オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

舞台サルまん

2021年12月19日 19時24分48秒 | スポーツ・マンガ

今回は、久しぶりにオールドゲームに関係しない話です。

漫画読みであれば、誰でも生涯手元に置いておきたい漫画作品があると思います。もちろんワタシにもそういうものはたくさんありますが、そのほとんどは70年代以前のもので、80年代以降の作品となるとめっきり少なくなってしまいます。その数少ない中の一つに、「サルでも描けるまんが教室(通称サルまん)」があります。

非常にもどかしいことに、ワタシは「サルまん」の優れている点を的確に称賛する文章表現力を持ち合わせておりません。それでもなんとか努力を試みるならば、サルまんは、ギャグマンガの体裁を取りつつも、その歴史を含む漫画に対する深い知識とその分析及び考察に立脚した現代漫画の鋭い評論が秀逸であったと思います。もちろん、その結論を最終的に漫画に落とし込む際の表現技法が卓越していることは言うまでもなく、作者である竹熊健太郎・相原コージ両氏の力量には舌を巻きます。

「サルまん」が発表されたのは、1989年の晩秋から1991年春までのことです。「ビッグコミック・スピリッツ」誌(小学館)に連載されました。漫画は基本的に非耐久消費財のようなもので、最盛期を過ぎればほとんどの場合忘れられるか、そうでなくともあくまでも過去の出来事として時々思い出されて終わるのが常ですが、「サルまん」は連載終了から30年もの時を経て、このたび演劇「舞台サルまん」として復活しました。

「舞台サルまん」のフライヤー

「舞台サルまん」は、今年の12月15日から12月19日というごく短い期間ではありますが、演劇の街下北沢の「下北沢小劇場B1」で上演されました。サルまんを高く評価するワタシとしては当然観逃すわけにはいかず、またあの漫画をどのように舞台劇にするのかと言う興味もあって、今日、観に行ってまいりました。

下北沢小劇場B1は、その名の通りキャパシティは小さく、なおかつ8畳程度のほぼ正方形の舞台の二辺はその裏が楽屋に続く壁に接しており、残る二辺の延長線上に観客席があるという変則的な作りになっています。ワタシは演劇には全く詳しくありませんが、今までに見たことがない形の中で、「舞台サルまん」は演じられました。

原作では漫画の技術論やストーリーテリング技法が詳しく述べられていますが、劇ではその辺りは最小限に留められ、劇中劇である「とんち番長」を軸に、本来は読者が意識しないはずの葛藤を中心に演じられています。これは、舞台劇とする上では当然あって然るべきまとめ方だと思われ、ワタシは総じて大いに楽しみました。ただ一つ、竹熊と相原が初めて編集者佐藤に原稿を見せたときに、原作では原稿に目を通した佐藤が良いとも悪いとも言わずに「メシ食いに行こうか」と言うシーンがあるのですが、そこが割愛されていたのが個人的に惜しまれた点でした。

何しろオリジナルは30年前の漫画ですから、観客の年齢層も高いのではないかと予想していたのですが案外そんなこともなく、また半数以上が女性客であったように思います。30年の時を超えて今なおナウなヤングへの訴求力を持つ「サルでも描けるまんが教室」の偉大な普遍性を見た思いがしました。また、この名作に着目し、舞台化してくださった関係者の皆さんに、最大限の感謝の意を表したいと思います。観劇後、twitterで「舞台サルまんを大いに楽しんだ。見事な舞台化だった」と呟いたら、一部の出演者の方々から「いいね」をいただき、少し舞い上がりました。


祝・日本漫画協会賞/手塚治虫漫画賞W受賞:「あれよ星屑」(山田参助)

2019年09月12日 18時47分13秒 | スポーツ・マンガ
今週末の更新をお休みするので、代わりにひとつ、マンガの記事をアップしておきます。

山田参助さんの「あれよ星屑 (エンターブレイン)」が、先ごろ発表された日本漫画家協会賞コミック部門で大賞、手塚治虫漫画賞で新生賞を受賞しました。第一巻が発売されたのはもう5年も前、全7巻で完結したのが昨年春先だったので、今更遅いと思わないでもないですが、完結まで待った上での受賞は、全編を通じて評価されたということなのだと理解します。


