行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

有馬頼底師の言葉

2014年06月27日 | 禅の心
女子学生からの質問で、世界中でどの国が一番、平和ですか、と。
私は答えた。日本だ、と。憲法9条があるからですよ。戦はしない、戦争を放棄した。
それを変えようとする動きがあるけれど、みなさん、しっかり守ってくれ、
わが国で唯一、地上戦があった沖縄、ご先祖が苦労なさったんだ。
拍手でした。仏教は殺生を禁じています。虫けらだって殺しちゃいかんのですから。
人間同士が殺しあっていいはずない

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酒井雄哉師の言葉

2014年06月24日 | 最澄・天台宗・比叡山
今の人たちは利口すぎるんだよな。

子どもの時から一生懸命勉強をして、
頭の中が知識で満タンになってる。

問題はなんのために勉強するのかってことだよ。





今日の自分は今日でおしまい。
明日の自分は今日の自分とは違うんだ。

『一日が一生だ』と僕は言うんだけれど、

どんなときも一日一日を真剣に生きていくしかないんだよ。

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山田無文老師の言葉

2014年06月20日 | 禅の心
お互い生まれた時、オギャー、オギャーと力いっぱい泣く。そこに何の分別心があるだろうか。何もない赤子のようなきれいな心、そこが般若の智慧である。めいめい生まれた時から仏さまの尊い、すばらしい心を皆持っている。それを毎日忙しい忙しいといって、つまらぬことに頭を使いその心を持っていることに気がつかないでいるのだ。しかし、確実に持っている。その汚れた心、妄想執着の心を捨てて、きれいな心になれば、皆このまま仏さまである。一人一人が天にも地にもただ我一人尊いのである。

山本玄峰老師のいう性根玉とは、この赤子のようなきれいな心のことなのです。

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山本玄峰老師の言葉

2014年06月17日 | 禅の心
磨いたら磨いただけの光あり 性根玉でも何の玉でも

性根玉が磨かれると、どうなるかといえば、自然に物事の道理が解ってくる。『天下の理に従う者は天下を保ち、天下の理を恣(ほしいまま)にする者は天下を失う』ということがあるが、物事の道理が解ってくると、一切の物が語法神となって自分を守ってくれる。又何を行っても自然に成功し、成就するようになる。人生において一番大事なことは、この、なにゆえかは知らぬが、何事も自然に成就することである。そうなるには、性根玉を磨かねばならぬのじゃ。

性根玉とは、「仏心」と同じ意味だと私はとらえています。つまり、自分の中の本当の自分、自分を自分たらしめている真実の自己のことです。山本玄峰老師は、仏心が磨かれれば、物事の道理がわかると言われるのです。仏心は煩悩によって曇ってしまいますが、鏡を磨くようにそれを磨くのです。

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藤井日達師が平和を語る

2014年06月13日 | 禅の心
 聖徳太子の平和の憲法

 平和憲法を世界で始めて作りましたのは日本であります。
 聖徳太子が支那、今の中国から、法律制度を学ばれましたけれども、しかし聖徳太子は毅然として、憲法は僅か十七条の簡単なものでありましたけれども、「和を以て貴しと為す。」平和を第一条にうたい上げられております。世界のどこの国の憲法にもないことでありましょう。
 聖徳太子の作りました憲法の第一条は「平和というものを作らねばならない。争いということをしてはいけない」ということであります。
 けれどもそういう国家の大方針を作り上げるという上にはどのように導けばよいのかというので、第二条にこれをうけられまして「篤く三宝敬う」、三宝といえば当時はじめて日本に入った宗教でありますが、「仏法僧これなり」これを敬わねばいかない。
 この仏法僧を敬うことが平和をつくるという上に大切な教えであるから、およそ人類は万国どこへ行っても生きて行く者はこれに従って行くものであり、この教えは古今変らぬ教えだから、これを信じて行かねばならない。
 「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧これなり」ここへ又私らは立ち帰らねばならない。
 日本の国柄はこれで治まって来ます。
 聖徳太子の作られた憲法は、今日まで武家がせいじをとってもほとんど、これを改める憲法は出来ておりません。何とか、かんとか政権を保つために、いろいろ形は変えますけれども、この聖徳太子の憲法を変えたり非難することは出来なかったのであります。

 平和の国民性が平和憲法を守る

 それは日本の国民がやはりこうした憲法を守り得るような、平和な民族であったからこそ、この憲法が出来て、これが守られたのであります。
 私らはここに立ち帰り、現在の憲法も現代的の守りましょうが、遠く聖徳太子の昔に帰り、
 平和よりほか国家の目的は無い、人類の目的は無い。
 争いをしないことより他平和を作る道は無い。
 争いの道具、平和の邪魔になるものは、こりは皆捨てねばならない。
 こういうことから私らの信念は、平和を保って行くところの憲法を守って行きます。
 これが宗教的信念になり、それで私らが、この娑婆世界をお浄土に変えて、死んでから三悪道に堕ちないように、永遠の生命の上に動かぬ信仰を持たねばならない。これより他に良い道はない。

 仏教の教えに従って

 人類の生きて行く道のみならず、一切の生きていく道は、平和に暮らすこと。これだけを仏法によって習い極めまして、仏教の教えによって習い極めて、現在の憲法を宗的な信念によって保たねばなりません。
南無妙法蓮華経と唱えてこの憲法を守ります。

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