塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本代表に補佐役は必要か

2013-05-31 00:27:52 | 日記
 オーストラリア戦はドローでも構いません。

 ではこう考える事も可能でしょうね。

 「果たして日本が2014年ブラジルに行くならば、指揮官に補佐役を付けなくてもよいのか?」

 僕が示す補佐役というのは、コーチやドクター、広報といった代表の裏方や実務を担う方のことではなく、直近のワールドカップ
を経験し、ホテル選びから合宿地にマネージメントについて、アドバイスできる人物です。

 それは恐らくサッカー協会の関係者が務めるのでしょう。

 しかし、協会の人間では無く、実際ドレッシングルームで選手たちを鼓舞し、同様にホテルと合宿地で長い時間を共にしたことの
ある人物から直々に提言があれば。

 それは帯同しなくとも価値あるように思えます。

 僕が「直近」と書いたのにも理由があります。

 98年以降ワールドカップは32か国に増大し、日々テクノロジーの発達によりボールもジャージも劇的に変化しています。

 ですから選手として1970、80年代のワールドカップに参加した元選手よりも、2002年以降スタッフや裏方として参加し
た方が帯同、もしくは提言できたならば。

 実りがあるように思えます。

 ザッケローニ監督も通訳もコーチも、ワールドカップと伴う長期合宿が初めてですし、水先案内人は必要ではないでしょうか。

 例えば

 1・ジーコ時代、ドイツの宿舎には窓がなく、光があたらないため部屋の色彩が暗いままだった。
 2・岡田時代、ザーフェイスでの高地合宿が最高の準備となり、遂に16強に進出できた。

 他愛もないことも幾つもあります。

 その他愛もないことが選手の心理に深く影響することは、2006、2010年に証明されています。

 今の段階では無意味な議論ですが、それでも語る意味はあると感じます。

 
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ブルガリア戦の敗北で感じた点

2013-05-31 00:16:49 | 日記
 僕の中には確かに驕りがありました。

 「ビッグネームのいないブルガリア代表は勝てるはずだ。」
 「日本にはインテル、ユナイテッドだけでなく欧州各国でリーグ優勝、カップ戦制覇を体験した選手が存在する」

 つまり、僕はブルガリア代表とぺネフ監督に対し、必要最低限の敬意を持てていなかったのです。

 2010年、日本がやはりホームでセルビアと戦った際に0-3で完敗を喫した際、周囲はヒステリックに敗北を糾弾しました。

 その一方で日本の敗戦を聞いたイビチャ・オシムは

 「君たちはセルビアを過小評価していなかったのか?」

 と冷静に問いかけてきたのが印象的です。

 昨日のブルガリア戦で感じたことは、欧州遠征に出た際にワールドカップの第1ポッドと第2ポッドに相当する国と2連戦した
らどうかというものです。

 僕は以前、第2ポッドに入るであろうベルギーやクロアチアと戦うべきだとお話したことがあります。

 その2か国に加えてスロベニアにセルビア、近年ビッグ・トーナメントに近くなったボスニアなど、欧州にはまだまだ侮れない
国が沢山ある。

 0-2の敗北はその為の授業料となりました。

 ラトビアだって日本ではうまく振る舞えませんでしたが、逆にホームで戦ったなら日本も苦しむ可能性があります。

 欧州に与えられたワールドカップは13、そして欧州選手権とワールドカップがバランスよく、2年おきに開催されることも
欧州の長所であり、選手が伸びる理由だと思います。

 オーストラリア戦、やはり本田頼みになる点が多いと思います。

 しかし故障がちな彼に多くを望むようであれば、コンフェデ杯日本は劣勢が予想されます。
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ブルガリア、真剣勝負に徹したその結果

2013-05-30 21:23:00 | 日記
 最近日本で行われる親善試合の質の低下が叫ばれていましたが、今回来日したブルガリア代表に観光気分は全く見られず、
こうした試合が続くと良いなと感じました。

 先日のスポーツナビの記事にも掲載されていたように、現在のブルガリア代表にはふたりのペトロフにベルバトフ、そし
てボジボフといった世界的に知られた選手は存在しません。

 それはぺネフ監督も認めています。

 ただ前半の鮮やかなサイドアタック、試合を通じて見られた球際の強さ。

 それはブルガリア代表の真剣さを象徴するものであり、1998年以降遠ざかるワールドカップ出場への渇望が見受けら
れました。

 J1でプレイした3選手、メトコフ(ガンバ大阪)ストイチコフ(レイソル)ストヤノフ(ジェフ、サンフレッチェ)も
自国の活躍を喜んでいると思います。

 (ストイチコフは代表監督時代以降、サッカー協会との折り合いが悪く、そうではないかもしれませんが)

