塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本代表、3-4-2-1は奇策でしょうね

2021-10-09 21:05:40 | 日記
 皮肉だなあと思うのは、アディダス・ジャパンが日本代表に支給しているホーム・ジャージのデザインが

 「日本晴れ」

 という形でデザイン、提供されている点です。

 今のところ日本晴れはおろか曇りであり、12日の結果次第では嵐に変化する可能性も残されています。

 興味深いことに森保さんは十八番と思われる3-4-2-1をここ2年は封印しており、一貫して4-2-3-1を用いています。

 基本布陣を五輪代表とA代表で統一する。

 選手たちがどちらの代表に選出されても、違和感を感じることが無いようにという指揮官の配慮が、先発選手も布陣にも珍しい形がない、という安定感ではなく動脈硬化を起こしてしまった点も、皮肉に思えますね。

 従いまして、オーストラリア代表との一戦でも当然4-2-3-1で挑むに違いありません。

 仮に3-4-2-1で臨んだとすれば、斬新ではなくむしろ「奇策」と思うことになるためです。

 僕が考えるならば

 1・GKと最終ライン GK谷 最終ラインは右から橋岡、富安、吉田、中山
 2・中盤 センターに遠藤と田中、中央に三好、右に伊東、左に原口
 3・1トップにオナイウ阿道

 という具合です。

 1トップはオープンスペースを巧みに使える古橋を後半から投入し、まずは屈強なオーストラリアのセンターバックを、オナイウ阿道にターゲットマンとして背負ってほしい、つまりポストになってもらえばどうか。

 と感じたんですね。

 杉山茂樹がウエブ版スポルティーバで

 「南野は左翼ではなく、どうしても中央に切れ込んで切る」
 「過去の香川真司と全く同じだ」
 「これではレフト・フルバックの前に、空いた空間が生じてしまう」

 と語っていたように、プレスの形が歪になると日本は劣勢になると感じましたので、原口を考えてみました。

 仮に敗戦であれば、その瞬間から代表の崩壊がはじまるかもしれません。
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僕は今でも森保さんは聡明な方だと感じています

2021-10-09 20:42:15 | 日記
 追い詰められていることは確かです。

 でも僕は森保一日本代表監督は、今でも聡明な人物だと思っています。

 ヴァイド・ハリルホジッチのように、代表選手の特性と自身の感性と戦術が合致しない
 フィリップ・トルシエのように、ある種の独善的な行動は微塵もない
 ジーコのように、その功績が批判を含む意見、提案を出しにくい

 わけではありません。

 むしろ丁寧に説明をしていると思いますし、柴崎岳を庇い彼の代表を含む選手生活が終わらないように示唆しています。

 つまり落ち着いていることで激高もせず、対戦相手を挑発することで自ら墓穴を掘らない術を持っているんですね。

 だからこそ、ここまでファンから

 「何やってんだ!森保!!」
 「交代が遅いし、いつも先発の顔ぶれが変化しないよ!!」

 と批判されるのでしょう。

 聡明な人物にしては、対策が後手に回っているけれども、大丈夫ですか、どうしたの、という声が罵声になっているわけです。

 監督は五輪代表とA代表を兼任することで、二つの代表の流動性を大きく作用させることが目的のひとつでした。

 ただ、案外五輪代表がA代表に組み込まれる例は少なく、トルシエがシドニー五輪の先発選手たちを、以後A代表の中軸として起用したような退社が現在は見られません。

 監督を後退させるならば、おそらく誰が監督になろうが招集される選手というのは決まっています。

 守備の選手ならば富安
 攻撃の選手ならば久保

 こお2選手が最大限有利な形になれる戦術を浸透させること、そして今回の久保離脱のように、彼らが不在の際戦術で補うのか、別の選手で補うのかもはっきりした方が良いですね。

 もしJリーグのクラブに協会が次期代表監督を打診するならば、ミハイロ・ペトロビッチが良いと思います。

 暗く沈んだ選手たちを戦術でがんじがらめにするよりも、心を開放させる指揮官の方が良いと思うためです。
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日本代表、監督解任の声が増す

2021-10-09 20:32:35 | 日記
 世論の多くは、森保一日本代表監督を解任すべきと考えているようです。

 それは当然、最終予選を3節まで終えた時点で得た勝ち点がわずかに「3」、すでに許容範囲と思える2敗目を喫しているという結果にあります。

 ただ、それ以上に日本代表が

 「なんとなく敗れている」
 「こんな姿が日本代表の本来の形ではない」

 と皆が感じている、つまり心にもやもやがあるんですね。

 例えば1997年、マレーシアのジョホールバルにおいて、イラン代表は2-3で日本代表に敗れましたが、あれくらい真正面から打ち合っての敗北であれば、ここまで事は大きくならないと思うんですね。

 「敗れたはした、でも次があるよ」
 「これからも代表を懸命に応援するよ」

 とファンも前向きになれたと思うのですが。

 僕は映像を90分通してみていませんし、どうしても柴崎岳のバックパスに焦点を当てた形での映像になってしまうのですが、実はボール保持率は日本代表とサウジアラビア代表は、5分だったと聞きました。

 つまり、勝敗は案外どちらに転んでもおかしくはなかった、サウジアラビアはホームですから勝ち点3が欲しい、でもこのままでは引き分けでも良しとしようという形になったかもしれません。

 皆がヒステリックになっているのは、代表が全力を尽くしての敗戦ではなく

 5分の形でも勝利はおろか、引き分けにすらもちこめない
 サウジアラビアに仮にドローでも、彼らは勝ち点7日本は勝ち点4と勝利差は1勝分だけ

 という形だったわけですからね。

 日本サッカー協会は、FC東京の長谷川健太氏、メキシコ五輪代表を指揮し来日経験を持つメキシコ人のロサーノ氏に声をかけるのではなかろうかという声もありますが、後者に関しては「飛ばし」のようです。

 ただ、オーストラリア戦が分水嶺であることは間違いないというのは共通の見解ではないでしょうか。
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