行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が五蘊盛苦を語る

2013年05月31日 | 禅の心
○心猿意馬というが、子供ちゅうもんは、放っておいたら、動物のようになるんじゃ。
○自分の本能のおもむくままに振る舞うんじゃ。
○気に入らんやつがおったら、ケンカをふっかける。
○欲しいもんがありゃあ、人のもんでも盗む。
○じゃから、子供にきちんと躾せにゃあいけんというわけなんじゃが、そう簡単にいくもんじゃないね。
○仏教では五蘊盛苦(ごうんじょうく)ちゅうて、エネルギーが有り余って元気すぎるのもまた苦しみの一つなんじゃあと説くんじゃ。
○体力が余ってオートバイでブンブン走り回るのはいいが、スピード出し過ぎて死んでしもうてはどうしようもないわな。
○人に迷惑をかけても困る。
○悪いことにエネルギーを使わずに、一度しかない人生なら人の役に立つようなことにエネルギーを使って生きていきたいと思わせるように子供を仕向けていけたらしめたもんじゃ。
○一度きりの人生なんじゃから。
○山本有三の『路傍の石』の中で次の先生が言った言葉じゃったかいのう。
○「たった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら人間に生まれてきたかいがないじゃないか。」


烏鷺滝が人間の悪い部分について語る

2013年05月28日 | 禅の心
○「人の不幸は蜜の味」とはいうが、他人の不幸な話を聞いて喜んでおるような人間は世間にはたくさんおるもんじゃ。
○人間には、そういう悪魔の部分が多かれ少なかれあるもんじゃ。
○しかし、他人の不幸を聞いて喜んでおるような人間は、やがてボロが出て、自ら身を滅ぼすことになるんじゃ。
○サビは鉄から出て鉄を滅ぼすんじゃ。
○悪い考え方が、人を滅ぼすんじゃ。
○人の困った顔を見るのが好きな人もそうじゃ。クレーマーもそうじゃ。
○人を攻撃すればそれは自分に跳ね返ってくるんじゃ。

烏鷺滝が仏心について語る

2013年05月24日 | 禅の心
○教育界では、「自尊感情が大事」じゃなどとよく言うておる。
○簡単そうに言うが、なぜ自尊感情が必要なのか、よくわからんぞ。
○自分は価値がある人間なのか価値がない人間なのか、そんなことは死ぬまでわからんぞ。
○わしらは、自尊心というよりも、みんな仏心をもっておると考えるのじゃ。
○自尊感情(自尊心)と仏心とは全く違うものなんじゃ。
○自尊感情は、自分が尊いと思う心。
○仏心は、自分の中にある本来の清らかな心
○自尊感情は「自分が尊いと思う」もの
○仏心は思わなくてももともとあるもの
○自尊感情が低いと苦しみ悩むと言うが、自分の中に仏心があると信じれば、楽になる
○自分だけでなく、すべての人に仏心があると思えば、楽になる。
○しかし、それはなかなかわからない。
○仏心があることがわかるために悩み苦しむことになるが、わからない。
○とりあえず、自分が価値のあるものかないものかなどと考えないことじゃ。
○どんなものも、人によって価値があると考えたり、ないと考えたりする。
○人の評価などあてにならん。
○だから、自分に価値があるかないかなど誰にもわからんのんじゃ。



烏鷺滝が剣道と柔道を語る

2013年05月21日 | 禅の心
○柔道と剣道は日本の武道なんじゃが、その根底にある考え方は大きく違うと思うんじゃ。○剣道は江戸時代にはあったもので、禅の思想を汲んでおるんじゃ。
○その一方で、柔道は明治になってからできたもので、富国強兵のかけ声の下、日本的な考え方と西洋的な考え方一緒になっておるんじゃ。
○柔道の「自他共栄」「精力善用」という言葉には、明治らしいものを感じる。
○剣道は、自分と相手というように分けては考えていないのじゃ。自分と相手が一つになるところに剣道の妙技があるのじゃ。
○禅の心は、決して勝ち負けを求めるものではないんじゃ。
○しかし柔道には「勝ってなんぼ」という部分はある。
○じゃから、柔道は今のように国際的なスポーツに発展したんじゃ。
○柔道はわかりやすいんじゃ。
○しかし、剣道のもっておる妙なるものが、外国人には理解しにくいのじゃ。
○剣道には禅の思想が流れているだけに。
○しかし、柔道は柔道でよし、剣道は剣道でええんじゃ。
○剣道が、日本人にしかわからんのも剣道の値打ちなのかもしれんな。

烏鷺滝が平常心を語る

2013年05月17日 | 禅の心
○不動心とか平常心というのは、スポーツ選手が好きそうな言葉じゃね。
○何があっても動じないのが平常心や不動心ではない。
○そのときそのときに、ありのままの姿で生きるのが平常心じゃ。
○平常心とはしなやかな心なのじゃ。
○うれしいときには大いに喜び、悲しいときにはしっかり悲しむことができるのが平常心なのじゃ。
○感動も何もない冷たい心が平常心なのではないよ。
○平常心とは暖かい心なのじゃ。