の並びを変えるフィーチャーは他にもあり、変更の形態によって、「ミスティックライン」、「マジックスクウェア」、「マジックナンバー」と区別されています。グループビンゴで採用された「マジックライン」は、米国バーリー社のビンゴ・ピンボールでは25穴タイプでのみ用いられ、20穴タイプではすべて「ミスティックライン」が用いられていたのですが、そこはセガの独自の工夫と言って良いと思います。

ちょっと横道に逸れますが、25穴タイプでは、数字の並びを変えない「マジックスクリーン」というキーフィーチャー採用するものも多くありました。これは、色分けされたシートをビンゴカード上にオーバーレイすることで、ゲームの途中でインラインタイプからカラーセクションタイプに変更するキーフィーチャーです。後にsigmaが独自に開発した「ICビンゴ」は、ほとんどがマジックスクリーンタイプです。

グループビンゴの「マジックライン」は、縦4×横5のビンゴカードの最上段から下段に向かって順にA、B、C、Dと分けて、それぞれに対応するボタンを押すことにより、カードの数字を左右に一つずつずらすことができました。


ビンゴカード部分のアップ。最上段から下に向かって、横の行にマジックラインを示すA、B、C、Dの表示がある。

ただし、マジックラインフィーチャーは、メダルをベットするごとに機械の内部で行われる抽選で当選しないと有効になりません。これはバーリー社の時代から連綿と続くルールです。抽選の結果、有効となったマジックラインは、ここでランプの点灯という形で示されます。

抽選では、メダルを投入するたびに ⇒⇒A⇒B⇒C⇒D⇒⇒OK のランプが、1~2秒間ほどランダムに点滅して、抽選を行っていることを示す演出を行います。この演出は、「ミステリーインターバル(Mystery Interval)」と呼ばれます。抽選に当たると「⇒」のランプがすごろくのように進んでいき、ランプがAまで進むと初めてマジックラインのA列が動かせるようになります。


グループビンゴのコンパネの上半分のアップ。
⇒⇒A⇒B⇒C⇒D⇒⇒OK のランプが見える。


1回の抽選で進むステップ数は決まっておらず、全く進まないこともあれば、進むとしても1ステップしか進まないこともありますし、数ステップ進むこともあります。運が良ければ一気に最後の「OK」まで進むこともありました。こうしてベット受付時間までに点灯した列のみが、ゲーム中で動かせるラインとなります。プレイヤーは、なるべく多くのラインを有効とするために、そしてあわよくば今回のゲーム条件を次のゲームに引き継げるフィーチャーである「OK」まで進めるために、何枚ものメダルを投入します。ミステリーインターバルの間、ランプを進めようとサテライトの左端をトントンと叩くプレイヤーが多く見られましたが、当然そんなことをしても結果には影響しません。

ランプが「OK」まで進むと、次のゲームはメダルを1枚投入するだけで、今回のゲームのスコアとキーフィーチャーを引き継いでゲームができました。

キーフィーチャーランプの上にあるスコア表では、ゲームに勝った時に得られるメダル数(スコア)がランプで表示されます。同じカラーセクションに3個以上スポットが集まれば勝ちとなるので、スコア表は、下段から3インカラー(同じカラーセクションにスポットが3個点灯する)、4インカラー(同4個点灯)、5インカラー(4インカラー+対応するホワイトセクションが点灯)の順になっています。このスコアも、メダルを投入するたびにミステリーインターバルが始まって抽選を行い、当選するとより高いスコアにランプが移動します。一度上がったスコアは、そのゲームでは下がることはありません。

ゲームが始まると、まず4個の金属製のボールがプレイフィールドに投入されます。ビンゴカードには、ボールが入った穴の番号が点灯します。4個の番号が決まると、15秒くらいゲームが止まるので、プレイヤーはこの間にマジックラインを使って、同じ色に点灯したスポットを集める操作を行います。その後最後の1球が投入され、最後の番号が決定した時点で、ゲームの結果が判定されます。

プレイフィールドは浅いすり鉢状となっており、また番号が付された穴の縁はベベルが取られて(面取りされて)いました。ボールの動き方によっては、このベベルの上にボールが留まってしまうこともたまにあり、そのたびに係員がドームを取り外して対処する必要がありましたが、この抽選機構自体はなかなか楽しく、理解が難しいゲームであるにもかかわらずグループビンゴは多くのロケーションに設置されました。