「あれよ星屑 (エンターブレイン/KADOKAWA)」第1巻。

山田さんは戦争を知らない世代のはず(1975年生まれらしい)ですが、「あれよ星屑」に描かれる戦中戦後の様子は、山田さん自身が実際に見聞あるいは体験してきたのではないかと思わせられるほど隅々まで現実感に満ちており、これは杉浦日向子さんの江戸漫画に匹敵するマジックだと思います。また、今の時代にあの時代を背景とする漫画が商業誌に掲載されることも含んで、大変に奇跡的な作品です。

と言うような意味のことをTwitterで呟いたら、山田参助さんご本人から「いいね」をいただいて有頂天になったワタシであります。

ついでというわけではありませんが、山田作品からもう一つ、「ニッポン夜枕ばなし (リイド社)」もご紹介しておきます。1960年代~70年代の大人向け漫画に良くあった、くだらないけど面白いけどやっぱり実に実にくだらない「艶笑マンガ」です。

おそらくは小島功さん(清酒黄桜の二代目カッパを描いた人。故人。)のパスティーシュにも見える本作は、昭和に描かれたものの再録かと思うほど当時の雰囲気をよく伝えており、ワタシのように下ネタギャグを好む下品な昭和オヤジには「リバースサイド・オブ・ザ・三丁目の夕日」としてたいへん楽しめました。また、くだらないとは言いつつも、端々に山田さんの教養が見え隠れしており、やはりタダモノではないと思わされます。加えて言うと、帯の「絶賛と失笑の嵐」という紹介文も正鵠を射た秀逸なもので、この文句を考えた人にも何か賞を差し上げたいと強く思います。


「ニッポン夜枕ばなし (リイド社)」。帯の「絶賛と失笑の嵐」は、本作にこれ以上ふさわしい言葉はないと感動すらした秀逸なコピー。

今回は以上です。前回の続き(スロットマシンのシンボルの話シリーズ)は、9/22(日)ころ掲載の予定です。

まんがアックス第119号・「特集つげ義春」発売中!

2017年10月29日 21時55分25秒 | スポーツ・マンガ
その昔、「月刊漫画ガロ(以下「ガロ」)」という漫画雑誌がありました。日本のマンガ史を語る際には必ず言及される雑誌ですので詳しい説明はそちらに譲るとして、ワタシからは、1964年の創刊以来、新たな才能を輩出し続ける媒体として日本のマンガ界において特異かつ重要なポジションを占めた雑誌だったとだけ説明しておきます。

ワタシは1975年4月号から、編集部内でのゴタゴタで休刊と復刊を二度繰り返しながらも、結局二度と立ち上がることがなくなった2002年の三度目の休刊まで、発売されたガロはすべて読み続けてきました。現在は、かつてのガロ編集者によって立ち上げられた「青林工藝舎」による、ガロの精神を引き継ぐ雑誌を標榜する隔月刊誌「アックス」を購読し続けています。


アックス119号の表紙。今月下旬に発売。

ワタシがガロに興味を持ち始めたのは、まだワタシが小学生であったおそらく1969~70年ころ、少年サンデーだったか少年マガジンだったかに掲載されていた特集記事(当時の少年漫画誌は、マンガだけでなく、「世界の不思議100!」とか「日本の心霊現象50!」などといった、週刊誌のワイド特集のような記事が毎回あった)に、「今注目の新人マンガ家××人!」というものがあり、その中で、つげ義春(敬称略・以下同)が、彼の代表作の一つとされる「ねじ式」の一ページと共に紹介されていたのを見たことに始まります。


少年漫画誌の特集記事に紹介されていた「ねじ式」の1ページ。

なぜかわかりませんが、とにかくこのたった1ページを見ただけで、ワタシは「ガロが読みたい」「なによりねじ式が読みたい」と、常にガロに恋い焦がれるヘンな子供となってしまいました。

ワタシのその夢がかなうのは、1972年の秋ごろだったように記憶しています。都立大学駅近くの古本屋で発見した「月刊漫画ガロ 1968年6月臨時増刊号」に「ねじ式」が掲載されており、なけなしの小遣いで買って帰りました。しかし、これは紛失してしまい、今は手元にありません。この号の掲載作品の一つ「海辺の叙景」の一コマに、万年筆で「おっ、モーリス・ロネ」と落書きがあったことを覚えていますが、今、誰かの手元にあるものでしょうか。それともごみとして焼かれるなり埋められるなりして朽ちてしまっているのでしょうか。

