何とこの表題のワインこそ、昨日のお呼ばれプティ・ワイン会での出展ワインなのだ。
まあブルゴーニュ高騰のこのご時勢に、ここまでの造り手の、ここまでのグラン・クリュを、さりげなく登場させるイナセなワインヒートが居たとはオドロキだ!
ジャーク・セイスの『デュジャック』において、『クロ・サン・ドニ』と『クロ・ド・ラ・ロッシュ』はグラン・クリュの中でも避けては通れず、まして96’物を、こうして横並べに飲める至福は何物にも変えがたい。
この場で、細かいコメントを開陳するのは、ヴィンテージの偉大さと、造り手の荘厳さを考えれば、いわば野暮というもの。
かと言って、これだけのものを浴びるほど飲んで、何も語らずはワインヒートの風上にも置けない、とも言われかねないのだ。
さすれば、平行のデギュスタシオンの妙味を感じた部分のみを、少しだけ書き込ませてもらおうと思う。
最初に『クロ・サン・ドニ』を飲んで、次に『クロ・ド・ラ・ロッシュ』を飲んだ。
明らかに前者は熟成の高原部の中央付近をひた走り、香りの妖艶さをも漂わせている。
一方後者は未だ熟成の高原部の入り口に達しておらず、綺麗な果実のアロマとそれを硬質なミネラルが装飾している。
前者の果実は酸度が低く、細やかだが、敷居が低く、ある意味外向性もみせている。
後者は涼しげに凛とした立ち居で、果実はエレガントであるも、計り知れない格調を感じるのだ。
とはいっても、『デュジャック』のグラン・クリュの凄味は隠そうにも隠せない!
これらのワインには精霊が宿っているかのようなのだ・・・
いわゆる、そのテロワールの特性の際立ちにおいては、ジュブレイやシャンボールのグラン・クリュの後塵を拝するモレのグラン・クリュだけれど、デュジャックにかかってしまえば、並みのシャンベルタンに渡り合える極上の傑作に上り詰めれるのだ!
ともかく、いなせなワインヒートには感謝するばかりである。
まあブルゴーニュ高騰のこのご時勢に、ここまでの造り手の、ここまでのグラン・クリュを、さりげなく登場させるイナセなワインヒートが居たとはオドロキだ!
ジャーク・セイスの『デュジャック』において、『クロ・サン・ドニ』と『クロ・ド・ラ・ロッシュ』はグラン・クリュの中でも避けては通れず、まして96’物を、こうして横並べに飲める至福は何物にも変えがたい。
この場で、細かいコメントを開陳するのは、ヴィンテージの偉大さと、造り手の荘厳さを考えれば、いわば野暮というもの。
かと言って、これだけのものを浴びるほど飲んで、何も語らずはワインヒートの風上にも置けない、とも言われかねないのだ。
さすれば、平行のデギュスタシオンの妙味を感じた部分のみを、少しだけ書き込ませてもらおうと思う。
最初に『クロ・サン・ドニ』を飲んで、次に『クロ・ド・ラ・ロッシュ』を飲んだ。
明らかに前者は熟成の高原部の中央付近をひた走り、香りの妖艶さをも漂わせている。
一方後者は未だ熟成の高原部の入り口に達しておらず、綺麗な果実のアロマとそれを硬質なミネラルが装飾している。
前者の果実は酸度が低く、細やかだが、敷居が低く、ある意味外向性もみせている。
後者は涼しげに凛とした立ち居で、果実はエレガントであるも、計り知れない格調を感じるのだ。
とはいっても、『デュジャック』のグラン・クリュの凄味は隠そうにも隠せない!
これらのワインには精霊が宿っているかのようなのだ・・・
いわゆる、そのテロワールの特性の際立ちにおいては、ジュブレイやシャンボールのグラン・クリュの後塵を拝するモレのグラン・クリュだけれど、デュジャックにかかってしまえば、並みのシャンベルタンに渡り合える極上の傑作に上り詰めれるのだ!
ともかく、いなせなワインヒートには感謝するばかりである。