塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

作品と人間性の関連性について

2021-10-16 21:55:03 | 日記
 タンホイザー、ニーベルングの指環、トリスタンとイゾルテなどの作品で知られるリヒャルト・ワーグナー。

 ドイツオペラの第一人者としてその高い音楽性で知られる一方、ワーグナーは存命中から反ユダヤ主義の人物として知られ、アドルフ・ヒトラーも彼を贔屓にしていたといいます。

 僕はイスラエルに出かけたことはありませんし、イスラエルの方がワーグナーの作品に触れているかもわかりません。

 イスラエルにはマッカビ・ハイファ、マッカビ・テルアビブという、過去チャンピオンズ・リーグに出場したクラブがありますが、彼らが欧州の戦いでブンデスリーガのクラブと対戦するとき。

 もしくはイスラエル代表とドイツ代表が戦う際、イスラエルのファンはドイツの地にどのような気持ちで降り立つのでしょうか。

 それ以上にワーグナーの作品を芸術として尊重すべきか、それとも人種的に侮蔑してきた人間の芸術が、脇に追いやるべきだと考えるべきなのか、僕はせいぜい「ワルキューレ」しか聞いたことがないのですが、それでも悩みますね。

 サッカー選手も同様で

 ポール・ガスコインのように、飲酒におぼれた選手は断罪されるべきか
 エジムンドのように、交通事故で同乗者を死なせた選手は断罪されるべきか
 ルイス・フィーゴのように、バルセロナからレアル・マドリードへ移籍した選手は断罪されるべきか

 とも思いますしね。

 一方でフランチェスコ・トッティやフランコ・バレージのように、生涯をASローマ、ACミランだけで過ごした選手は、聖人君子のように敬愛されるべきかという点もあります。
 
 僕個人の見解ですが、芸術とサッカー、そしての人間性は信教分離ではありませんが、分けて考えるべきではないかと思います。

 確かにワーグナーの人間性は受け入れられない面もありますが、それだけで作品を無視するのはもったいないと思いますからね。
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ジョルジュ・ウエアは絶望しなかったのだろうか

2021-10-16 21:19:55 | 日記
 西アフリカに「リベリア」という国があります。

 リベリア大統領であるジョルジュ・ウエアは、ACミラン、マンチェスター・シティ、パリ・サンジェルマンにASモナコを渡り歩いた、アフリカを代表する名手として有名でしたね。
 
 ちなみに息子のティモシー・ウエアも父の薫陶を受けプロとなり、米国国籍を取得して日々研鑽しています。

 そのウエアですが2002年韓日ワールドカップは、あと少しのところで出場を逃すも、リベリア代表の実力を考慮すれば予選敗退でも健闘したといわれる部類に入ります。

 僕は思うんですね。

 当時ジョルジュ・ウエアは絶望しなかっただろうか
 当時ジョルジュ・ウエアは何を思いながら、代表に合流し予選を戦ったのだろうか

 1995年バロンドールに輝くウエアは当時ミランに在籍し、当然大きな報酬を与えられ、最先端設備の練習場の「ミラネッロ」で汗を流し、サンシーロという世界屈指のスタジアムがホームでした。

 一方で「代表」のウエアは、なんと金銭的にサッカー協会が巡前れないために、ウエアが自腹でサポートをしていましたし、当然代表の仲間たちの実力は彼には及ぶことがありません。

 ユーゴスラビア代表 デヤン・サビチェビッチ
 クロアチア代表 ズボニミール・ボバン
 イタリア代表 パオロ・マルディーニ
 フランス代表 マルセル・デサイー

 と当時のミランは、レアル・マドリードが手本にしたとさえ言われるほどの面子がそろい、1994年にはあのFCバルセロナをアテネの地で4-0の完封勝利で叩きのめし、欧州王者に輝きました。

 代表とクラブでの落差
 イタリアとリベリアの風景の落差
 金銭面での落差

 これらに絶望しなかったからこそ、彼は代表に金銭面で支援を行い、最終的に大統領になったのでしょう。

 日本人は不満を漏らさないことを美徳、と感じることが多いと思いますが、ウエアも案外同様かもしれませんね。
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欧州のファンがしない習慣の中に