今回のテーマからは余談になりますが、やはり1970年前後くらいの時期に、富士ゼロックス社のTVCMに使用されたイラストに強烈に痺れ、作者を知りたいと気に留め続けていたら、やはり古本屋でページを繰っていたガロの中に同じ画風を発見し、「花輪和一」という人の作品であることが判明したという事もありました。どうやらワタシには、それがどういうものかはわからないものの、「ガロ的」なものに反応する何かが組み込まれているようです。

その「アックス」ですが、今月下旬に発売された第119号の特集が、「つげ義春」です。つげの誕生日は1937年10月30(今気づいたけど、明日だ!)とのことで、表紙には「生誕80周年 祝・トリビュート」と謳われています。ワタシはたいてい学芸大学駅商店街の本屋で買っていますが、普段は2冊しか入荷しないのに、今号は7、8冊が平積みとなっていました。店長に聞くと、やはり今号は特別で、特に巻頭の林静一、池上遼一、南伸坊各氏による座談会は貴重なので欲しがる人が多いと思って、とのことでした。

という事で、今回は「読もう! アックス!!」という宣伝で終わりたいと思います。

「きゅぽかの(ボウリング漫画)の単行本を買った話」のフォロー

2016年11月23日 00時31分40秒 | スポーツ・マンガ
昨日、拙ブログの最新記事を読んだ女房から、「ちょっと評価が厳し過ぎじゃない?」との懸念が伝えられました。あ、ちなみに女房も、アベレージは150くらいとあまり上手とは言えませんが、ボウリングを嗜みます。

そう言われて前回の記事を読み返してみると、「ボウリングに関する描写は真面目」と評価する部分もありますが、全体的には女房が心配するのももっともな内容かも、と思い至りました。ワタシとしてはこの漫画を貶して溜飲を下げたいわけでは決してなく、むしろ気持ちとしては応援したいくらいでありますので、ここはひとつフォローしておきたいと思います。

自身もボウリングに嵌まったという作者は、なんとかボウリングの面白さを世に広めたいと考えたことでしょう。それは、ボウリングに目覚めてしまった者によく見られる、一種の宿命のようなものです。そして、作者は、彼ならではの表現手法であるマンガを活かしてそれを語りたかったのだと思います。

しかし、攻撃や防御と言う概念がなく、また、世界記録とか、あるいはオリンピックなどのビッグイベントといった他者の共感を得やすい目標が設定しづらいボウリングという種目は、さぞドラマが作りにくいスポーツだったことと思います。ワタシは、そのような難しいテーマにもかかわらずボウリングの普及に一役買おうと敢えて挑んだ作者の心意気を、大いにリスペクトするものです。

「友情、努力、勝利」の方程式が困難となれば、ボウリングの技術や周辺知識に関する話でその奥深さを正面から伝道するやりかたも考え付きますが、そのような話は、ボウリングに目覚めた「スポーツボウラー」にとっては興味深く面白くとも、世の中の大多数である、ハウスボールとハウスシューズで投げている「レジャーボウラー」にとっては、たいてい、どうでもいい、興味を惹かない話です。

正攻法ではより幅広い読者層を惹きつけることが難しいとなれば、次に考えられる手段として、「萌え」に行きつくことは、昨今のご時勢から考えればむしろ正着、本手と言うべきだったのかもしれません。そして「きゅぽかの」では、ボウリングを、萌えキャラの女子高生3人がじゃれあうための溶媒としたのではないかと想像しています。しかし、それはどうやらミスマッチだったようで、結果として、ボウリング漫画としても、萌え漫画としても、共感を得にくいものになってしまったように思います。

「きゅぽかの」は、残念ながら既に連載を終え、全9話はこの1冊に全て収録されているという事を、今日知りました。もし、またボウリング漫画を描く機会があるようでしたら、主人公は萌えキャラ少女でもいいので、素直な成長物語として描いてみてもらいたいと願ってやみません。

「きゅぽかの(ボウリング漫画)」の単行本を買った話

2016年11月21日 00時11分19秒 | スポーツ・マンガ
半生中継は一回中断させていただいて、本ブログで初の、ゲームとは関係ない話をしておきたいと思います。

実はワタシはボウリングのファンです。もちろん自分でもマイボールとマイシューズを持って投げますが、五十肩を患ってからは肩関節の可動域が狭まり、球威は落ち、ストライク率も下がって、現在のアベレージは170くらいです。それでもアメリカのプロ団体であるPBAのゲームは好んで視聴しますし、「P★League」も毎週録画して観ています。

さて、先週の金曜日(11月18日)、「きゅぽかの」という漫画の単行本が発売となりました。


きゅぽかのの表紙

「きゅぽかの」は、ストーリーの軸をボウリングに置き、ボウリングにハマっている3人の女子高生を主人公とする漫画です。ボウリングファンとしては、ボウリングテーマのマンガが現れること自体は歓迎したいところですが、しかし、大きな不安がありました。

と言うのは、これまでボウリングをメインテーマに据えた漫画はいくつかありますが、どれも短命で、実際読んでみても面白いと思えるものが皆無なのです。

古いものでは、1971年、「美しきチャレンジャー」というドラマがありました。元々は当時のボウリングブームに乗ったTVドラマですが、後に吉森みきを、小形啓子両先生によりコミカライズされています。

このドラマが公開された当時、漫画界ではいわゆる「スポ根」ブームで、その代表ともいえる「巨人の星」の「大リーグボール」のような荒唐無稽な「魔球」を以てトップを目指すというストーリーが多かったものでした。「美しきチャレンジャー」も同様で、(7)-(10)のいわゆる「大スプリット」をスペアメイクする「魔球」を「特訓」して、いざというときに窮地を乗り切るのがドラマの一つの見どころになっていました。

当時子供だったワタシは、それでも固唾を飲んでお話を見守っていたものでしたが、今考えると、(7)-(10)なんてスプリットは、10ゲームに1回も出ないような、まれな残り方です。そんなレアケースに備えて特訓なんかするよりも、1投目でそんなスプリットを出さないようなアキュラシー(正確さ)を磨くことの方がリーズナブルな考え方です。

まあこれも、ワタシが成長するに及んでボウリングに対する理解が深まったからこそ言えることではありますが、とにかく、あの時代だからこそ許されたドラマであり、「エースをねらえ」や「ガラスの仮面」のように、後世に語り継がれる名作と呼ぶことは逆立ちしても無理です。それでも、ボウリング漫画の中でも最大のヒット作とは言うべきかもしれません。以降、思い出したように描かれるボウリング漫画は、この「美しきチャレンジャー」にすら及ばないものばかりでした。

そんな経緯があった中、今回「きゅぽかの」は描かれたわけです。掲載誌は秋田書店の「ヤングチャンピオン烈」で、少年誌よりはいくぶん高い年齢層に向けた雑誌であると聞き及んでいますが、これがまた不安を膨らませました。エンターブレインや青林工藝舎、そこまで行かなくても、講談社のアフタヌーンやイブニングのように、必ずしも大衆受けするネタではないことを承知の上で、独創的で新たな漫画表現を掲載する雑誌であればともかく、ワタシには、秋田書店はバリバリの商業出版社で商売にならないと見れば無情に切り捨てるイメージがあったのです。そんな出版社から出る雑誌で、元々ストーリーが作りにくいスポーツであるボウリングをテーマに、ハードコアなボウリング漫画なんかが掲載されるのかと思っていたのです。

しかし、これによって少しでもボウリングが啓蒙されればと言うかすかな期待もあり、ダメ元で、まったくご祝儀のつもりで、発売日のその日、買ってまいりました。

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確かにボウリングがテーマではあります。ボウリングに関する描写はかなり真面目です。しかし、それは逆に、一般的な読者には理解不能なマニアックな領域です。これで押すのでは、読者は付いてこないでしょう。というわけで、「きゅぽかの」は、「ボウリングをダシにして、萌えキャラ女子高生3人組のじゃれあいっこを見せる漫画」となっておりました。ワタシは読んだことはありませんが、「けいおん」という萌え漫画の、ボウリング版ということなのかもしれません。

この漫画を読んで面白いと思える人は、萌え漫画ならとりあえず広く受け入れることができるタイプの人でしょう。願わくば、そんな人たちの中に、俺もボウリングやってみるかなと思いつき、案外奥の深いこのスポーツの面白さに目覚めてくれる人がわずかでも出て来てくれますように。

ところで、ワタシはこれまで、(7)-(10)を3回カバーしたことがあります。しかし、そのうちの1回は、(6)-(7)-(10)のスプリットのうち、(7)-(10)のみをテイクしたというものです。これがワタシの最も劇的な珍プレイです。