裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

盲目のひと

2009年06月09日 00時36分55秒 | レビュー
午後9時になったんで、NHKにチャンネルを合わせると、辻井さんという盲目のピアニストが海外のすごいピアノコンクールで優勝した、という話題をニュースの冒頭で伝えている。
画面がスタジオに切り変わって、美しいキャスターが「ニュースウォッチ9です」と挨拶したあと、解説委員と声を合わせ、「辻井さん、おめでとうございます」と祝福のコメント。
オバマがサルコジと会談し、北朝鮮が即戦的な核実験を計画し、秋葉原の虐殺からちょうど一年後を迎え、というこの時節に、この話題をヘッドラインに持ってくる。
いいね、このセンス。
そして、キャスターと解説委員との声の合わせ様にほほえましくなる。
本番前に練習したにちがいない。
朝日新聞の夕刊を読むと、「この全盲のピアニストは、聴衆を驚かせるだけじゃなく、感動させる」と書かれている。
通常、盲目のひとは「ピアノが弾けるだけで感心され、ほめられる」のだが、それは差別なんである。
しかし、それはどうしてもほめたたたえられるべき奇跡だと思えるので、ぼくらは処置に窮してしまう。
ただ、件のツジイさんなる人物は、そのレベルをはるかに凌駕して、ひとの心を動かす境地にまで達しているらしき様子。
この事実を知り、ぼくらは実にらくちんに喜ぶことができるのだった。
ぼくの大好きなミシェル・ペトルチアーニというジャズピアノ弾きは「コビト」で、つまりなんというか、オースチン・パワーズに出てくるミニー・ミーみたいというか、チャーリーとチョコレート工場に出てくるウンパ・ルンパみたいというか、そんな容貌なのに、すばらしく知性的で美しい旋律をつむぎ出す大天才です。
ぼくらはそんな、「事件」と言ったらまた差別になるんだけど、そんな事実に出くわしたとき、驚きとは別格の胸の突かれ方をするわけ。
そこには、音楽に向かう姿勢や、思い入れや、凡人が想像だにし得ないような努力といったものに対する尊敬の他に、哀切感や、言えばカワイソ感がふくまれてて、ぼくらはその点を意識するつもりがなくても、知らず知らずにそれらを加味しつつ、「いつもより多めに」揺さぶられてしまう。
ぼくはペトルチアーニの音楽が純粋に好きで、来る日も来る日も聴いてた時期があったんだけど、その底には「こんなにも手足が短いひとなのに」という差別意識がなかったか?あったんじゃねーの?と考えると、なかなかに自信がない。
ツジイさんというヘッドラインの人物も、「盲目の~」とあえて紹介されなければ、こんなにも大ニュースにはならないような気がしたり。
「盲目である」ことを伏せて普通に報じても大ニュースだったのかもしれないが、だったらそういう、つまり「盲目のひとが賞を獲った」という言い方でなく、「賞を獲ったのは盲目のひとだった」という言い方をせねばならない。
そのへんは、本人がどう感じてるんだろうなー?と思わずにはいられない。
むつかしいな。
ところでアメリカには、驚くなかれ「盲目の野球解説者」というのがいるのだ。
彼は、点字で記された過去の膨大なデータを超人的な速さであやつりつつ、滑舌なめらかに紹介し、アナウンサーの実況を助ける。
野球というスポーツを実際にその目でみたこともない人物が、である。
そして彼は、「どんな解説者になりたいですか?」というインタビューに、こう答える。
「ずっと後になって、ああ、あいつはいい解説者だったね、って言われたいね」
と。
そして、
「そういえば、あいつは、目が見えないんだったね、と」
深い・・・
そして、自分の置かれた立場と、本物の精進の目標とを、よく理解している。
そこまでいって、ようやく差別とは無縁となるんである。
やはり、むつかしい。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

最新の画像もっと見る

コメントを投稿