オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

セガのエレメカ機「MOTOPOLO」 (1968)

2023年06月25日 13時45分02秒 | ピンボール・メカ

ポロ(polo)」とは、ホッケーとよく似たスポーツですが、ホッケーと違うところは、選手は馬に乗って競技を行う点にあります。起源は古く、紀元前のペルシャで軍事訓練として行なわれ、19世紀になって英国で現在のルールが制定されたのだそうです。

ポロの馬をオートバイにした「モーターサイクル・ポロ」は20世紀に入ってからやはり英国で考案され、現在は「モトボール (Motoball)」と呼ばれてフランスを中心とする欧州で人気があるらしいです。

セガは1968年、このモーターサイクル・ポロをテーマとする「モトポロ (MOTOPOLO)」を発売しました。

「MOTOPOLO」のフライヤーの表裏。「セガの誇る技術陣が遂に開発!!」と謳っている通り、そのメカは当時としては相当の工夫があったと思われる。

実際のモーターサイクル・ポロでは、ボールは足で蹴りますが、モトポロでは足の代わりに横向きのU字型の針金がバイクの左右両脇に取り付けられています。

モトポロのバイク。両脇に横向きのU字型の針金が取り付けられている。

バイクの操作は、プレイフィールドの下に隠れているX-Yプロッターのような機構で行っています。この機構はセガが後の1970年代初頭に発売した「アタック」や「ルナレスキュー」(関連記事:(予定変更)70年代のセガのエレメカゲーム「ATTACK」とそのシリーズ 及び 大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所(大阪・北区中崎町)その2)でも応用されていますが、「MOTOPOLO」のメカ動作はそれらよりもずっと速いです。

ただ、この機構だと同一のプレイフィールドに2つのバイクを置くことができません。そこで「モトポロ」ではバイクを動かす機構を自陣と敵陣にそれぞれ1台ずつ置き、2台のバイクは決して交わらないようになっています。いうなれば、「モトポロ」は「エアホッケー」を機械の操作で行っているようなゲームです。余談ですが、ウィキペディア英語版の「Air hockey」には、「1968年、セガはエアホッケーに似た「モトポロ」と言うエレメカゲーム機をリリースした」との記述があります。

(参考画像)エアホッケー(ブランズウィック、1971)のフライヤー。このゲームについてもいつか言及したい。

ところで、「モトポロ」は米国にも輸出されているはずなのですが、パクりパクられが常のコインマシン業界にあってそのコピーを見たことが無いのは、ワタシが単に寡聞だからなのでしょうか。なお、「モトポロ」は「'69遊戯機械名鑑」にも掲載されていますが、同書には似たゲーム内容でもっと単純な仕組みの「ホッケーゲーム」や「アイスホッケー」が掲載されており、こちらに食われたということはなかったでしょうか。

「'69遊戯機械名鑑」に「MOTOPOLO」とともに掲載されている「ホッケーゲーム」と「アイスホッケー」。これらのルーツも米国にありそう。

この「モトポロ」は、2023年6月現在、「デックス東京ビーチ」内の「台場一丁目商店街」にある「一丁目プレイランド」にプレイヤブルな状態で設置されています。二人プレイ専用で、一人ではゲームとして楽しむことができないのが難点ですが、他にもピンボール機や80年代以前のビデオゲーム機もありますし、また一丁目商店街自体が昭和の雰囲気を再現することを意識した施設なので、レトロゲームファンには楽しめるスポットだと思います。

「一丁目プレイランド」の「MOTOPOLO」。状態はかなり良さそうに見える。


【小ネタ】1976年のタイトロニクス

2023年06月18日 21時29分41秒 | ビデオゲーム

今回は多忙につき、タイトーが1976年に頒布したビデオゲーム(当時はTVゲームと称していた)の総合カタログをご紹介してお茶を濁します。

1976年に頒布された「タイトロニクスシリーズ」総合カタログの表紙。ビデオゲームが世に出て間もない時期らしいゲーム画面。

タイトーは、セガと並んで日本で最も早い段階からビデオゲームの開発に着手し、大手メーカーとしての地位を盤石のものとしました。タイトーは自社のビデオゲームを「タイトロニクスシリーズ」と名付け、この呼称は少なくとも1980年代前半までは使い続けていました。

フライヤーは全6ページで、2ページ目から5ページ目までは製品の筐体画像が並んでいます。

2ページ目:

●CRUSHING RACE (1976)
●INTER CEPTOR (1976)
●ELEPON (1973)
●PRO HOCKEY (1973)
●SOCCER (1973)

3ページ目:

●AVENGER (1976)
●WESTERN GUN (1975)
●BASKET BALL (1974)
●SOCCER DX (1973)
●ASTRO RACE (1973)
●ASTRO RACE DX (1973)

4ページ目:

●DAVIS CUP (1973)
●ATACK U.F.O. (不明)
●SEA WOLF (MIDWAY製・1976)
●ANTI AIR CRAFT (ATARI製・1975)

5ページ目

●SPEED RACE TWIN (1976)
●SPEED RACE (1975)
●SPEED RACE DX (1975?)