「メダルゲーム発祥の店」ゲームファンタジアミラノ(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)に設置されていたグループビンゴ。

(次回、ビンゴサーカスにつづく)

セガのマスビンゴゲーム(1)グループビンゴからワールドビンゴまで

2018年02月18日 21時35分43秒 | スロットマシン/メダルゲーム

今年のはじめ、スターウォーズを見た時に流れた予告編で気になっていた「The Greatest Showman」という映画を、昨日観てきました。

この予告編を見たとき、そのタイトルから真っ先に想起したのが、「THE GREATEST SHOW ON EARTH」という言葉でした。これは、今年の1月に惜しまれながらそのおよそ150年の歴史に幕を閉じた「リングリングサーカス」という米国のサーカス団の惹句であるとともに、そのサーカス団をテーマにした「地上最大のショウ」という、チャールトン・ヘストンが主演した映画の原題でもあります。

そして、「The Greatest Showman」の冒頭で、主人公が「P. T. バーナム」と名乗った時、「バーナム? 聞いたことあるな。なんだったっけかな」と思いましたが、それもそのはずで、リングリングサーカス団の母体となる興行団体を創設した人物の名でした。映画の内容も、P. T. バーナムの半生を下敷きにしていましたが、しかし必ずしも彼の伝記映画というわけではなく、ミュージカルとして作られていたこともあって、ワタシにとっては、腹は立たないけれども期待外れな映画ではありました。

さて、サーカスと言えば、米国のピンボールゲームではむかしからしばしばテーマに取り上げられたものでした。そしてそれらを見て育ってきたワタシには、サーカスとはノスタルジックな響きを持つ楽しいものというイメージが植えつけられました。

1989年、セガは、ビンゴ・ピンボール(関連記事:都立大学駅前のビリヤード場「アサヒ」とピン・ビンゴ)を多人数用ゲームに翻案した「ビンゴサーカス(Bingo Circus)」というメダルゲームを発表しました。

ビンゴサーカスも、その名の通りサーカスをテーマとしており、そして筐体には「THE GREATEST GAME ON EARTH」という言葉がデザインされていました。これは明らかにリングリングサーカス団の惹句をなぞっています。ビンゴサーカスは大ヒットしましたが、これには、セガが1975年に発表した「グループビンゴ(Group Bingo)」という元ネタがありました。このビンゴサーカスについては次回で詳しく述べるとして、今回はそれ以前の、セガのマスビンゴゲームの記憶を記録していこうと思います。

グループビンゴは、米国バーリー社の、「20穴タイプ」と呼ばれるビンゴ・ピンボールをモデルとして、カードの数字を移動させる「マジックライン」フィーチャーや「OKゲーム」という再ゲームフィーチャーを搭載するなど、ビンゴ・ピンボールをかなり忠実に再現していましたが、当時の国産メダルゲームではまだホッパーという払い出し機構を搭載することが難しく、旧来ながらのソレノイドによるコインスライサーでメダルを払い出すような状況だったため、1ゲームの最高払い出し枚数は僅か96枚でした。




グループビンゴのフライヤー。A3サイズを二つ折りにして、全4ページになっている。

「グループビンゴ」は、当時のメダルゲーム場ではかなりの人気を集めていたように記憶していますが、円形のプレイフィールドは木製であったため、湿気による反りや割れなどのトラブルが頻発したそうで、製品寿命としてはそれほど長くはなく、以降セガは、1986年に発表される「ワールドビンゴ(World Bingo)」まで、マスメダル(多人数用メダルゲーム機)のビンゴ機を顧みることはありませんでした。


ワールドビンゴのフライヤー。片面のみで、筐体の画像は写真ではなくイラストになっている。

「ワールドビンゴ」のゲーム性も、「グループビンゴ」同様、メダルをベットするたびに抽選を行ってマジックナンバーフィーチャーを有効にしたり、あるいは獲得メダル数が上昇するなどビンゴ・ピンボールのゲーム性を踏襲していましたが、抽選機構は、番号が書かれたボールを風で吹き上げて取り出すという一般的なビンゴやキノに通じるものでした。しかし、発泡スチロールに静電植毛されたボールは非常に汚れ易く、稼働させるうちにボールは真っ黒になって、ボールに描かれた番号を判読することすら難しい状態になってしまうという問題がありました(これは後に、静電植毛ではないタイプのボールを新たに開発することでなんとか治めました)。また、風で吹き上げられるボールは、他のボールやケース内に激しく衝突するため、その衝撃によりボール内部に仕込まれたICタグが破損してしまい、プレイヤーだけでなく機械の方でもボールを識別できなくなるという、より致命的な問題もあって、この製品も短命に終わりました。









