行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

執着は苦しみのもと

2021年03月30日 | 法句経
栴檀、タガラ、青華、ヴァッシキーこれら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。 タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にもとどく。(中村元訳『法句経55 56』)人徳を積んだ人は最高の香木のように何も言わなくても人々に安らぎを与え幸せな気分にしてくれる

徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくによし無し。 (『法句経57』)大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい華が生ずるように。(『法句経58』)欲をコントロールしてまじめに働いて無駄遣いしなければお金に困ることも少なくなり、食べすぎなければ病気になりにくい。

塵芥にも似た盲た凡夫のあいだにあって、正しくめざめた人(ブッダ)の弟子は知慧もて輝く。(『法句経59』)一隅を照らす人はキャンドルサービスの灯かりが広がっていくように、世の中を明るくしていく。

眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。(中村元訳『法句経60』)地位、名誉、財産などに執着する人が愚かな人と考える。執着は苦しみのもと。

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徳のある人

2021年03月26日 | 法句経
他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。(中村元訳『法句経50』)自分の外の事はよくわかって批判できるが、一番わかっていないのは自分自身です(松原泰道師)

うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。(中村元訳『法句経51』) うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りが有る。『法句経52』いくら知識があっても実行できなけば意味がない。言っていることとやっていることが違うのはよくない。

うず高い花を集めて多くの華鬘をつくるように、人として生れまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。(中村元訳『法句経53』)釈尊までの七人の仏が共通して説いたこと「すべての悪いことをするな。良いことをせよ」

花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。(中村元訳『法句経54』)人徳のある人は自己主張しないが、周りの人々に安らぎを与えてくれるものだ。

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死を問いとして生を考える

2021年03月23日 | 法句経
花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように、(中村元訳『法句経47』)花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果さないうちに、死神がかれを征服する。(『法句経48』)花を摘むの意味が今までとは違う。仏教は「死を問いとして生を考える宗教」なのだ

蜜蜂は(花の)色香を害わずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。(中村元訳『法句経49』)無駄のないように、大自然の恵みを頂こう。資源やゴミ問題に関心を持とう

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自由な心で生きる

2021年03月19日 | 法句経
学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。(中村元訳『法句経45』)とらわれなき自由な心を得るために精進しよう。法句経は自由な心を得るためのヒントになるであろう。

この身は沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。(中村元訳『法句経46』)花は黙って咲き黙って散ってゆく そうして再び枝には戻らない けれども その一時一処に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり 一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔いなくそこに輝いている(柴山全慶)



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自分の心を征服する

2021年03月16日 | 法句経
ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう、意識を失い、無用の木片のように、投げ棄てられて(中村元訳『法句経41』)私が死ぬ可能性は100パーセント。絶対にと言い切れるのはこのことだけ。

憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。(中村元訳『法句経42』)憎しみを無くすのは難しいが、憎しみに執着せず憎しみから離れてみることはできるだろう。

母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる。(中村元訳『法句経43』)感情が歪むと物事を正しく認識できず、困難を作り出してしまうことになる。理性と感性は車の両輪なのだ。

だれがこの大地を征服するであろうか? だれが閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろうか? わざに巧みな人が花を摘むように、善く説かれた真理のことばを摘み集めるのはだれであろうか?(中村元訳『法句経44』)あのカルトのように真理は取り扱い注意用語である。真理の言葉というよりも真理に近づく言葉と言った方がいいかもしれない。



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