旧型機も併せて掲載されていますが、まだテーブル筐体もコックピット筐体も無かった時代だったので、すべてアップライト筐体です。私はこの中で、「ATACK U.F.O.」だけが記憶にありません。どなたかどんなゲームだったかご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。

タイトーはこのフライヤーの最後のページで、「アメリカのアポロ計画により高度に発達したエレクトロニクス(電子工学)技術の産物、IC(集積回路)の応用と、デジタル技術により、テレビブラウン管を使用した、全く新しい発想のゲームマシンです」と謳っています。

裏表紙。「アメリカのアポロ計画により高度に発達したエレクトロニクス~」とハッタリをかまして、タイトーの技術力を誇示しようとしている。

コンピューター技術の発達にアメリカの宇宙開発計画が大きく関わっていることは事実でしょうが、まるでタイトー自身も同様の技術があるように誤認させるブラフですが、まあ、宣伝とはそういうものでしょう。それも、「コンピューター」とか「IC」、「エレクトロニクス」という言葉がまだパワーワード、もしくはマジックワードだった時代(関連記事:TRON(Bally/MIDWAY, 1982))ならではのネーミングだと思います。


「ファロ(FARO)」シリーズの記録(3) NEW FARO後のFAROその2

2023年06月11日 16時23分35秒 | スロットマシン/メダルゲーム

前回のあらすじ:セガは、「ファロ」、「ファロ II」、「ニューファロ」に続き、1983年に「ファロ III」を、1985年に「ファロキング」を発売した。しかし「ファロキング」は、「ファロ III」と同年に発売された「ルーレットキング」の筐体に「ファロ III」を入れただけのもので、筐体の目新しさ以外に新しいものは何もなかった。

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「ファロ」のように円盤を回して何かを決める抽選方法は、紀元前からすでに存在したとの言説があります。生まれては消えていったゲームがいくらもある中でその手堅さは歴史によって証明されているわけですから、セガが「ファロ」を何度もリニューアルしながら続けるのも理解できます。1988年にはファロシリーズ6作目となる6人用の「ファロジャック (FARO JACK)」を発売しました。

「ファロジャック」のフライヤーの表と裏。

「前作が『キング』なのに新作が『ジャック』では格下げではないか」という議論があったかどうかはともかくとして、「ファロジャック」の抽選装置は電光式ではなく「ニューファロ」以来となる機械式で、さらに大小二つの円盤がそれぞれ独立して回転しました。小さい方の円盤には6色に色分けされた「JOKER」の目が1個ずつ配されています。

二つの抽選結果を組み合わせる手法は「ファロ III」(と、「ファロキング」)」でも採られていましたが、「ファロジャック」は大小の円盤のセグメントを64個とするほか、大円盤に配される8種類の当たり目にはそれぞれ1個ずつ緑色の特別な目を持たせたり、サテライトも6色に色分けして小円盤の「JOKER」の色に対応させたりするなどして、ゲーム結果の組み合わ数をけた違いに大きくしています。こうして当選時の配当が5倍、あるいは10倍となるフィーチャーやプログレッシブ・ジャックポットまで提供できる余地を作り出しました。

従来のシリーズにはない高配当の魅力ばかりでなく、カラフルでイルミネーション効果の高い筐体でありながら低価格がセールスポイントの「ファロジャック」でしたが、しかしヒットはしませんでした。その原因として、円盤の停止位置がずれてゲーム結果の表示が曖昧になる問題もあったと思いますが、それ以上にゲームバランスが良くなかったと思います。

「ファロ」というゲームの妙味の一つは、「本命で手堅く行くか、少し欲を出して対抗で行くか、それとも夢を見てを狙うか」と葛藤するところにあると思います。過去の「ファロ」シリーズの賭け目の構成はそのような感情を引き出すに、まあ妥当と言えるものでした。

「ファロジャック」の賭け目の構成は「2、3、4、5、7、10、14、20」の8種類です。これを見ると、「本命」の「2」に対して、一桁配当の「対抗」が「3、4、5、7」と4種類もあります。「対抗」に複数の選択肢があれば、「本命寄りで堅さを優先するか、穴寄りで欲を優先するか」の葛藤を生みますが、「ファロジャック」は「本命寄り/穴寄り」の段階が小刻みにたくさんあって、落としどころを決めにくいのです。

比較対象として、カジノで馴染み深い「ビッグシックス」の、ラスベガスでの典型的な例を見てみると、賭け目は「2、3、6、11、21、41、41(41は異なる2種類がある)」の7種類です。「対抗」は「3」と「6」の2種類のみで、こちらは葛藤の落としどころが明快です。

なぜ「ファロジャック」は優柔不断を誘うような賭け目構成にしたのか。ほかにやりようはなかったのか。ゲームのマス(数学)を調べればこの謎に迫れるかもしれないと思い、ペイアウト率を計算してみました。

ファロジャックの各賭け目のペイアウト率計算結果。すべての目の出現率が見た目通りの1/64であることが前提。各目のペイアウト率の平均は62.1%と低いが、これは倍率が5倍、10倍となるフィーチャーによる払い出し分が考慮されていないため。

この結果を見て、ワタシは「ファロジャック」が一桁配当の目の種類を増やさざるを得なかった事情を察しました。開発者の意図としては、ベースでの払い出しを60%強程度に抑え、フィーチャーによって20%程度を払い出し、トータルで80%半ばくらいのペイアウト率となるようにしたかったようです。しかし、円盤の64個のセグメントに払い出しを60%強とする設定で賭け目を配分しようとすると、一桁配当の目の種類を増やさないとセグメントが埋まりきらなくなってしまうのです。

この説明ではわかりにくいと思うので、カジノのルーレットを例に少し具体的に説明します。ルーレットには、38個のセグメントの中に、2倍配当である赤と黒の目がそれぞれ18個ずつと、ハズレの目2個があります。この状態での赤または黒のペイアウト率は(18個×2倍÷38=94.7%)です。これを、オッズはそのままでペイアウト率を60%強に下げるなら、個数を18個から12個に減らす必要があります(12個×2倍÷38=63.2%)。しかしそうすると、削減された元赤と黒だった12個の目が空白になってしまうので、これを埋める第三の賭け目を設定する必要が出てきます。その場合、新たな賭け目は低配当でないと、空白を埋め切るほどの個数が出せません。「ファロジャック」の一桁配当の目はこのような理屈で増えていったのでしょう。空白となる目をそのまま「ハズレ」とする手も考えられますが、そうするとハズレの出現頻度が非常に高いゲームとなり、別の意味でバランスが悪くなりそうです。

「ファロジャック」は、高配当を提供するという目的に囚われ、ゲームの妙味には意識が及んでいなかったのではないかと推理します。今であれば、当時は普及していなかった、もしくは考案されていなかった新たな方法で高配当フィーチャーも考えられるかもしれませんが、後の祭りです。

セガは「ファロジャック」の在庫部材を処理するため、1990年に同じ筐体を流用した「ベガス・ストリート(Vegas Street)」を売り出しました。ワタシはロケでこの機械をほとんど見ておらず、「ファロ」の後継機とは呼び難いゲームであったことくらいしか覚えていません。何か情報はないかと当時のゲームマシン紙を見ても、90年のAOUショウの特集記事に一度名前が記載されているのを発見しただけで、「話題のマシン」ページにも採り上げられず、セガも広告を打つわけでもなく、極めて不遇な扱いを受けていました。

不遇なベガス・ストリート。1990年に頒布されたセガのメダルゲーム総合カタログより。単独のフライヤーが作成されたかどうかは不明。

以降現在まで、セガはファロの後継機を作っていません。大量のベットが要求される現在のメダルゲームビジネスの潮流が変わらない限り、今後も復活することはないでしょう。ファロシリーズは事実上絶滅したと言えそうです。

歴代ファロシリーズのまとめ:
1974 FARO 5人用
1977 FARO II 6人用/3人用
1980 NEW FARO 3人用
1983 FARO III 5人用
1985 FARO KING 4人用 (ゲーム自体はFARO IIIと同じ)
1988 FARO JACK 6人用
1990 Vegas Street 6人用 (ファロシリーズと言えるのか?)

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最後にかなりどうでもいい、トリビアとも言えないマメ。
「ファロジャック」には、そんなもの無くても全然困らない、謎のCRTモニターが取り付けられています。

「ファロジャック」に設置されているCRTモニター。

これは、「ファロジャック」をビデオゲームと言い張るために設置されたものです。そうすることで何がどうなるのか、以前業界の方から聞いたことがあり、たしか減価償却とか耐用年数とかに関係していたような話だった気もするのですが、詳細を忘れてしまいました。どなたかビデオゲームであることのメリットをご存じの方はいらっしゃいませんか? 2023年6月14日追記:HKさんよりコメント欄にて「CRTモニタは電安法適用外とするために取り付けたのだと思われる」とのご指摘をいただきました。HKさん、どうもありがとうございました。

(このシリーズ・おわり)


「ファロ(FARO)」シリーズの記録(2) NEW FARO後のFAROその1

2023年06月04日 11時24分25秒 | スロットマシン/メダルゲーム

はじめにお詫び。前回の記事で「今回と次回の2回に分けて」と申し上げましたが、思いのほか長くなってしまい2回では収まらなくなってしまいました。見通しが甘くて申し訳ありません。

