行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

ニヒリズムに陥らない

2015年12月29日 | 禅の心
○仏教は虚無主義に陥らないことを説いているのに、仏教は虚無主義そのものだと勘違いされている。
○「人生は苦しみである」で終わってしまったら虚無主義である。
○「苦しいこと」の中に価値あるものを見つけるのが仏教じゃ。
○「答えがない」のではなく、「答えはたくさんある」「答えは簡単には見つからない」と考えるのが仏教じゃ。
○無常は、はかないことではない。悪い状態が続かないのも無常である。

お経読みのお経知らず

2015年12月25日 | 禅の心
○わしは般若心経を暗唱したんじゃ。わしは観音経をそらで言えるんじゃ。と自慢する人がいる。

○そういう人は全く仏教というものがわかっとらんのんじゃ。

○仏とは自分の分をわきまえることじゃと思うよ。

○大きくなった自分をほどほどにすることじゃ。

○自慢したり高慢なのは修行が足りないということなのじゃ。

○お経を暗唱するのはいいことじゃが、お経を読むときには経本を見て読む慎ましやかさが必要じゃ。

○威張ることはない。

○「論語読みの論語知らず」ならぬ「お経読みのお経知らず」ではいけんよ。

日本人の美意識

2015年12月22日 | 禅の心
川端康成がノーベル文学賞の授賞式で紹介した、道元禅師のうたです。

春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて冷(すず)しかりけり


川端康成は『美しい日本の私』と題した授賞式の講演でこのうたを紹介しました。

日本人の美意識は西洋のように神を基本とするものではありません。

神の創造物としての自然の美ではなく、自分自身の中から美を求めていくのが日本人の美意識です。

花も、ほととぎすも、月も、雪も自分自身の姿にほかなりません。

自分が五感を使って見たり感じたりしているものが真実なのです。



怨みを超えて

2015年12月18日 | 法句経
友松圓諦訳の法句経第4番です。

「彼、われをののしり

彼、われをうちたり

彼、われをうちまかし

彼、われをうばえり」

かくのごとく こころ

執せざる人々にこそ

ついにうらみの

止息(やすらい)を見ん


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「あいつは、ワシをののしりあがった。あいつは、ワシを害した。あいつは、ワシにうち勝った。あいつは、ワシから強奪した」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)んで、安らぎの人生を送ることができるのじゃ。

お釈迦様の考え方の一つに、自分の感情をきちんとコントロールしていこうということがあります。

世界で起こっているテロ事件は、人間の恨み辛みが起こしていると言っても過言ではありません。

怒りや、愚痴などマイナスの感情を持ち続けていると、自分自身の心身をむしばみ、運気を下げていくことになります。

人間、生きている限り、怒りや恨みの感情を持つことはありますが、いつまでも持ち続けないことが肝要です。

烏鷺滝が道徳について語る

2015年12月15日 | 禅の心
○道徳が必要ないとは言わんが、道徳教育はいろいろと気をつけにゃあいけんと思うよ。
○道徳はあくまでも自分を律するものでないといけんよ。
○道徳は強いものが自らを律するものなのじゃ。
○道徳は他人の悪を暴いたり糾弾したりするものではないと思うんじゃ。
○そこのところを間違えると、道徳がいじめを誘発することだってあるんじゃ。
○正義の暴走は恐ろしいよ。
○道徳は「悪いことをしてはいけない」じゃが、宗教は「悪いことをすることができない」ものなのじゃ。
○ワシは宗教的視点は大事じゃあ思うよ。