【笑いは闇を破る】以前にもアップしましたが、布袋さんの笑いは七福神が喧嘩していれば場を和やかにし、修行の緊張を和らげてくれます。オウム真理教は布袋さんのような人がいればあのような事件は起きなかったかもしれません。オウムはもともと、真面目で深刻な人々の集まりだったと思うのです。この中に布袋さんのような陽気なオジサンがいたら状況は変わっていたのではないでしょうか。真面目に修行しているのに笑うとは不謹慎ではないかとお叱りを受けても私はそのように思います。宗教はカルト化したり魔境に陥る危険を伴います。その魔物から布袋さんが守ってくれるのです。
自然が信仰の対象である日本人は化学物質などの人工物に対して忌避する傾向が強く、自然指向や無添加のものを求める。しかし、自然界には人間の命を奪う毒や病原体があることも考えておかなければならない。
「自分の頭で考える」ことにとらわれ過ぎると偏見を産んでしまう危険性がある。常に事実を確認することが大切
人権問題では「自分の頭で考える」ことは、まわりが無関心でも差別を許さないという点でプラスだが、事実に基づかない偏見を産み出してしまう点ではマイナスである。
「自分の頭で考える」ことにとらわれ過ぎると偏見を産んでしまう危険性がある。常に事実を確認することが大切
人権問題では「自分の頭で考える」ことは、まわりが無関心でも差別を許さないという点でプラスだが、事実に基づかない偏見を産み出してしまう点ではマイナスである。
私は若い頃に瞑想で魔境に落ちてしまったことがあります。瞑想で深いところまで行きすぎると、催眠術から覚めないように、自分で元の状態に戻れなくなるのです。かつて「コックリさん」がお帰りにならないということがありましたが、そんな状態だと思います。自我意識が爆発してしまうということでしょうか。爆発で精神が破壊されてしまいます。病院に通いましたが2年間くらいは元に戻れませんでした。
魔境はよく観音様や神様が出てくるといいますが、私の場合は自分の万能感でした。万能感が爆発すると鬱の状態が続きます。
薬が毒になったり、毒が薬になったりするように、魔禅というものがあるのではなく、禅は魔であり、魔が禅だと実感しています。
宗教は狂気だから宗教なのかもしれません。宗教は狂気だから戦争にも加担できるし、人殺しもできるのかもしれません。
薬の毒性が出てこないように、オウムの事件のように狂気が前面に出てこないようにすることは瞑想の大きな課題だと思いました。
瞑想は良い指導者についてやらなければならないと思いました。
魔境はよく観音様や神様が出てくるといいますが、私の場合は自分の万能感でした。万能感が爆発すると鬱の状態が続きます。
薬が毒になったり、毒が薬になったりするように、魔禅というものがあるのではなく、禅は魔であり、魔が禅だと実感しています。
宗教は狂気だから宗教なのかもしれません。宗教は狂気だから戦争にも加担できるし、人殺しもできるのかもしれません。
薬の毒性が出てこないように、オウムの事件のように狂気が前面に出てこないようにすることは瞑想の大きな課題だと思いました。
瞑想は良い指導者についてやらなければならないと思いました。