我が家では母がいつも父に「お伺い」をしなくてはいけません。
料理の味付けはこれで良いでしょうか
畑の作物はいつ収穫しましょうか
盛り付けるお皿はこれで構いませんか
僕も部屋で読書中、父が「あれもできていない、これもできていない」とつぶやく姿を見ると、自分が批判されているようで、寛ぐことすらできません。
父の名誉のために言いますと、父は日曜大工から清掃、洗濯に料理までなんでもこなせてしまう人物です。
一方で僕たちには
「お前はバカだから」
「何やっているだか」
と批判的な声を挙げてきたことも確かです。
日本代表選手たちがアグレッシブにできないのは、自分の意思、思考で問題点を打開しようとは思うのでしょう。
そうするとマスメディアの顔色も窺うこともあるのでしょうが、指揮官のメンツをつぶしてしまう、言い換えれば越権行為に相当するためと感じているに違いないと思うのですね。
父にこちらの方が理にかなっているでしょう、と伝えても大抵の場合
「そうかもしれないが」
と言います、
「そうだな、その通りにやってみると良いよ」
「この形で進めよう」
とはならないんですね。
ちなみに我が家ではこれだけ世の中に選択肢がある中で、年賀状印刷は毎年「僕」一択で、少しでも出来栄えが悪いと、ここはどうしてこうなんだ、何とかならないのはと意見される具合です。
僕は年賀状印刷など、エキスパートに依頼できることはそうすべきと思いますが、彼らに頼む以上コストがかかるのは致しかたありません。
我が家はその「コスト」が嫌なんですね。
選手が自発的に物事を行うと、おそらく日本人の指揮官は内心「勝手に物事を始めた」と思いがちなのでしょうね。
また日本人は(とりわけ僕がそうですが)他人に物事を頼みたくないのではないでしょうか。
僕の場合は他人に本来自分が背負うべき責任を与えるのが嫌ということもありますが、それ以上に僕に「お願い」と任せた人物たちのほとんどが
「それ塚田君に任せたよ」
「なんで忘れてるの」
と批判するから、頼まれることも頼むこともいやなのです。
「そうだよね、人間忘れることもあるさ」
「頼む前に、まず僕が時間内に始末できるように考えるべきだったのだが」
と庇うくらいの気持ちがなければ、頼むべきではないと思います。
責任は誰かに譲るべきではないというのが僕の考えですが、誰かの顔色をうかがうような空気も除外すべきではないでしょうか。
料理の味付けはこれで良いでしょうか
畑の作物はいつ収穫しましょうか
盛り付けるお皿はこれで構いませんか
僕も部屋で読書中、父が「あれもできていない、これもできていない」とつぶやく姿を見ると、自分が批判されているようで、寛ぐことすらできません。
父の名誉のために言いますと、父は日曜大工から清掃、洗濯に料理までなんでもこなせてしまう人物です。
一方で僕たちには
「お前はバカだから」
「何やっているだか」
と批判的な声を挙げてきたことも確かです。
日本代表選手たちがアグレッシブにできないのは、自分の意思、思考で問題点を打開しようとは思うのでしょう。
そうするとマスメディアの顔色も窺うこともあるのでしょうが、指揮官のメンツをつぶしてしまう、言い換えれば越権行為に相当するためと感じているに違いないと思うのですね。
父にこちらの方が理にかなっているでしょう、と伝えても大抵の場合
「そうかもしれないが」
と言います、
「そうだな、その通りにやってみると良いよ」
「この形で進めよう」
とはならないんですね。
ちなみに我が家ではこれだけ世の中に選択肢がある中で、年賀状印刷は毎年「僕」一択で、少しでも出来栄えが悪いと、ここはどうしてこうなんだ、何とかならないのはと意見される具合です。
僕は年賀状印刷など、エキスパートに依頼できることはそうすべきと思いますが、彼らに頼む以上コストがかかるのは致しかたありません。
我が家はその「コスト」が嫌なんですね。
選手が自発的に物事を行うと、おそらく日本人の指揮官は内心「勝手に物事を始めた」と思いがちなのでしょうね。
また日本人は(とりわけ僕がそうですが)他人に物事を頼みたくないのではないでしょうか。
僕の場合は他人に本来自分が背負うべき責任を与えるのが嫌ということもありますが、それ以上に僕に「お願い」と任せた人物たちのほとんどが
「それ塚田君に任せたよ」
「なんで忘れてるの」
と批判するから、頼まれることも頼むこともいやなのです。
「そうだよね、人間忘れることもあるさ」
「頼む前に、まず僕が時間内に始末できるように考えるべきだったのだが」
と庇うくらいの気持ちがなければ、頼むべきではないと思います。
責任は誰かに譲るべきではないというのが僕の考えですが、誰かの顔色をうかがうような空気も除外すべきではないでしょうか。