塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

レアル・マドリードの流儀を読み進めながら

2020-01-31 01:20:28 | 日記
 僕が今読んでいる「レアル・マドリードの流儀 東方出版」は、実に興味深い内容です。

 通常クラブ史を執筆する場合は、クラブの優勝回数やその時々に在籍した名手など、当然ですがクラブの歩みに焦点をあてます。

 しかしこの書籍は当然それらにも目を配りながらも

 1・北米スポーツとレアルにおけるスポンサー料や財政の対比
 2・クラブの哲学とその哲学が生まれた背景
 3・数字を用いてデータを比較

 というように、財政からスポンサーシップに至るまで丁寧に記されています。

 僕個人は以前にもお話したように、バルサかレアルか、贔屓にするならどちらにしますか、と尋ねられたならば、レアルと答えますが理由はあくまで

 「なんとなくレアル」
 「欧州王者に13回も輝いているしね」

 という不順なものです。

 レアルがすごいところは、彼らが残した戦績もそうですが、スポンサーが名乗りをあげた際のステイタスにもありますよね。

 「俺たちは天下のレアルのスポンサーになったんだ」

 という強い自意識が、更なる成長戦略に繋がることは容易に想像できます。

 噂の域を出ませんでしたが、アンダーアーマーがアディダスの代わりに公式ジャージを提供するのではないか、と言う話が過去にありました。

 これはアンダーアーマーが

 レアルと契約すれば、一気にナイキとアディダスとの差を詰めることができる
 何よりも世界中の顧客が、アンダーアーマーへの理解を深めてくれる

 という思惑があったためではないでしょうか。

 もし1980年代から現在のようなマーケティングの要素が誕生していたならば、ヒュンメルやケルメはレアルのスポンサーを降りなかったように思えます。

 ケルメとの契約を終え、アディダスとの新契約が始まる1990年代後半は、マーケティングとマーチャンダイジングの要素が活発化し始めた、まさに黎明期でしたから。
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改めて驚く選手の肝っ玉

2020-01-31 01:03:25 | 日記
 サッカー選手はその多くが国境を越え、平気で国内移動を繰り返しますが、その決断力と精神力には脱帽せざるを得ません。

 北米で4大スポーツと呼ばれる競技、アイスホッケー、野球、バスケットボール、そしてアメリカン・フットボールはリーグの規模と実力が、世界最高峰と呼べるものです。

 ですから米国の選手が所属するチーム、リーグに在籍していれば、国内移籍はあるでしょうがわざわざ海外に出向く必要はないわけです。

 野球ならばジャスティン・バーランダーやクレイトン・カーショウ
 バスケットボールならステッフォン・カリーにラッセル・ウエストブルック

 彼らがレベルが落ちるアジアや欧州に出向くことはありませんし、より良い報酬を求めるならばチームの変更をすることにはなるでしょうが。

 逆に世界中にリーグがあるサッカーの場合は、選手によって

 「最高峰の意味合い」

 が異なります。

 例えばブラジルの選手たちはアジアでもオセアニアでもプレイしていますが、本音は自国の環境に近いポルトガル、スペイン、イタリアなど南欧で活躍したいと思うでしょう。

 一方で東南アジアの選手ならば、マレーシアやシンガポールをまず念頭に置き、いずれは韓国や日本で活躍を夢見るのではないでしょうか。

 最終的に誰もが欧州リーグのいずれかに参加したいとは思うでしょうが、まずは中継点として研鑽を積むリーグを目指すのが現実的だと思います。

 ですから彼らは不安や恐怖に打ち勝ち、より高い給料と待遇を求めて世界中を旅します。

 そんなサッカー選手を見ていますと、その強靭な精神力に脱帽しますしたいした物だと実感しますね。

 日本も韓国、ブラジル中心の移籍からスペインやポーランドなど欧州出身の選手が増えてきましたが、彼らだってアジアを目指すのは生活習慣の視点から見ても、リスクを抱えていることがわかります。
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僕が思うブランドの心中

2020-01-30 00:34:22 | 日記
 1990年代、ナイキのエアマックス95が盗難事件や恐喝問題を引き起こすほど、爆発的人気を得ました。

 しかし、ナイキジャパンからすればこの人気拡大は不本意だったと感じます。

 エアマックス95の余波を受け、とんでもない注目が集まったエアマックス96は、95を購入できなかったファンの影響もあり、当初は好調な売れ行きでしたが、やがて鈍化していきます。

