行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

自分が嫌いな人は

2009年10月30日 | 禅の心
自分が嫌いな人は
すでに救われています。
自分の悪い部分を知っていて
直そうと努力している人は幸せです。
小さな子供の無邪気さと
自分の心を見つめてきた大人の明るさは本質的に全く違います。
自分の悪いところ、醜いところを昇華してこそ、本当の明るさが得られるのです。

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吾が心 秋月に 似たり

2009年10月27日 | 禅の心
吾が心 秋月に 似たり

寒山(中国唐代の人)の言葉です。

私たちは毎日、喜び、怒り、悲しみ、楽しみの感情の中に生きています。

人とケンカして、あとになって後悔するもうひとりの自分がいます。

楽しいことがあっても、それはひとときのことだと実感する自分がいます。

自分の中のもうひとりの自分、

それが仏性であり、仏心であり、無我の心であります。

自分の中のもうひとりの自分と対話できることは幸せなことです。

他人に対する愚痴や憎しみではなく、自分との建設的な対話です。

寒山は,自分の中のもうひとりの自分は秋の月のようにさわやかに澄んでいる。

煩悩という雲に隠されはするが、本体はさわやかなものであると実感したのでしょう。

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大きくなりすぎた自我

2009年10月23日 | 禅の心
戦前の滅私奉公的な教育の反動からか、

戦後では、個人を大切にする教育が行われてきました。

ここで、人権教育が悪いと言っているのではありませんが、

人権教育をはき違えてきた結果、自我が大きくなりすぎた感があります。

もちろん、教育だけが悪いのではなく、

社会そのものも自我を大きくするのを助長しているところがあります。

自分勝手な人間が増え、思いやりに欠ける人間が増えてきました。

我慢ができない。何をしても無気力である。

挨拶ができず、慢心でいっぱいで感謝の気持ちを持つことができない。

そんな人間が幸せな一生を送れるわけがないと思うのです。

自我(エゴ)を抑え、自己(セルフ)を見つめてコントロールすること

それが幸せの第一歩だと思います。

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舌切り雀

2009年10月20日 | 禅の心
むかし、山奥の村に、じいさんと ばあさんが 住んどったんよぉ。

おじいさんは、山で一羽の傷ついたスズメを見つけての、連れて帰って

手当をしてやったんじゃと。

「すずめや、元気になるまでうちにおりんさいや」

おじいさんは、そう言うて、スズメをしばらく家に置いてやることに

したんよぉ。

ある日、ばあさんが、洗濯しよう思うて、糊をこしらえておったんじゃ

そこへ、スズメがやってきて、

「ご飯で作った美味そうなのりじゃ。ちいとぐらい食うてもよかろうかい」

言うて、糊を食うてしもうたんじゃと。

それを ばあさんが見つけて、

「こらい!なんちゅうことをしょうるん!、ワシが洗濯しよう思うて

こしらえた糊じゃちゅうに!」

と言うて、スズメを捕まえて舌を切ってしもうたんじゃと。

「いたたた(泣)」

そう言うて、スズメは逃げていったんじゃ。

おじいさんが、家に帰ってみると、スズメがおらんもんじゃけぇ、

「のう、ばあさや、スズメはどがぁしたん?」

「あの性悪スズメめ、舌を切ってやったわ」

「なして、そがあなことを・・・・・・」

おじいさんは、泣く泣くスズメを探しに行ったんじゃと。

「スズメ、スズメ、お宿はどこじゃ」

すると、

「おじいさん、こちらじゃよ」



スズメが、おじいさんを呼んだんじゃそうな。

「おお、スズメや、かわいそうなことじゃ。こらえちゃんさいや」

「おじいさん、会いたかったよ。元気じゃった?」

おじいさんは、スズメのところでもてなしを受けたんじゃと。

「スズメやワシはそろそろ帰らにゃならんのんよ」

「おじいさん、またいつでも来ちゃんさいや。」

「ああ、来るけぇね」

「おじいさんお土産を持って帰りんさい。

私が、おじいさんのために造ったお人形じゃよ。」

「おお、これは、宝物じゃ、大事にするけぇ」


さて、じいさんは、家に帰ってから、ばあさんにもてなしを受けたことを

話したんじゃて。

ばあさんは、「ワシももてなしを受けに行こう」思うて、

おじいさんに、スズメのお宿の場所を聞いて、行ったんよ。

おばあさんも、おじいさんと同じようにスズメのもてなしを受けて、

帰り際に、同じようにスズメの造ったお人形をもろうたんよ。

そがあしたら、おばあさん、

「なんじゃい!これ?オバケじゃないか?」

と言うたんよね。

みなさん、おわかりでしょうか、おじいさんも、おばあさんも、

スズメの心のこもった、お人形をお土産にもらいました。

そのお人形は、下手くそな造りだったかもしれません。

しかし、おじいさんにはその下手くそなお人形が、

愛すべきスズメの造った宝物に見え、

おばあさんには、ただのガラクタにしか見えなかったのです。

スズメを自分の子や孫に置き換えてみたらよくわかると思います。

可愛い孫が、「おばあちゃんの顔だよ」と描いてくれた絵は

おばあさんにとって、何ものにも代え難い宝物のはずです。

幸せというのは、自分の心の持ち方によって決まるのです。

同じものが宝物になるか、オバケになるか。

同じ事をしてもらっても、感謝の気持ちを持てるか、不平不満しか言えないか。

不平不満だらけの人生ほどムナイシイものはありません。

感謝できる人は幸せです。

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新型インフルエンザ

2009年10月16日 | 禅の心
新型インフルエンザこれからの季節、気をつけましょう。

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