塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

過去の価格と現在の隔たり

2019-04-30 01:04:51 | 日記
 ニューバランスの米国製スニーカーに憧れを抱く方は多いと思います。

 それは米国の靴づくりを体現しているだけでなく、単純に希望小売価格が高いという2点の理由が考えられます。

 僕が思うのは、規模小売価格が米国生産の品は品番に限らず20000円は確実に超える、という意味で高く感じるのではなく

 「過去に売られていた米国製ニューバランスはもっと安値だった」
 「だから現在の小売価格が高く感じる」

 という意味合いです。

 僕には弟がいまして、まだ彼が10代のころ、996のグレーを18,000円(定価です)で買ったんですよね。

 「よくこんな高い靴を買う勇気があったなあ」
 「でも羨ましいなあ」

 と思ったものです。

 最後、彼からその996を譲り受けることができたのですが、なんと加水分解が進行していて外出している最中に、アウトソールがミッドソールから剥がれてしまうという事態に陥りました。

 どう帰宅したのか全く覚えていませんが、相当焦った事は確かです。

 時代背景もありますが、賃金の上昇や素材の確保など、90年代と現在では大きな隔たりがあることは間違いありません。

 関税の問題もあるでしょうしね。

 ですから、プーマ、アディダス、ミズノのように今でも天然素材のスパイクを手掛けているブランドはきっと

 「上質な革を今後、いかに入手してゆくか」
 「小売価格を上昇させないためには何をすべきか」
 「工場における世代交代をどうすべきか」

 という難題があると思います。

 イタリアでは既製服やファットファッションの流行で、多くの仕立て屋が廃業になりましたが、それでもトランクショーをはじめ、彼らの努力で今でも最高の仕立て服が購入できます。

 サッカー・スパイクの基本が黒のカンガルーレザーという概念は変わらないでしょうし、今後も愛用できる社会ですと嬉しいですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マドラスとミズノが靴を共同開発へ

2019-04-30 00:53:21 | 日記
 ミズノが紳士靴ブランド、マドラスと共に紳士靴を共同開発したそうですね。

 紳士靴に機能性を持たせる例は、アシックスのラン・ウオーク、ヨネックスのパワー・クッションがこれまでにありました。

 ミズノはマドラスに、十八番である「ミズノ・ウエーブ」を搭載する形で共同開発したのですが、ミズノ・ウエーブは本当に人気のある機能です。

 モレリアは通常のモレリア2とモレリアネオ2に注目が集まりますが、モレリア・ウエーブもまだラインアップされています。

 僕は選手ではないので、ミズノ・ウエーブが踵に対してどれほどの安定感をもたらすか、言及はできません。

 しかし愛用者は履けば履くほど、モレリア・ウエーブの虜になるようで、ランバードラインがモレリア2よりもシャープであることも、大きな特徴と言えそうです。

 今、働く際の服装が簡略化されてきており、政府もスニーカー通勤を推進するようになりました。

 かと言いまして、僕は夏場でも出勤時は必ずタイを締めますし、今日もアイリッシュ・リネンのポケット・スクエアを新調しました。

 スニーカーやテニスシャツで働くことは、機能的と言う側面を持つ反面

 「公の場にはふさわしくない」
 「そこに服装が本来持つ、思想や理念が得られない」

 という危険性も存在します。

 機能性を革靴に搭載することは、公の場でも礼節をまもるという点で今後も増えていくように思います。

 こうした取り組みに対し、ジョン・ロブやエドワード・グリーンのような老舗がどう感じるのかも、興味深いところです。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スパイクは今後、より細分化されるのではなかろうか

