優先席じゃ効き目なし? 横浜市営地下鉄が「最優先席」
国内で唯一、“全席優先席”制度を実施している神奈川県横浜市営地下鉄に
「最優先席」が登場しそうだ。趣旨通りにはいかず、「席を譲ってもらえない」
など不満も多く、差別化が必要になった。
市交通局は新年度予算案に約400万円を計上。名称を含めて導入の準備を進めている。
全席優先席は残しながら、各車両に1カ所ずつ設けられている「携帯電話電源オフエリア」
を「最優先席」にする方針。同じ車両内で、優先席と最優先席が混在することになる。
全席優先は2003年12月に始まった。「優先席を増やして欲しい」などの声を受け、
「誰もが気軽に譲り合える車内環境をつくる」という趣旨だった。
なるほどねえ。
まあ、全席が「優先席」ってのがバレバレだと実質「全席普通席」ですもんね。
で、「全席優先席」効果がなかったと。。
「優先席じゃ効き目ナシ」っていうか、最優先席だとしたって、
全席がそれなら効果がないってことでしょう。
全席が優先席のそこには、「心の最優先席」なるものを認識させる、
何かが足りなかった、ということになりましょうか。
横浜市営地下鉄がこうした制度を取り入れてから乗車したことはありませんけど、
やっぱり違いがないとまるで優先席なんて実感はつかみづらいでしょうね。
つかんだところで普通の乗客からしたら窮屈かもしれませんし。
で、優先席が普通席化してるってんで、「最優先席」を作って優先席化すると。
でもそれじゃ、普通に普通席と優先席でいいじゃないかという、
そんなツッコミが各方面から入っていることでしょう。
やっぱり、普通席と優先席とで差別化されてないと
「譲らなきゃ」的な気持ちが芽生えないってことなのでしょうか。
おかしいですよね。
日本人は、義務教育の過程で道徳なる教科があって、
「心のシルバーシート」を学んでいるはずなのに、
明確にそれが席として規定され存在していないと、
そうした行動を忘れるのか、認識できないのですね。
だから自分的にはそういう気持ちをみんな持っていれば、
優先席なんて必要ないだろうと常々思っているのですけどどうやら、
実際はそういうものが物理的に存在しないと行動も顕在化しないようです。
顕在化させるために、わざわざ優先席があるってことなのでしょう。
妄想するに、これは宗教観や信仰心が生活に根付いてない、
ってことが日本の場合はあるのじゃないでしょうか。
学校で道徳って教科があって、点数をとるように授業でやったうってのが、
ズレがあるように思いますし、考えてみればおかしなハナシです。
本来は日常の中で身につけていくべきもののような気はします。
弱者に優しく、年長者を敬うことが普段の生活から求められていい筈です。
それがなんか今時の日本は子供に過剰に過保護になってしまいまして。
勉強や会社などの組織でも他者を追い落として成功する、
のし上がるのも悪いとはいいませんし、いいんですけどそれはそれ。
ところが、自分ガー、うちの子ガー、みたいになっちゃってますよね。
その一方で他人への配慮というのは相対的に蔑ろにされがちだったのでしょうか。
少ないサンプルでハナシをするのもなんなのですが、
中東に旅行した人なんかは、人々が子供や老人に親切にする姿に
新鮮な感動を覚える、なんてことをよく言うようですし、
おそらく生活に宗教が根づいていることと無関係でないように思います。
他の海外では「優先席」ってのは一般的にあるのでしょうか。
自分も海外旅行も海外出張も何度か経験はあるものの、
そういえば交通機関でそういうのがあったかどうか、
気にとめた試しはないので覚えちゃいませんが、どうでしたかねえ。
日本には躾ってものがあるんですけどねえ。
どうでしょうか、これは道徳というよりは形式的な
「作法」の習得プロセスに過ぎなかったんでしょうか。
道徳は学校で学ぶもの、といった認識が一般化してるのだとしたら、
そこに危機感を持たないといけないのかも知れません。
311以降はですね、やれ絆だ、やれ助け合いだと、
ねちっこいくらい叫ばれてたような気がするのですけれども、
横浜市営地下鉄の例を見ると、そうでもなかったのかと思えますね・・・
ところで!
それより驚くのは、全席優先席としたところで、それにも関わらず、、
席を譲ってもらえないじゃないか!との苦情があるってコトですよ。。
なるほど、ご老人か妊婦か怪我人かはわかりませんけど、
期待より席を譲ってくれないことを根に持つ乗客が、
普段もたくさんいるってことなんですね。。。