行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が悟りについて語る

2011年09月30日 | 禅の心
○これから述べる、「悟り」を「幸福」と置き換えて考えたらわかりやすいかもしれない。

○悟ったからといって威張っている人は、本当には悟っていないのだ。
(自分は幸せだといって安住している人は本当には幸せではない。勝ち組だと思って威張っている人は本当は負けているのだ。)

○悟りに向かって努力しても無駄なのだ。無心でいれば、悟りの方からやって来る。
(幸せを追いかけるよりも、純粋な気持ちでいれば、幸せの方からやってくるものだ。)

○自分の生活以外には悟りはない。(自分のやるべきことを、純粋な気持ちでやるのが、幸福なのである。)



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烏鷺滝が、攻撃しない生き方について語る

2011年09月27日 | 禅の心
○仏の教えとは、「攻撃するな」ということなのかもしれない。

○澤木興道老師も「撃ち方やめー」とよくいわれた。

○外に敵を見つけるのではなく、おのれのなかに鬼を見いだすのが禅である。

○攻撃的な人間は、なぜか自滅してしまうことが多い。

○人を攻撃していると、なぜか自分の心が潰れてしまうのだ。

○というよりも、心が潰れそうだから、人を攻撃してしまうのだ。

○人を攻撃したからといって、何の得にもならない。

○どんな時にでも、心安らかに生きていく方がいいのだ。

○攻撃的な人は、人間が小さいのだ。

○穏やかな人は、人間が大きいのだ。

○攻撃的な人と、穏やかな人とでは、必ずといっていいほど、穏やかな人の方が、幸せに生きることができる。

○怒ることはつまらないことだ。

○怒ることによって、全てを失ってしまうこともある。

○怒りは、全てを焼き尽くす、恐ろしい炎なのだ。

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烏鷺滝が今について語る

2011年09月23日 | 禅の心
烏鷺滝が今について語る

○仏教は、競争、勝ち負けとは無縁のものである。

○仏教は、頑張れない時には、頑張らなくてもいいということを教えてくれているのだ。

○若いやつらに、自力と他力ではどちらがいいと聞くと、多くは自力の方がカッコイイなどとむかしよる。しかし、自力とは、今、この時点を精一杯生きるということに他ならない。

○他力本願も、やはり、今という時を精一杯生きるということには変わりがないのだ。

○子どもは子どもで真実。大人になるために生きているのではなく、子どもとして精一杯生きることが大事なのだ。

○年寄りは年寄りで真実。

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鈴木大拙先生が無心について語る

2011年09月16日 | 禅の心
日本には、「サトリ」という妖怪が居たそうです。あるところに働き者の木こりがいて、朝から晩まで一生懸命働いて、木を薪にして生活をしていたそうです。ある日いつもと同じように山の中に入っていき、木を切ろうとしていると、サトリが現れました。このサトリは、人間の心が読めるのです。ところがサトリは人間の心が読めるので、どちらから来るかが予測がつき、逃げられるわけです。
「お前はおれを生け捕りにしようとしているな。」
そう言い当てられて、木こりはびっくりして声もでません。するとサトリは、
「ほら、お前は俺の読心術にびっくりしているな。」
と言います。木こりは、斧でサトリをやっつけてやろうとしていると、
「やあ、お前は俺を殺そうと思っている」
と言い当てられてしまいました。仕方なく木こりはサトリをやっつけるのを諦めて、仕事に専念しました。
するとサトリは
「お前はついに俺を捕まえることを諦めたな」
と言いますが、木こりは黙々と仕事を続けました。
ところが、仕事の最中に、偶然振り上げた斧が手から滑って、飛んで行き、サトリの頭に命中して、サトリは気絶してしまいました。

【味わう】この話は、悟りを追いかけるなということではないでしょうか。
悟ろうとしていること自体が迷いであり、煩悩の一つなのです。
悟りを追いかけるという心が残っているうちは、悟りはないのです。悟りの方からやってきて、悟らせていただけるのが本当の悟りなのです。

難しい話になってしまいましたが、登山をしていて、山頂を目指そうとか、どこまで行こうとかと考えながら歩くのは、ある意味、苦痛です。そうではなく、今日は暑いから、ここで引き返そうとか、体調が悪いので、麓で山を眺めておこうと、自由に考えた方がいいのです。山頂にたどりつくばかりが登山ではなく、麓でも、途中まででも山の楽しみを味わうのが本当の山好きなのです。

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澤木興道老師が本当の幸福について語る

2011年09月13日 | 禅の心
美味いいものをよって食って、ついに美味いものがなくなるというのは非常に悲惨な人生である。楽をよってしまったら、もう楽のしようがなくなってしまう。幸福ということは、自分が貧乏に生まれ自分が難儀をしたからである。そうすると実際は難儀が難儀でなし、楽が楽でなし、その何にもない処でヤッサモッサ大騒動してのたうち回っているのが、この凡夫というものである。さあ好きなものを追っかけるか、嫌いなものから逃げるのか・・・そこにジーッとしているのが、一番幸福である。

【言葉を味わう】人間、贅沢をするのが癖になると、贅沢できなくなったときに、とても苦しい思いをするのである。

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