行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

今を精一杯生きる

2015年02月27日 | 法句経
精進(はげみ)こそ不死の道
放逸(おこたり)こそは死の径(みち)なり

いそしみはげむ者は

死することなく

放逸(おこたり)にふける者は

生命(いのち)ありとも

すでに死せるにひとし(法句経第21番)



今やるべきことを一生懸命やることは、生死を越え

た境地である

怠けている人は死の道を歩んでいるのである。

一生懸命やっている人には

永遠の命が与えられ、

怠け者は

命があっても

死んでいることと変わりないのである。


  

明らかに
  
この理(ことわり)を知りて

いそしみはげむ

賢き人らは

精進(はげみ)の中に

こころはよろこび

聖者(ひじり)の心境(さかい)に

こころはたのしむ (法句経第22番)



あきらかにこの真理を知って

勤勉な

智者は

精進の中に

喜びを見いだし

聖者の境地に

心は楽しむ


私は、ただ頑張ることが良いことだとは思っていません。この21番、22番の法句は、頑張れというのではなく、今やるべきことを、しっかりやりなさいということなのです。今を生きることは永遠を生きること。それが禅の真髄なのです。

「論語読みの論語知らず」にはなるな

2015年02月24日 | 法句経
意味深き経文(みおしえ)を
いくそたび口に誦(ず)すとも
身にもしこれを行わず
心、放逸(おこたり)にふけらば
沙門(ひじり)とよばん
そのあたえはあらず
まこと、むなしく
他人の牛をかぞうる
かの牧牛者(うしかい)にたとうべし (法句経第19番)


たとえ物知りで、良いことをたくさん覚えていても、
それを実行せず、
怠っていれば、
そんな人は沙門とは呼ばないのだ。
そう呼ばれる資格はない。
牛飼いが他人の牛を数えているようなものじゃ。


経文(みおしえ)を口にそらんずる
まこと少分(わずか)なりとも
身に行うこと法(のり)にかない
貪(むさぼり)と怒(いかり)と癡(おろかさ)とをすて
智慧は正しく
心よくほどけとき
この世にも著せず
かの世にも執せざるもの
彼こそ沙門(ひじり)の列(みち)に入らん (法句経第20番)



よいことを少ししか覚えていなくても
真理にしたがって行動し、
貪りと怒りと愚かさを捨てて、
正しく気をつけていて、
心が解脱して、
執著することの無い人は、
立派な沙門なのじゃ。



「論語読みの論語知らず」というように、知識はあっても、それが全く生かされていなければ、何にもなりません。お坊さんもそうです。中道を説くはずのお坊さんが、偏った考え方をもっていたり、戦前のように、戦争を肯定して人殺しに与したりしていたのは、当時の時代の流れとはいえ、いかがなものでしょうか。あるいは、真実を曲げて解釈して伝えたりすることも同じだと思います。親鸞聖人も弘法大師も、後世の人が、自分の言いたかったことを拡大解釈したり、まちがってとらえてしまうことを、恐れていたと思います。知識を実践することは大事ですが、正しく実践することが大事なのです。

悪人こそ

2015年02月20日 | 法句経
悪(あ)しきことを作(な)す者は

ここに憂い

かしこに憂い

ふたつながらともに憂う

おのれの

けがれたる業(ふるまい)を見て

彼は憂い

彼はなやむ (法句経第15番)


悪いことをした人は、

この世で憂え、

あの世でも憂え、

ずっと憂える。

悪いやつは、

自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。


善きことを作(な)す者は

ここによろこび

かしこによろこび

ふたつながらによろこぶ

おのれの

きよらなる業(ふるまい)を見て

彼はたのしみ

彼はよろこぶ (法句経第16番)


善いことをした人は、

この世で喜び、

あの世でも喜び、

喜びはずっと続く。

行いのいい人は、

自分の行為が浄(きよ)らかなのを見て、

喜び、楽しむ。



あしきを作(な)す者は

いまにくるしみ

のちにくるしみ

ふたつながらにくるしむ

「あしきをわれなせり」と

かく思いてくるしむ

かくて

なやましき行路(みち)を歩めば

いよいよ心くるしむなり (法句経第17番)


悪いことをするやつは、この世で悩み、

あの世でも悩み、

ずっと悩む。

「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、

苦難のところ(地獄)におもむいてさらに悩む。
 


善きことを作(な)す者は

いまによろこび

のちによろこび

ふたつながらによろこぶ

「善きことをわれなせり」と

かく思いてよろこぶ

かくて幸(さち)ある行路(みち)を歩めば

いよいよこころたのしむなり (法句経第18番)



善いことをなす者は、

この世で歓喜し、

あの世でも歓喜し、

ずっと歓喜がたえない。

「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、

幸あるところ(極楽)におもむいてさらに喜ぶ。
 

この4つの法句は、悪いことをすれば永遠に苦しむ、よいことをすれば、永遠に喜ぶことができるという単純なことを言っているのだと思います。しかし、私は釈尊の教えからすれば、自分の中の「悪」を自覚しなさいとうけとっています。悪を自覚している人が、本当に救われる人なのだと。親鸞聖人は、悪人とは悪を自覚している人のことで、善人より先に救われると説きました。自分をみつめることが、幸せへの第一歩なのです。

心を整える

2015年02月17日 | 法句経
そあらに

葺(ふ)かれたる

屋舎(いえ)に

雨ふれば

漏れやぶるべし

かくのごとく

心ととのえざれば

貪欲(とんよく)これを破らん(法句経第13番)


いい加減に

ふかれた

茅葺き屋根に

雨が降ろうものなら

雨漏りがして破れてしまうのじゃ

心もいい加減にしていて整えなければ

貪りの心が侵入してしまうのじゃよ




こころこめて

葺(ふ)かれたる

屋舎(いえ)に

雨はふるとも

漏れやぶることなし

かくのごとく

よくととのえし心は

貪欲(とんよく)も破るすべなし(法句経第14番)


心を込めて

葺かれた

かやぶき屋根に

雨が降ろうとも

破れることはないのじゃ

このように

よく整った心には

貪りの心は入って来ようがないのじゃ


何でもほしがる心は浪費して生活を苦しくすることになります。
欲は生きている限りなくなりませんが、小欲知足を心がけたいものです。

情報に惑わされるな

2015年02月13日 | 法句経

精要(まこと)なきものに

精要(まこと)ありと思い

精要(まこと)あるものを

仮(あだ)と見る人は

いつわりの

思いにさまよい

ついに真実(まこと)に

達(いた)りがたし (法句経第11番)



黒いものを白いとみなし、白いものを黒いとみなす人々は、ついにあやまった考え方にとらわれて、真理には達しないのである。


精要(まこと)あるものを

精要(まこと)ありと知り

精要(まこと)なきものを

仮(あだ)と見る人は

正真(すぐ)なる思いに

たどりすすみ

ついに真実(まこと)に

達(いた)るべし (法句経第12番)



白いものは白いと正しく見、黒いものは黒いと見極めることのできる人は、正しい思いにしたがって、真理をつかむことができるだろう。


  インターネットでも新聞、テレビ、週刊誌でも、間違った情報であふれています。特にインターネットでは人々を間違った方向に誘導していく情報も見受けられます。これは決して詐欺だけではなく、疑似科学や歴史修正主義もそうです。
 何が正しい情報で、何が間違った情報かを見抜くことは並大抵のことではありません。かつて、大衆が間違った情報に煽動されていったことは多々ありました。
 情報にだまされないために、情報を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で情報を吟味していく習慣をつけたいものです。