裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ある細胞の独白

2024年09月28日 08時37分01秒 | Weblog

ここ数週間で短い小説を何本か書いたんだけど、なんかうまくまとまらなくなったやつの出だし。
もったいないんで掲載します。

 ある細胞の独白

 きみはママの中にいた頃のことを覚えている?その前にパパの中にいた頃のことは?あの頃、きみはきみだった?きみはいつからきみになった?・・・へんな質問でごめん。だけど、生命はどの時点で親のものから自分のものになるんだろう?そもそもぼくって、本当にぼくなの?この体は親のものじゃなく、自分のものって言いきれる?
 今ぼくは記憶の底を探り、パパから放出されたときのことを思い出していたんだ。そのときのぼくは、はっきりとパパだった。パパの体でつくられ、「パパの一部」として分離されたんだから当然だ。そこから狭い道を通ってたどり着いた球体に飛び込むと、今度はママの情報が雪崩れ込んできた。ぼくはママになった。いや、パパとママが半々に入り混じった何者かになった。だけどそこに「ぼく」はいなかった。だってパパとママがくっついた細胞なんだから。ひとがひととしてつくられていく順序を知った今では、その細胞が実質のぼくだということは理屈でわかる。だけど納得はできない。それはぼくなんかじゃなかった。ママに器官でつながれ、ママの体と同化して、ママのパーツとしての自覚があり、その中にはパパとママの世界が詰まっていたんだから。だったら、ぼくはいつからぼくになったんだろう?
 深くさぐるうちに思い出してきた。ぼくはそのとき、無の空間を漂っていた。その闇が、ぼくがつくり上げた最初の世界だ。やがて時が満ち、裂け目を割ると、光が開いた。そのときの経験は鮮明なものだ。突如としてひろがったまばゆさの正体は、おびただしい素粒子の海だった。そのひとつひとつがまるでパズルのように合わさり、感覚器の働きで新たな世界が組み立てられていく。ある波長を持った素粒子を、視覚が青として受け止めた。また別の波長のものは赤として、また別のものは白として感じられた。これはぼくには新鮮だけど、パパとママが感じていたと同じものだ。ふたりはこうしてそれぞれの世界を自分の中につくっていたんだ。ぼくもまたここから・・・初期化された無から、自分なりの世界をつくっていくわけだ。
 不思議なことにぼくは「外に出た」とは感じなかった。「自分の内側に入った」という感動ばかりが沸き起こった。ぼく独自の多色多彩な世界が、ぼくの中に立ち上がっていく。目の前のひろがりが、奥行きが、さまざまな物体の運動が、感覚器に殺到してくる。ぼくはその情報を大急ぎで計算しまくり、素粒子たちの目まぐるしいぶつかり合いを風景として経験に落とし込んだ。そうして今いる病院の一室が、ぼくの印象世界として形づくられた。だけど・・・だけど、だ。それをしているのは、またしてもパパとママからの借りものの肉体なんだった。ぼくが相変わらずパパとママそのもの・・・控えめに言っても、ふたりの分身であるという事実は否めない。それでも彼と彼女の導くところによって、ぼくのオリジナル世界は詳細に、入念につくり込まれていった。
 両親からの借りものの肉体を通じて、ぼくは感じているようだった。最初の空気を吸い込むと、さまざまな素粒子の組み合わせが浸透してきて、すみずみにまで巡った。その反動で、内側からの炸裂が起きた。「おぎゃー!」・・・そのエネルギーの振幅は聴覚で音声に変換され、肉体の裏側にあるぼくの世界を揺さぶった。そうするうちに、後にママ本体と知ることになる人物に抱かれた。彼女を構成する素粒子の激しい振動が、触覚に温度として感じられた。素粒子同士は電磁力でお互いに反発し合っているようで、それが感覚器には弾力として伝わり、そこにはまるで物質があるかのような幻想を抱かせた。つまるところパパとママ混在のこの肉体は、波として飛び交う素粒子の相互作用を実体もどきとして捉え、ぼくの内的世界に像を立ち上げてくるようだった。
 抱かれたふくらみの先にあるぽっちをふくまされると、甘みと慈しみとに満たされた。素粒子が複雑に絡み合って化学的な反応を起こし、内部に染み渡っていく。力がみなぎる。そうしてエネルギーを得た肉体は、不意に能動的な動きを開始した。そのときの奇妙な、そして劇的な感動をどう表現したらいいものか。世界を動かせたんだ。自分の左右前方に配されたユニットが、ぼくの意思で操作できたんだ。五指のついたそのツールは・・・それは今思えば「手」だったが、ぼくがこう念ずるとこう動き、ああ意図すればああ動く・・・といった要領で操縦が利くことに気づいたんだ。
 ぼくはこの借りものの肉体の操作マニュアルを理解しはじめた。こいつ、動くぞ・・・と。そのとき、はたと思い至った。ぼくの中で世界を構築しているものの存在に。今まさにぼく自身をつくり上げているものの正体に。なんということだろう。ぼくは「ぼく」を見つけたんだ。パパとママから与えられた借りもののような肉体を観察しているものこそ、ぼくの自我だった。この瞬間、ぼくはぼくになった。

・・・頭が煮え立ってて、小難しくしちゃったな。
またいつか引っ張り出して、最後の秘密のオチまで描ききろうっと。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園