行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が「命の尊厳」について語る

2010年12月31日 | 禅の心
○仏の道を歩むものには「不殺生戒」がある。

○道徳的には「殺してはいけない」だが、宗教的には「殺すことができない」である。

○子供の前で、虫を殺すところを見せてはいけない。

○「命の尊厳」には、暴力を振るってはならないことも含まれる。

○弱い人間ほど暴力をふるいたがる。

○相手の、痛み、苦しみ、悲しみの波動をキャッチできれば暴力は振るえない。

○「命の尊厳」は、理屈ではなく、感性の問題である。

○「人権の尊重」は結局は「命の尊重」である。



烏鷺滝が感情について語る

2010年12月28日 | 禅の心
○観音経にもあるように、怒りの炎は全てを焼き尽くす恐ろしいものなんじゃ。

○一瞬の怒りによって、これまで積み上げてきた、信用や名声を失うこともある。

○他人を攻撃する傾向のある人は、それが自分に跳ね返ってくる。

○他人を攻撃する人は、徐々に自分自身の心を蝕んでいく。

○悪口は、麻薬のようなものじゃ。そのときは気分がスッキリしても、徐々に自分自身の心を蝕んでいく。

○人をいじめれば、必ずいじめた人に跳ね返ってくる。

○怒り、憎しみ、愚痴などマイナスの感情の多い人は、お金や名誉、地位があっても、寂しく、本当に幸せだとは言えない。



烏鷺滝が道徳について語る

2010年12月24日 | 禅の心
○道徳は、権力者が家臣や民衆を支配するためのものであることを認識しておく必要がある。

○まず、権力者に道徳教育が必要である。

○特に政治家や、裁判官、検察官、警察官など特別公務員には高い道徳性が求められる。

○「自分は善人だ」と信じている人は本当の意味での善人ではない。

○どんな人間にも心の中の「闇」を持っていることを自覚するべきである。

○道徳は「・・・してはいけない」だが、宗教は「・・・しようと思ってもできない」である。

○道徳と宗教は、しばしば同質のものとして混同されがちだが、視点が全く違うものである。

烏鷺滝が 強く生きる心について語る

2010年12月21日 | 禅の心
○自分の弱さがわかっている人は強い。

○竹のごとく心がしなやかな人は強い。

○知識を智恵に変えることのできる人は強い。

○考え方が偏らない人は強い。

○優しい人は強い。

○強く生きようとしない人は強い。

○視野が広い人は強い。

○他人の痛みのわかる人は強い。

○丁寧に生きている人は強い。

○正直に生きている人は強い。

烏鷺滝が仕事について語る

2010年12月17日 | 禅の心
○私は、基本的には仕事は生活を楽しむための手段だと思っている。

○だから、家庭や自分の趣味が仕事の犠牲になるようじゃあいかん。

○同僚と酒を飲むことが悪いとは言わん。しかし、それはたまにやるのがよい。

○同僚と酒を飲む時間より、子供や奥さんと会話する時間の方が大事じゃよ。

○同僚との人間関係は一時的なものである場合が多い。しかし、子供や奥さんとの関係は死ぬまでのもの。

○キリスト教文化圏では、旧約聖書のアダムとイブの話にあるように、労働は神から与えられた刑罰とする「労働刑罰説」が強いので、西洋人はあまり職場にしがみつかない。

○日本では、労働は神様にお仕えすること(労働神事説)なのじゃ。だから、日本人は仕事をまず第一に考える。

○日本人の「労働神事説」はあくまでも農業についてのものなんじゃ。

○農業というのは家族でやるもの。野良には、じいちゃん、ばあちゃんも おりゃあ、子供もおる。

○だから、農業の場というのは、家族の団らんの場であり、子供たちの教育の場であった。

○しかし、その「労働神事説」を、現代では会社に持ち込んでいるところに悲劇がある。

○おとうさんが、夜遅くまで帰ってこないものだから、団らんの時間がない。お父さんが子供と接する時間がない。

○おとうさんが頑張って、定年を迎えると、燃え尽き症候群になる。家族の大切さに気がついてみると、時すでに遅し。子供たちはどこかへ行ってしまっている。

○仕事は大切なのだ。でも月曜日から金曜日までしっかり頑張って、夜と休日は家族と過ごしたり、趣味にいそしむことが大事なんじゃ。