 また、1997年上半期に発売されたエアマックス97も人気がです、下半期に登場して今でも人気の

 「シルバーアッパーの近未来デザイン」
 「遂にビジフルエアが360度に限りなく近くなった」

 と呼ばれたエアマックス97で再度、盛り上がりを見せます。

 ただ、ナイキとしては

 1・エアマックスはアスリートや市民ランナーのために、まず機能、デザイン、快適性を考慮している
 2・加齢を重ねた方、不幸にも事故で歩くのが困難な方を支援するため

 という意味合いが今でも強いはずです。

 ですから転売や恐喝が続々と起こる現象に、社員は耐えられなかったに違いありません。

 サッカースパイクは街中で履けませんから、バッシュやランニング・シューズのように、現状大きなプレミア価格には至ってないようです。

 しかし今後、有名選手モデルを筆頭に、投機目的で購入するサッカー好きではない人間が、市場を荒らすかもしれませんよね。

 その時、僕らは冷静でいたいものです。

 1995年当時はリーボック、プーマ、フィラなど多くの企業がハイテク機能を盛り込んだ靴を数多く発表しましたが、ナイキの異常人気を見ればされだけ彼らの評価が高いという皮肉な結果をもたらしましたが。
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選手が移籍の際に注意すべき点

2020-01-30 00:22:39 | 日記
 さて、そのエリクセンですがスパーズは契約違約金24億円という、明らかな格安でインテルに譲渡しました。

 エリクセンはチャンピオンズ・リーグ準優勝の後、既に退団を希望していたそうですが、スパーズとしては

 「はした金ではあるが、今売却しよう」
 「無一文で出て行かれるよりは良い商い」

 と考えたのでしょうか。

 単純にモウリーニョ政権へ移行したことで、前任者のポティッチェーノよりもエリクセンへの見解が変わったのかもしれません。

 エリクセンがアヤックスからスパーズへ移籍し、大きな手ごたえを感じたわけですが、今回はどうでしょうか。

 インテルは1993ー94シーズンの2季、同じくアヤックスからデニス・ベルカンプを移籍させましたが、ベルカンプがインテル在籍時、のちにガナーズで魅せた美しいプレイはまず見せませんでした。

 それは単純に、ベルカンプという選手の資質や受けてきた教育ではなく

 「入るクラブを誤った」
 「同時にそのクラブがある国の風潮とも肌が合わなかった」

 にすぎないと考えた方が得策ではないでしょうか。

 彼が凡庸であればアルセーヌ・ヴェンゲルはティエリ・アンリと彼を2トップで起用することは無かったでしょうし、プレミアとセリエAでは何かもが大きく異なるという意味合いでもあります。

 全盛期のミランですら、「単なる穴埋め」という無意味な移籍でオランダ代表の中軸
 
 FW パトリック・クライフェルト
 DF ヴィンストン・ボバルデ ミハエル・レイツッハー
 MF エドガー・ダヴィッツ

 の才能を無駄にしてしまいました。

 ミランは過去「オランダ・トライアングル」で成功したために、本当に彼らの適性がミランと合致するのか、ろくに調べも面接もしなかったのではないでしょうか。

 企業も人事面談は、基本「アマチュア」、つまり重役というだけで指名された人物が行うことが多いようですが、彼らは人間の未来に質問を投げかけていると考えてはいないでしょうね。

 そこに責任や人を大切にと言う気持ちは、さほど無いように見えます。
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インテル、積極的な補強策へ

2020-01-30 00:13:37 | 日記
 インテルがナイジェリア代表ヴィクター・モーゼス、イングランド代表アシュリー・ヤングを獲得しました。

 両選手に続きデンマーク代表のクリスティアン・エリクセンの加入も決まり、ユヴェントスを迎撃する体制が整った形になります。

 モーゼスは指揮官コンテがチェルシー時代に採用した3-5-2の根幹を担いましたが、マウリツイオ・サッリが就任しますと、布陣が4-3-3に移行し、使い勝手が無くなってしまいました。

 ですからモーゼスがインテルに新天地を求めたのは

 指揮官の人物像と戦術にすでに遭遇している
 何よりコンテがモーゼスを必要とした

 という明確な理由があります。

 ただ、恩師と愛弟子というのはモーゼスの古巣、チェルシーのサッリとジョルジーニョの例もあるように、一度クラブが成績不振に陥ると、すぐに批判の対象となるリスクがあります。

 チェルシーでは2008シーズンもフェリポンとデコが、序盤戦が美しいサッカーを披露し

 「さすがにワールドカップ優勝監督だけある」
 「デコを軸に美しいサッカーを奏でている」

 と大絶賛されましたが、中盤戦からは罵倒の嵐でフェリポンはコプハムを去る形となりました。

 そのリスクは当然、モーゼスとコンテの両者がわかっているでしょうし、インテルもスパレッティとナインゴランという前例があります。

 またエリクセンはアヤックス、スパーズ、インテルと海外移籍を経験していますが、ヤングは齢33にして初の海外移籍となります。

 イングランド代表を支えた彼も、はじめての異国は様々な面で面食らうことが多いでしょうし、だからこそインテル首脳陣の手腕が試されます。

 ユヴェントスを止めるには、もはやインテルしか対抗馬がいない現状は、いささか寂しい気もしますが。
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