塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕たちが自尊心をくすぐられる時とは

2016-10-31 11:02:02 | 日記
 サッカー選手が移籍してゆくものです。

 同様に僕たちも転職、部署移動で一つの場所に留まることは減少しています。

 今季ユヴェントスに移籍したイグアインが、ナポリのティフォージから強烈な痛罵を浴びましたが、選手に限らず人々は

 「惜しまれる去り際でありたい」
 「そして自分の存在価値を改めて確認したい」

 と思うものではないでしょうか?

 つまり、惜しまれる、後任人事が難航している、あの人が知らない間にこんなに作業をしてくれた、だから私たちは助かっていた、と思われることで自尊心を維持するというわけです。

 残念ながら、そのような事例はありませんがね。

 イグアインに限らずファンが激怒するのは

 1・ダービーとなるクラブへの移籍
 2・ダービーではないが宿敵と考えているクラブへの移籍

 がありますが、選手としてはその点での批判は考慮済みでしょう。

 イタリアではミランとインテル、ユーヴェとトリノ、ローマとラツイオ以外にフィオレンティーナとエンポリ、カターニャとパレルモ、キエーボとエラス・ヴェローナ。

 のように膨大は宿敵関係があります。

 ナポリとユヴェントスはかつてから指摘されている北と南の経済問題があるわけですが、マラドーナはその現実を逆転させることに成功した、ただ一つの事例です
 
 ユヴェントスファンとしては、イグアインの得点力は魅力的ですが、一方で彼らがスクデット獲得数と欧州制覇の数において

 「ナポリを凌駕している」

 からこそ、喧嘩をふっかけることはないのでしょう。

 イタリアでも金持ちは喧嘩せず、なのかもしれません。
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僕が思う責任者の存在意義

2016-10-31 01:18:27 | 日記
 山梨学院大学時代、僕は見ていませんでしたが、新世紀エヴァンゲリオンが爆発的な人気を得ていました。

 僕も中古で単行本を買ってみましたが、その中のせりふに

 「責任者は責任とるためにいるのよ」

 というものがあった、と記憶しています。

 でも僕が思う責任者、上司の存在は

 自分がしたくない、面倒で仕方がないことを目下にやらせる存在
 目下がわからないということに反目するが、自分がわからないことをは平気で「俺わからん」と言う

 ものだと解釈しています。

 簡単に言えば

 サッカー監督や上司は、選手や目下の人間よりも汗をかかねば意味がない
 伝令する前に、まず自分が率先して面倒なことをやれ

 というものです。

 責任者が責任逃れ、チンタラ歩いているのに選手、目下の人間が動くわけないでしょうよ。

 日本に限らず代表監督は自国リーグをくまなく視察し、オシムのように衛星テレビで最先端の試合を鑑賞します。

 今のハリルホジッチ、そしてジーコの時は視察はした、しかし招集される選手はいつも一緒で、あの試合を視察し、感想を述べたことは何なんだということがあります。

 ジダンがカゼミーロを徴用するのは、彼がレアルの誰よりもボールのあるところに馳せ参じるためですが、きっとクロード・マケレレを思い出しているのでしょう。
 
 「クロードがいたおかげで攻撃に専念できた」
 「カゼミーロを見ていると彼を思い出す」

 これはノスタルジーではなく、前線の選手たちから守備のタスクを逃すためですが、責任者でもこれだけ大きな解釈の違いがあることに驚きです。
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僕がパルセイロの指揮官に、小湊さんを推薦する理由

2016-10-31 00:59:36 | 日記
 僕は先日、もし来季パルセイロが新指揮官を迎えるならば、ベルマーレから小湊さんを獲得すべきとお伝えしました。

 もし可能ならば、主将として在籍経験のある貞富さんも一緒にどうか、という提案なのですが、大切なのは小湊さんの意思です。

 小湊さんが自覚症状として

 「自分は監督という大将の位置につきたいのか」
 「もし、参謀として大将を支える立場の方がよいのであれば、監督は別の人物を探すことを依頼」

 という形になります。

 政治家やプロコーチには、しばしば求心力という言葉が用いられます。

 文字通り、心を救う力が求心力です。

 小湊さんはパルセイロが長野エルザとしての活躍を知る数少ない人物です。

 クラブの歩みを知る人物
 貞富、土橋、大橋など、今は引退してコーチ、営業、アンバサダーとして生きている人間たちが、がむしゃらに動いていた時代を知っている

 僕はこれらの材料だけで

 小湊さんが持つ求心力

 になりえると思います。

 パルセイロは以前に比べると古着市やトレカの発売、マスコットのライオー誕生など、スタジアムを盛り上げる工夫は各段に上昇しています。

 ですから試合の質、ファンが来て良かったと思う試合内容が続くのであれば、必ず良い結果が生まれると思います。

 監督人事はファンの仕事ではありません。

 ただ、三浦監督への不信任の気運が高まっている今、監督続投はそうとう厳しいのではないでしょうか。
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質実剛健は退屈な言葉だろうか

2016-10-30 01:20:33 | 日記
 メンズクラブは日本の男性が常に意識してきた雑誌ですよね。

 僕は今の企画よりも、20年前僕が高校生で隅から隅まで読んでいた、あの時代の方が素敵だったと思います。

 質実剛健という言葉は、今のご時世では固い印象かもしれません。

 しかし、当時の企画は女性から素敵と評価されるよりも、克己心、自分で自分を奮い立たせ、服装も基本をおろそかにせず、髪型やひげの手入れは相手を不愉快にさせないという、自分のためのものでした。

 巻末には覚えている方も多いでしょう

 「メンズ・クラブ特約店」

 というリストがありまして、長野市中心部にも「トラッド・ショップ・ニューポート」という店舗は掲載されていました。

 僕は入店したことはありますが何も買ったことはありません。

 僕のような若輩者にも丁寧な対応でしたし、恐らくダニエル・クレミュやペリフェリックなど、基本を押さえたブランドを扱っていたと推測します。

 時代の趨勢と編集長の方針。

 雑誌は広告収入だけでなく、作り手の意思が反映されます。

 ただ、今の日本には往年の、友人のように気軽に語りかけてくる店舗ではなく、相手をひとりの男性と尊重し、ある程度の距離を保ちながら真摯に応対する店舗が必要のように感じます。

 サッカーもバルサが評価されるのも、クライフ以降の指揮官が基本、戦術と育成を同じ目線で行ってきたからです。

 一方のレアルはジダンはジダン、ファン・デ・ラモスはファン・デ・ラモス、カペロはカペロと独自の世界観で戦ってきたうえに、監督交代の頻度が高すぎ、選手の活用に一貫性がない。

 という時代を多く過ごしています。

 それでも多くの優勝を遂げていることはすごいことですが、レアルにも派手な補強よりも質実剛健は必要のうように見えてきます。
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タイから来た方たちと会話をして

2016-10-30 01:07:32 | 日記
 昨日、タイからいらした方と話す機会がありました。

 途中、英語でどう対応してよいのか、簡単に言うと日本語で脳裏に浮かんだ表現を、英単語でどう伝えるべきなのか、わからなくなってしまいました。

 幸いご家族にある程度の日本語が理解できる方がいて、本当に助かったと思いました。

 近年日本人が自力で様々な国でサッカーをするようになりましたが、言いたいことが伝わらないもどかしさ、伝えたいが伝えるだけの度量が無いことはは、精神的に随分しんどく感じるでしょうね。

 別れ際に僕は

 「日本でもチョンブリFCとブリーラム・ユナイテッドはよく知られています」

 と語りかけたんです。

 一瞬、何を言われたのかよくわからない様子でしたが、

 「この日本人はタイのサッカークラブを知っている」

 ということで、よく知っていますねえ、と笑われました。

 海外の方と話す題材として
 経済、社会貢献、人生の縮図として

 サッカーを考えると、なるほど、好きでよかった、と思うことが度々あります。

 アジア・チャンピオンズリーグで、タイを始めとする東南アジアのクラブが、西アジア(アル・サッド、アル・ヒラルなど)中国と韓国(広州恒大や水原三青)に勝つことは、まだ難しいかもしれません。

 しかし、近い将来右肩上がりで続く経済状況と共に、アジアの頂点に立つことがあっても不思議ではない。

 そんな気がした一日でした。
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