 前半3分の先制点、僕は日本代表にとっては

 「交通事故」

 のようなもので、充分挽回できると思っていましたが、現実は異なりました。

 もし前半に同点に追いついていたならば、後半も引き続き3-4-3で戦ったように思いますし、後半開始の時点で4人
の交代選手投入は無かったと感じます。

 僕は愚直にハーフナーの頭に合わせて、リバウンドボールと彼のヘディングに活路を見出しても良かったと思います。

 パスをこねくり回すよりも、単純にボールを送ったほうがブルガリアの最終ラインは嫌がったでしょうし、事実過去の日
本はこの手法で何度も痛い目を見ています。

 ザッケローニ監督が3-4-3を用いたのは、選手に与える新鮮さだったのでしょうが、不発に終わってしまいました。
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レアル、ここにきて方向転換か

2013-05-30 14:39:00 | 日記
 レアル・マドリードは新指揮官の最有力候補として、カルロ・アンチェロッティを挙げていますが、ここにきて風向きが変わり
つつあります。

 「ユップ・ハインケス」

 今季バイエルン・ミュンヘンを欧州王者に導いたこのドイツ人に、再びベンチに招き入れようとする動きがあると言われていま
す。

 今日のスポーツ・ナビでセルジオ・レヴィンスキー氏が

 「ロッベンですら精巧な金細工を構成する歯車のひとつにすぎない。」

 と語っているように、ハインケスを招聘しようとする動きは氏の一言に集約されるはずです。

 ロナウドにベンゼマ、そしてヴァランにカシジャスなど、マドリードにはバルセロナに勝るとも劣らない選手が揃っていますが、
個々の活躍、つまり単体では存在感が放てても

 「集合体」

 としての動き、洗練さがバルセロナに負けていたと考えるならば。

 ハイケンスが「個と集団」というふたつの側面を持つサッカーの基本を改めて示唆できたなら、マドリードはバルセロナ、そして
アトレティコに対して優位性を保てるかもしれません。

 僕はアンチェロッティはもう1年、PSGに残留すると考えます。

 と言いますのも、2014年ワールドカップ終了後に現在のプランデッリ政権は終焉するでしょうから、きっと次の代表監督には
アンチェロッティが間違いなく公認候補に挙げられる為です。

 確かにマンチーニもフリーになりました。

 しかし二つの側面

 「国内リーグで優勝できても、欧州の舞台ではどうも」
 「何故か必ず主力と軋轢が生まれてしまう。」

 というマイナス面の挽回は、大変難しいと思います。

 イタリアサッカー協会とすれば、アンチェロッティがレアルと複数年で契約するよりも、パリで1年指揮を執ったのちにイタリア
に帰還してくれれれば。

 そんな期待を持っているように思えるのですがどうでしょうか。
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公式会見のやりとりの中で

2013-05-30 14:24:28 | 日記
 丁々発止と言えば聞こえは良いものの、実際のところ議論は全くかみ合わず会場内には険悪な空気が流れるだけ。

 橋下大阪市長と毎日新聞社とのやり取りの映像を先ほど見たのですが、どう贔屓目に見ても前向きで互いが良い質疑応答がで
きたと言う雰囲気ではありませんでした。

 そこには互いに関する不信感が蔓延しており、だからこそ書く記事と発言には敵意、言い変えれば感情が抜けきることがない
のでしょう。

 以前にもお話しましたが、

 「レアル・マドリードの公式会見」

 も、似たような状況がこの3年続いたのでしょう。

 新聞記者と雑誌記者を全面的に信用できないモウリーニョの胸中はわかります。

 それは日本も同様で、週刊誌が本名ではなく「専門誌記者A」や「スポーツ・ジャーナリスト」と言う形で、自身を保護してい
る形ですしね。

 「監督も選手も本名でリーグ戦を戦い、痛烈な批判を受けているのに批判する側が常に華麗なステップで逃げようとするのは、
  全くもって解せないね。」

 そう思うのは僕だけではないと思います。

 勿論サッカー批評のように、記者の署名とプロフィールをしっかり公表している媒体もあるのですが。

 一方記者からすれば、自分たちをぞんざいに扱う指揮官(市長)は、やはり解せない存在なのでしょうね。

 この両者の間に横たわるふたつの溝

 1・記者はどう考えても理解できない記事を平気で書く。
 2・監督(市長)は横暴な存在だ。

 これを解決しなければ、会見は今後も険悪でその場にいる人間が今すぐにでも逃げ出したいと思う、暗い雰囲気は解消しない
と言えます。

 スペインではかつてハヴィエル・クレメンテが

 「最高のスペクタルは勝ち点3」

 と唱え、欧州選手権2004の指揮官イニャキ・サエスは、自身が

 「メディアからリンチにあった。」

 と叫び代表監督を辞任しましたが、監督とメディアはやはり常に平行線を辿るのが常なのでしょうが。
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