ワールドビンゴで作成された、プレイヤー向けのインストラクションの小冊子。バニーガールのコスチュームが赤と白の二種類があるように見えるが、実際は白しかなく、後に一部を赤色に着色している。

映画「The Greatest Showman」では、P. T.バーナムがその興行師としての初期段階において、フリーク(奇形児)を募集して彼らを見世物とする描写があります。実際、このような見世物は、19世紀から戦前の米国において、サーカスやカーニバルなどでのメインの演しものに付きもののショウ(サイドショウ)として流行しました。1932年には、本当のフリークスたちを出演させて、サイドショウの内部で起きる出来事を描いた「フリークス」という映画も作られています。「フリークス」は、1980年ころになぜか日本でも注目を浴び、同時期に公開された「エレファントマン」という、実在の異形の人物を主人公とした映画とともに、当時の日本に「フリークスブーム」を起こしました。サイドショウは、今ではほとんど絶滅状態にある日本の「見世物小屋」と同じようなもので、奇怪なもの、怖いものを見たいという人々の低俗な好奇心に訴えるそのコンセプトは、一部の人たちの眉を顰めさせるものでした。しかし、「The Greatest Showman」では、そのような陰湿さや陰惨さを敢えて隠し、フリークスたちの描写は極めてマイルドです。このように、サイドショウをまるできれいごとのように描いているところも、ワタシがこの映画に失望した理由の一つでした。

(つづく)

JAEPOショウ2018で気になったこと3つ

2018年02月11日 23時07分09秒 | メーカー・関連企業
日本のアーケードゲーム業界の見本市である「JAEPOショウ」に行ってきました。業務用ゲーム市場の縮小が続くと言われている中、今年はなんとなく人出が多かったように思われました。それ自体は喜ばしいことです。今回は、このショウで気になった点3つをメモしておこうと思います。

【気になったこと1】
今年は、バンダイナムコが、「バンダイナムコゲームス」とは別に、「バンダイナムコテクニカ」という会社で別ブースを立て、海外のAM機を多数出展していました。そのうちのいくつかは「リデンプションゲーム」と呼ばれるものでした。

リデンプションゲームとは、ゲームの結果によってチケットを払い出し、そのチケットを集めると景品と交換できるというもので、海外では主に子供向けのゲームとしてポピュラーなジャンルです。

しかし、景品を提供するゲームであることから、現在の日本では法律上許可されません。それでも、市場の縮小に何らかの手を打ちたい業界としては、ずいぶん以前から何とか営業できるよう当局に働きかけるなどしているようです。中でも、バンダイナムコゲームスは、何年か前からリデンプションマシンを「参考出展」という形でJAEPOショウに出展しており、いつ解禁されても良いように備えているように見受けられます。

今のところは、まだ解禁されるという噂すら流れてはいませんが、ただ、ひょっとすると、それほど遠くない将来に、日本でもリデンプションゲームが解禁される日が来ることもあるかもしれません。カーニバルゲームのような楽しさがあるリデンプションゲームは、ゲームオタク向けに先鋭化してしまったビデオゲームに疲れた一般の大人たちでも、結構楽しめるのではないかと思います。

【気になったこと2】
「加賀アミューズメント」という会社から、「TABLE PONG」というゲーム機が出展されていました。ビデオゲーム「PONG」をエレメカゲームにしたこの「TABLE PONG」の開発は、アメリカの企業によるものです。昨年の春ころには既に発表されていたことは聞いていましたが、ワタシが実物を見るのはこれが初めてです。遊んでみると、操作感に若干の違和感を覚えることもないこともないですが、概ねいい感じではあります


TABLE PONGの筐体。パドルとボールは発泡スチロールを切り取っただけのものに見える。


ちなみにこちらが元祖「PONG」の筐体。「TABLE PONG」の元ネタとして、加賀アミューズメントのブース内に展示されていた。まだ動く状態のものが残っていることもちょっと驚く。

「それはポンから始まった」という本がある(ご購入はこちらからどうぞ)くらい、「PONG」はビデオゲームの元祖と言って良い機械です。「PONG」が世に出たころは、ビデオゲームは最先端のテクノロジーを駆使したクールなマシンでした(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(1))が、もし、この「TABLE PONG」が、モニターを水平に置いただけの昔ながらの「PONG」の再現だったら、だれも見向きもしなかったでしょう。しかし、今は全く逆になってしまったようです。ワタシもこれなら家に一台欲しいかもしれないと思いました。

