塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

鮮やかに勝利することの困難さ

2021-10-03 21:17:15 | 日記
 バルセロナは指揮官のロナルド・クーマンが、予期しない3-5-2の布陣を敷いたとして選手、ファンも動転したと聞きました。

 同じバック3でも

 3-5-3,3-4-1-2のように陣形そのものが歪
 3-4-3、3-3-3-1のようにオフェンス・トライアングルが効率よくできる布陣

 と両極端に分かれるのがバック3ではないでしょうか。

 2011-12シーズンのバルセロナは、念願叶う形でアーセナルからスペイン代表のセスク・ファブレガスが加入します。

 そして指揮官ペップ・グアルディオラは試験的ではあるものの、そのスペイン代表をひし形の頂点に置く3-4-3を採用し、ファンをおおいに驚かせます。

 ただ、この3-4-3はあくまで試験的な代物であり、最終的には従来の4-3-3が基本布陣となります。

 この年はホゼ。モウリーニョ率いるレアル・マドリードがソリッドな展開の中、ドイツ代表のメスト・エジルの閃きをプラスにする形で、勝ち点100をたたき出す、異例のシーズンでした。

 3-4-3というリスクを場当たり的に捉えながら進むよりも、従来の4-3-3の方が長丁場に対応できると、グアルディオラは判断したのでしょうね。

 この時代のバルセロナはまだイニエスタとチャビ・エルナンデスが老け込む年齢ではなく、ジョルディ・アラバにダヴィド・ビジャというスペイン代表を、ハビエル・マスチェラーノが支え、当然レオ・メッシが君臨する形でした。

 彼らをもってしも難しい3-4-3.

 その3-4-3を軌道に乗せ、鮮やかに勝利したヨハン・クライフの時代は本当にすごかったのでしょうね。

 クライフが見せる傲慢さはファンにとってはむしろ鼻につくよりも、大きな魅力だったにすぎません。

 勝利を高らかに宣言し、0-4でミランに屈服した1993ー94のチャンピオンズ・リーグ決勝の事例もありましたけれども。
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人間は外見と中身、結局どちらでしょうか

2021-10-03 20:55:12 | 日記
 僕のように自分の不衛生さ(他にも理由はあるのですが)で、周囲から嫌がられてしまい結果自分自身が信じられないケースを前回お話ししました。

 一方で世の中には絶世の美女、美男と高く評価される人物もいます。

 前者はオーストリア・ハプスブルク帝国フランツ・ヨーゼフの妃、エリザベート、後者はバイエルン王ルードヴィヒ2世が該当します。

 中野京子は著作、集英社文庫「残酷な王と悲しみの王妃2」31ページにおいてこう述べています。

 「外見は中身の薄さをカバーしてくれるが、逆に過剰な期待を人に抱かせる」

 過剰な外見の美は「勝手に」周囲が

 彼は王として何かをやってくれる存在だよ
 彼女ならば王妃としてふさわしい

 考え、その期待を裏切ると「勝手に」失望、憤激することがありますが、歴史上でも僕らの社会でも外見の美しさは、惑わす要因の一つとしてあり続けています。

 例えば現役時代のデイビッド・ベッカム、そしてカカは「貴公子」と呼ばれ、グティもその金髪を風に靡かせた麗しいプレイで、レアルファンの嫉妬と称賛を両方集めてしまいました。

 ベッカムは類まれな右足の技術をイングランド代表の主将
 カカはミランでチャンピオンズ・リーグを勝ちとり、2007年のバロンドール

 という実力者でした。

 ですから外見の良さが見かけだおしではなく、サッカー選手としての本質も正比例していた稀有な例かもしれません。

 外見は良いが中身は空っぽ
 不細工だが人間的魅力にあふれている

 後者はマルセロ・ビエルサがアスレチック・ビルバオを率いていた時代のトケーロがあてはまるでしょうね。

 ずんぐりむっくりとした体形でありながら、懸命にクラブのために走る彼をファンは事のほか好みました。

 誰か僕の事をほめてくれないものかと、トケーロの話を読むたびに考えてしまうのですね。
 
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自分の至らなさを克服するために

2021-10-03 20:32:25 | 日記
 僕自身女性との交友関係に今でも消極的なのは、幼少期に要因があると思います。

 僕はそのころ鼻水が垂れた際、腕でふき取るような始末でして、同時に母が唇を保湿するためリップ・クリームを塗ろうしても、それが嫌で逃げ回るほどでした。

 それは中学入学ころになると、一気にニキビもでき、頭髪にはフケも見えるという、つまり全く衛生的ではなかったんですね。

 ですから女子が席替えで僕の隣に来ることを拒むのは当然で、当時は自分自身の清潔度をまるで理解していなかったこともあり、今でもこの経験が尾を引いていると感じます。

 それだけ過去に起きた経験を、ある程度に年齢に達してから覆すことは難しいといえます。

 日本代表が韓国代表に1993年のプロ化まで、勝利に見放されたのも韓国代表に負け続けたことにあります。

 逆に言いますと

 1・1992年のダイナスティカップ優勝
 2・1993年アジア最終予選

 で韓国代表から勝利を得るハンス・オフトの手段、存在は当時の日本代表が最適だったと改めて痛感します。

 僕のように自己評価が低い人間は、自分自身で必死に鼓舞しても限界がある、つまり自信が得られないのです。

 ですから誰か赤の他人に

 君はここが長所だよ
 君と出会えてよかった、嬉しいよ

 とでも語られることがない限り、いつまでも袋小路に迷い込んだままの状態なんですね。

 僕もハンス・オフトのように肩をたたかれ、励ましてもらえる人物が欲しいと思うときがあります。

 そのおかげで自分(オフトの場合は代表選手たち)の長所、具体性を客観視することができたならば、それは凄いことです。

  

 

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