2019-04-29 01:44:12 | 日記
 かつてNBAのフェニックス・サンズに在籍していたポイント・ガードのケビン・ジョンソン。

 スラムダンク愛読者ならご存知ですが、井上雄彦先生は宮城リョータのモチーフにジョンソンを選んだとされています。

 彼がコンバースを履いていたのは、ジョンソンがコンバース契約選手だったためでしょうね。

 バッシュ好きならば、ケビン・ジョンソン専用バッシュがフィラ、しかもイタリア製で発売されていたことを御存じでしょうが、実際はコンバースを長きの渡って愛用します。

 コンバースは一番最初に「アクセレレイター」というバッシュを提供するのですが、これがポイント・ガード、つまり軽くて足首の動きを妨げないデザインが相応しいはずなのに

 「異様にゴツイ、ハイカットのバッシュ」

 だったんですね。

 以後はランスラム、パンデモニウム、ドクターJ2000とポイント・ガードらしいクイックネスを支えるバッシュを履くのですが、ランスラムは特に人気があった品です。

 ナイキも「エア・バリスティック・フォース」と言うベルクロ付きのハイカットを、センターのデビッド・ロビンソンとポイント・ガードのジョン・ストックトンに提供します。

 まだこのころは、ポジション別にバッシュのデザインを変更する黎明期でもあったので、イレギュラーな面が各ブランドであったように感じます。

 サッカーでもウールシュポルトに代表される、GK専用スパイクとキーパー・グラブがあります。

 最近ですとガビックがスパイクに続き、キーパー・グラブを発売しました。

 今後はGKだけでなく、フィールド・プレーヤーでも、センター・フォワード向け、ウイング向けなどより細分化した形でスパイクのデザインと機能がなされるように思います。

 過密日程の肉体的負担をスパイクが助ける、と言う塩梅ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて振り返る1993年5月15日

2019-04-29 01:34:15 | 日記
 やべっちFCにおいて、1993年5月15日に行われたJリーグ開幕戦、ヴェルディ対マリノスの一戦を再確認できました。

 川渕さん、松木さん、そしてカリオカにしても皆本当に若いですね。

 マリノスには木村さん、水沼さんの姿が当然確認できるわけですが、当時のハンス・オフト日本代表監督は、怪我が多くなってきたカリオカの代役として木村さんを招集対象にしなかったのか。

 ふとダイジェストを見ながら考えてみました。

 当時のヴェルディは松木さんの考えなのか、フロントの強化方針なのか定かではありませんが、ヴェルディが持つ南米らしさを更に強固にすべく、マイヤーやロッサムといった

 「オランダ出身の選手たち」

 を獲得します。

 南米が持つ技術の巧みさに、欧州の力強さを混ぜ合わせることが、Jリーグ初代王者への方針になると考えたのでしょうが、この強化策は頓挫し、従来の南米路線で戦い抜きます。

 一方のマリノスは、ディアス、エバートン、ヴィスコンティとアルゼンチン出身の外国籍選手で統一していました。

 その基本路線はアコスタやサパタ、ゴロシートなど93年以降の加入する選手、95年に招聘されたホルヘ・ソラリ氏に受け継がれてゆきます。

 ヴェルディはオランダからやってきたマイヤーのゴールで先制しますが、最終的には1-2で敗れます。

 しかし、開幕戦の中身としては本当に相応しいものだったと言えますよね。

 当時はカルビーのJリーグ・チップスが爆発的な売れ行きを見せ、僕も高校生ながらよく購入したものです。

 エポック社が日本代表カード、Jリーグカードを発売するなど、ホビーの面でもサッカーの面白さが伝わる契機となったのも、やはりプロ化が一番という点で間違いないと言えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新元号、サッカー、そして特産物

2019-04-28 01:43:40 | 日記
 フランスは欧州各国の中でも、とりわけ日本びいきの方が多いと聞きます。

 「ジャポニズム」の名の下で浮世絵がフランス国内で脚光を浴び、ヨウジ・ヤマモトやケンゾーなど、日本人デザイナーがパリ・コレクションにも出展してきました。

 フランスはワインの国としても有名ですが、日本茶や清酒の広まりも確認できています。

 今、中田英寿が清酒を世界各国に広める活動に力を注いでいます。

 ワインは葡萄の生産者だけでなく、土壌やボルドー、ブルゴーニュなど地域における農業活動にも視点を向けることが基本となります。

 フランスの方はこのワインと同じ視点で、日本茶と清酒、つまり地域によって味に特色があり、生産者の顔が見えることを好ましく思っているというのですね。

 大手セレクトショップのエディフィスは、創業当初からフランスを意識した服作りを行ってきました。

 専門サイト「フットボール・ウエブマガジン」によると、このたびエディフィスがパリ・サンジェルマンとの共同企画で服作りをしたことが確認できます。

 しかも服作りの題材が新元号「令和」であるというのですから、驚きは増すばかりです。

 実と言いますと、諸外国の方は元号という日本独特の暦に関心を抱くようです。

 日経新聞のコラムでキングが語っていましたが、サッカー、とりわけワールドカップは西暦で表現しますから、昭和〇年、平成〇年と表すことに慣れていないという指摘はその通りですよね。

 僕は1976年、昭和51年生まれですのでアルゼンチンワールドカップは昭和53年とすぐにわかりますが、他の大会はそうはいきません。

 それでもサッカー、元号、日本の特産物で海外の方が来日する契機となるならば、それは凄く嬉しいことには違いありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする