塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

傘下であることの意義を考えて

2021-10-10 21:20:33 | 日記
 アンブロは過去、ナイキに買収され傘下となっていました。

 ナイキはその時代、現在も収めるコンバースとコール・ハーンの親会社でもありましたが、現在はコンバースだけが残っています。

 アンブロからすれば、ナイキの顔色を伺うことが無くなった分、自分たちがやりたいビジネスを自分たちで決めることができるようになった点が、一番大きかったと思います。

 日本の場合はデサントに委ねられているわけですが。

 アンブロは2012年まで、イングランド代表の公式スポンサーでしたが、以後は現在までナイキがスポンサーとなっています。

 しかしアンブロはカンタベリーとの契約が終了した、ラグビー・イングランド代表と契約を結び、ラグビーの世界に本格的に携わろうとしています。

 この決断もナイキ傘下、つまり制約がある中では到底結ぶことができなかっった契約に違いありません。

 コンバースはNBAオールスターのドレイモンド・グリーンを昨年顧客に迎え、再度NBAで地位を築こうとしています。

 NBAファンならばご存じでしょうが、コンバースがドレイモンド・グリーンに支給した第1作「G4」は外見はコンバースですが、インソールは

 「ナイキ・リアクト」

 と刻印されている、ナイキからの技術を応用しているんですね。

 衝撃吸収素材に限らず、研究費は当然どのブランドでも嵩むと思いますが、コンバースは「傘下」という自分たちの立ち位置を最大限利用し、ナイキとのある意味で折衷案を考えた、と僕は考えたんですね。

 それはコンバースがナイキの資本提供が、自分たちに有利に働いていると思ったためでしょうが、恐らくアンブロにはコンバースのような実感がなかったのではないでしょうか。(コールハーンも含めて)

 ナイキもその点を認めたからこそ手放したのですが、この決断は両社どちらにも効果的だったと感じる次第です。
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アディダス、あの名作2足を復刻する

2021-10-10 20:57:43 | 日記
 今季よりアシックスと契約を結ぶ、ガンバ大阪の宇佐美貴史。

 宇佐美は昨年まで一貫してアディダスを愛用してきましたが、中でも桃色の配色が大きな話題を呼んだ℉50アディゼロを好んでいたようです。

 実はこのモデル、中村俊輔も贔屓にしておりアディダスが廃盤にしても尚履いていたほどですから、よほど蹴った際の感触が良かったのでしょう。

 そのF50,アディダスがプレデターパルスと共に復刻しましたよね。

 かつての名品を復刻するのはディアドラの印象が強いものの、重量や素材面を考慮すれば実践向きではなく、ある種のノスタルジーと共にファンが購入して往年の名手を思いうかべながら棚に飾る。

 という形を見越しての形だったようにも思えます。

 アディダスがこの2足を復刻、再度流通させたことはアディダス自身が自社の歴史を見直す、という側面もあるでしょうし、何より契約選手から

 「あのスパイクを履きたい」
 「もう一度、製造してもらいたい」

 という声が多かったためではないでしょうか。

 アディダスは2014年ロシア・ワールドカップ以降、エックスとエースの2サイロに的を絞りながら、グリッチ、廃盤にしたネメシズなどを市場の投入してきました。

 昨年は軽量スパイク、エックス・ゴーストをワールド・ワイドに展開するなど、多角的な形でスパイクをデザインしていましたが、今後は復刻盤を定期的に開発してゆくのかもしれません。

 一方でコパ・ムンディアルのような伝統的スパイクを置く店舗は、まずます減少してゆくと予想されます。

 審判はともかく選手でコパ・ムンディアルを指名するアディダス契約選手は思い浮かびませんし、アディダスもその点を見つめなおした結果が、復刻という新しいクラシックの提案ではないか。

 と勝手に想像してみました。

 
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聖帝サウザーは愛などいらぬと言いましたが

2021-10-10 20:39:43 | 日記
 1980年代の週刊少年ジャンプの代表作である「北斗の拳」

 ジャンプ・コミックスの10巻と11巻において、主人公のケンシロウは自らを聖なる皇帝と呼ぶ、南斗鳳凰拳の使い手サウザーを戦います。

 北斗神券も一子相伝ならな、南斗鳳凰拳も同様であり、サウザーは厳しい就業の最中暖かいまなざしで見つめてくれたお師匠をわが手で殺め、この拳法の後継者となります。

 そのお師匠の亡骸を祀るためにサウザーが建立したのが、聖帝十字陵になるのですが、サウザーはケンシロウに

 「こんな悲しみを味わうのであれな、愛なのいらぬ」

 と叫びます。

 サッカー好きもサウザーと一緒ではないでしょうか。

 サッカーに関心が無ければ、旅費やファングッズ、選手名鑑にお金を費やすこともなければ、試合に敗れた際の憤りを感じることはありません。

 代表に贔屓クラブから選手が招集されたならば、ワールドカップの舞台とはいえケガをしませんようにと祈り、クラブが不調で降格の可能性があれば、安眠とは程遠い暮らしが待っているわけです。

 日本代表はサウジアラビア代表の前に無得点、しかも敗戦
 長野パルセイロもYSCC横浜の前に無得点、しかしドロー

 というように、これだけ引き分けや敗戦が続くと、信濃毎日新聞を開く気力すらなくなってしまいます。

 これが野球ならば常に代表の試合があるわけでもなく、過去の阪神タイガースのようにシーズン100敗しそうな勢いでも

 「来年の目標は当然リーグ優勝です」
 「日本シリーズに出場しますよ」

 と呑気な事を言えるわけです。

 それは代表に選手を送る必要がないだけでなく、今はプレイオフで日本シリーズが見えてくるいじょうに、どんなに低調な成績でも降格がないためですよね。

 監督人事だって結局は、かつて在籍した選手を指名することが多く、そこに自軍の選手たちの特性や、球場の利点を最大限活用するという形は見られませんよね。

 サッカーの監督は世界中にいることも確か、しかし給料や契約年数を考慮すれは打診できる人間も限られている。

 サッカーはサウザーのように、結構な確率で喜びよりも悲しみをファンに与えている、という側面はあるでしょうね。

 しかし、「サッカーはいらぬ」と言えないのがファン心理なんですよ。
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