【気になったこと3】
ゲームセンターのオペレーターであるアドアーズ社が、自社でもスロットマシンを作り始めたようです。その源流をsigma社に持つアドアーズでしたが、sigmaの開発部門はアルゼ他に散っていき、アドアーズは長らくオペレーターに専念していました。しかし、昨今のメダル単価の低下に伴い、シングルメダル機を開発するメーカーがいなくなってしまったためやむなく・・・ というのはワタシの妄想ですが、低メダル単価時代を視野に入れて、1ゲームにベットできるクレジットを数百に上げた設定もできる機種とのことです。今回は、「スタンバイ株式会社」という商社から出展していました。

 
アドアーズが始めたシングルメダル機のフライヤー。「リプレイ機能で携帯に撮影しSNSにUpすることも」と言っている。なるほど。

スタンバイ社のブースには、sigmaの流れをくむCRON社の新製品もいくつか出展されていました。経営危機がささやかれていたCRON社ですが、頑張ってほしいものです。

【小ネタ】一人用メダルゲーム「ピカデリーサーカス」とセガのファロ

2018年02月04日 19時36分27秒 | スロットマシン/メダルゲーム
ピカデリーサーカス(PICCADILLY CIRCUS)とは、コナミが1975年末頃から1976年ころに発売を始めた、一人用メダルゲーム機です。


業界誌「アミューズメント産業」1976年1月号に掲載された「ピカデリーサーカス」の広告。入稿時の原稿サイズに問題があったのか、ページの右側が途中で切れており、一部内容が読み取れない。


同じくアミューズメント産業の1976年6月号に掲載されたピカデリーサーカスの広告。「直射日光下でもボールの点滅がはっきり見えます」と、シングルロケを視野に入れていると思しき記述がある。

ピカデリーサーカスは、画像を見ての通り、ルーレットをモチーフとしたゲームです。ワタシがこの機械を初めて見たのは、おそらくダイエー碑文谷店の7Fにあったゲームコーナーではなかったかと記憶しています(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)。その時に得た感想は、セガが1974年に発売した「ファロ」(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)にそっくりというものでした。ダイエー碑文谷店のゲームコーナーにはファロも設置されていましたが、両者を見比べると、盤面の数字の並びまで殆ど同じで、パクリと言っても良いほどの似かたでした。


ファロの盤面(左)とピカデリーサーカスの盤面(右)。ファロでは「2」となっている二つの目が、ピカデリーサーカスでは「0」にされている。

ファロとの相違点と言えば、ピカデリーサーカスはファロに無かった「0」というハズレの目を作り出していました。また、ファロではメダル2枚までしかベットできなかった「30」の目は、他の数字と同じようにメダル4枚までベットできるようになっていました。

そして、ファロは5人同時プレイが可能な大型機(当時としては)だったため、導入される市場はゲームセンターに限られましたが、ピカデリーサーカスは小型の一人用の機械だったため、駄菓子屋などのいわゆるシングルロケに広く普及しました。

もう一つ重大な相違点として、ファロは、出目の決定を機械的な動作で得ていました(前出初の国産メダルゲーム機の記憶参照)が、ピカデリーサーカスはICにより電子的に決定するようになっています。これはハイテクに進歩したように見えますが、ただ、それによってプレイヤーのベット状況を見て出目を操作するというインチキが行われるようになりました。

ピカデリーサーカスはシリーズ化されるまでになり多くの小さな子供たちに遊ばれ、シングルロケのエース的なポジションとなりました。これにつられて、UPL、ナムコ、カプコンといった同業他社も類似の機種を作るようになり、一つのジャンルと言って良い迄に発展しました。現在「キッズメダル」と呼ばれる子供用メダルゲームのジャンルがありますが、これはこのピカデリーサーカスから始まったと言っても良いと思います。

ピカデリーサーカスは多くの元がきどもの記憶に残ったにもかかわらず、そのオリジナルネタと思しきセガのファロは、殆ど忘れ去られています。というわけで、この機会にワタシはここで「ピカデリーサーカスちゅうゲーム機の元ネタに『ファロ』ちゅうゲーム機があったのだよ」と、ボソッとつぶやいておきたいと思います。