2021-10-16 21:10:02 | 日記
 今夏の欧州選手権優勝を果たしたイタリア。

 そのイタリアは攻守を問わず、多くの名手を生み出してきましたが、その極めつけがロベルト・バッジョではないでしょうか。

 ポニーテールと青いイタリア代表のジャージ、そしてディアドラ。

 美しい女性と恋をすることを好むイタリア男性が多い中、バッジョは幼馴染であるアンドレイナ夫人以外の女性に見向きもせず、同時に何度も何度も痛めた膝の故障から立ち直ってきたことで、日本でも絶大な支持を得ました。

 彼のおかげで「ディアドラ」というブランドを知った方も、案外多いのではないでしょうか。

 そのバッジョですが、ビチェンツアを皮切りにフィオレンティーナ、ユヴェントス、ミラン、ボローニャ、インテル、そしてブレシアとイタリア国内を渡り歩きました。

 ここに日本とイタリアの決定的な違いがあります。

 日本における熱心なバッジョ・ファンは、彼が移籍することに移籍先のスカーフやレプリカ・ジャージを購入するなど、クラブを渡り歩く形で応援します。

 しかしイタリアでは、どんなに愛した選手、去ってほしくない選手が移籍したとしても、愛するクラブだけをサポートし選手の後を追いかけません。

 イタリア代表でバッジョが登場すれば、当然応援するし活躍すればうれしいに決まっている
 しかし、クラブは別物で基本、地元のクラブを応援するのが当然である

 という立ち位置になります。

 ですからイタリアに限らず欧州のファンからすれば、選手が移籍する度に応援するクラブが変わることは、本当に奇妙な出来事なのです。

 例えばチャナティップのように北海道コンサドーレ札幌にタイ代表のスターが移籍すれば、タイの方は地元のクラブ、例えばチョンブリーやブリーラムとコンサドーレを注目するという形にはなるのでしょうが。

 それでも地元のクラブを贔屓にするというのは、サッカーに限らずすべての競技における基本であることは確かですから。
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僕が思う結果論の中身

2021-10-16 20:57:23 | 日記
 NBAファンならば1984年ドラフトの出来事をよく覚えていると思います。

 1位指名 ハキーム・オラジュワン ヒューストン・ロケッツ
 2位指名 サム・ブーイ ポートランド・トレイルブレイザーズ
 3位指名 マイケル・ジョーダン シカゴ・ブルズ

 5位ではサム・パーキンスがシアトル・スーパーソニックスから、16位ではジョン・ストックトンがユタ・ジャズから指名を受け、この1984年は歴史に残るドラフトと今でも語られる年です。

 よく指摘されることに、ポートランドがどうして(結果)故障が多く、平均的な選手のサム・ブーイを獲得し、マイケル・ジョーダンの指名を検討しなかったのかという点があります。

 実はポートランドには、すでにマイケル・ジョーダンと同じポジションのシューティング・ガードに、1992年バルセロナ五輪代表に選出される名手、クライド・ドレクスラーがすでに在籍していたためです。

 NBAは12名しか選手を登録できませんから、同じポジションを有能な選手が争うことは意味がないのです。

 また、ジョーダンを指名しなかったのは「結果論」でもありますからね。

 日本代表の古橋がセルティック・グラスゴーに移籍してから、彼のプレイだけでなく「将来はプレミアで」という発言が問題視されるなど、日を追うごとに存在感が増しています。

 ただ、セルティック首脳陣は「結果論」として満足しているに違いありません。

 それは彼らが数年前から古橋というJリーグの神戸に注目すべき選手がいる、と考えたわけではなく、アンジェ・ポステコグルーがクラブの利益になるであろうから獲得すべきと進言したため、ですよね。

 ですから仮に、ハーツやレインジャーズ・グラスゴーに入団していたとすれば、指揮官からこれだけのプレイイング・タイムを与えられなかったかもしれません。

 結果論は時に、趨勢を覆すように感じます。
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