前回のあらすじ:ある方より「NEW FARO」の部品の写真をいただいたが、見たことも聞いたこともなかったので調べたところ、「NEW FARO」は、「FARO (1974)」、「FARO II (1977)」に次ぐファロシリーズ第三弾で、1980年に発売されたものであることが判明した。そのころは折からのビデオゲームブームに押され、ゲーセンではメダルゲームの営業面積が著しく縮小した時期であり、「NEW FARO」はほとんど普及せずに消えていったものと思われる。

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「ニューファロ」が発売されてから3年後となる1983年、セガは「ファロ III」を発売しました。

「ファロ III」のフライヤー。片面印刷で裏面はない。

「ファロ III」の盤面は初代と同じ36分割の電光ルーレットに戻っています。並び順は異なるものの、目の構成も初代と同じです。ただし、盤面の内周に新設した小ホイールによる「カラーマッチ」フィーチャーが加わっています。

「カラーマッチ」とは、赤、青、緑のいずれかに塗り分けられている外周の目の当たりとなった色と、小ホイールで停止した色が一致すると配当が2倍になるフィーチャーです。小ホイールは12分割されており、赤、青、緑が1カ所ずつ配されているので、カラーマッチは12ゲームに1回の割合で成立する理屈です(外見上では)。

「ファロ III」の盤面の拡大図。外周の目(数字)は赤、青、緑に塗り分けられており、盤面の内周には12分割された小ホイールがある。

「ファロ III」の目の構成は初代と同じなので、出目の決定に作為がなければペイアウト率は初代よりも約2.3%高い87.5% 92.3%となります(ペイアウト率の誤りを修正・2023/06/10)。この数字は、この時代のメダルゲームとしてはかなり高い方です。そんな「優良機」ですが、ワタシは「ファロ III」をロケで見た記憶が僅かしかなく、それほど多くは普及していなかったように思います。

ところで、「ファロ III」の前には「ファロ」、「ファロ II」、「ニューファロ」の3機種があるのに、その後に発売されたこの機種がなぜ「III」と命名されたのでしょうか。フライヤーでも「”ファロ”シリーズ第3弾堂々登場!!」と謳っており、「ニューファロ」の存在は完全に無視されています。当時のセガに何があったのかはわかりませんが、「ニューファロ」がつくづく不遇な機械であることに同情の念すら湧いてきます。

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ファロシリーズは、初代こそ殆どすべてのメダルゲーム場に設置されたかと思われるくらい大ヒットしましたが、後継機でそこまで普及したものはなかったように思います。それでもセガはしつこくも、1985年にシリーズ5作目となる「ファロキング (FARO KING)」を発売しました。

ファロキングのフライヤーの表と裏。

「ファロキング」は、これまでずっと垂直に立てていた盤面を初めて水平にしたところが斬新とは言えましょう。しかし、非常にがっかりさせられる機械でした。

「ファロキング」では、ボールを表すランプにLEDが使われていましたが、1985年当時のLEDはまだ発達途上の技術でした。現在でこそ車のヘッドライトに使用されるほど強い光を発するLEDも、この当時のLEDは照度も輝度も低く、「ファロキング」の一つの円の中に仕込まれている5個のLEDは、点灯すればその光点は見えるものの、円全体を明瞭に発光させるほど明るいものではありませんでした。

しかしがっかりするポイントはLEDではなく、「ファロキング」の目の構成と並び方、そしてゲーム内容が「ファロ III」と全く同じものだった点です。「ファロキング」は、「ファロ III」を従来の例を破った新筐体に入れただけのものでした。しかもその筐体は、「ファロ III」が発売された同じ年に発売された「ルーレットキング」というメカ式のルーレットゲーム機の使い回しでした。

「ファロキング」の筐体のオリジナルである「ルーレットキング(1983)」のフライヤーの表と裏。裏面に記載されている筐体のサイズは、「ファロキング」と全く同じ。

「ルーレットキング」は、高温多湿の日本の気候では木製のホイールが反ってしまう障害が相次いだそうです。ついでに余談を付け加えれば、「ビンゴサーカス」(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(3) ビンゴサーカス(Bingo Circus, 1989)とその後継機種)の回転盤が木製ではなく金属(アルミ)製だったのは、「ルーレットキング」での教訓があったからと聞いています。

「ルーレットキング」については別の機会に改めて言及することとして、「ファロキング」とは、邪推するなら「ルーレットキング」が思いがけぬ障害のために在庫が残り余った部材をなんとかするために既存の「ファロ III」を載せて売り出した「敗戦処理投手」だったのではないかと思えます。その勘繰りが正しいかどうかはもちろんわかりませんが、「ファロキング」も他の後継機と同じくあまり普及していた印象がありません。

(つづく)