行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

昨日7月29日は松原泰道先生の命日

2021年07月30日 | 禅の心
大ベストセラーになった『般若心経入門』(祥伝社)の著者である松原泰道先生は2009年の7月29日に102歳の天寿を全うされました。今日で12年になります。私は松原泰道先生とご長男の松原哲明先生からいろいろとお教えいただきましたが、お二人とも相次いでお亡くなりになり残念に思っていました。松原泰道先生は鳥取県にお嬢さんが嫁いでいらっしゃることもあり、中国地方にはよく来られていました。気さくな方で講演の合間には聴衆の方に話しかけておられました。
著書は100冊以上ありますが、1980年代には書店の仏教書コーナーには高田好胤先生、山田無文老師、内山興正老師などの著書に混じって松原泰道先生の著書はきわだって多かったです。

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世界を救うのは自利利他

2021年07月27日 | 仏の心
トイレでよく見かける右側の設備。人間、誰でも老いて病気になっていきます。子どもを見れば自分の過去の姿、お年寄りを見れば自分の未来の姿、病気の方を見れば自分に重ねてみる。常に対象を自分のこととして考えるのが禅の見方なのです。誰でもがんや事故などで人工肛門をつけ、この設備のお世話になる可能性があります。その時になってこの設備が街中にあれば安心すると思います。自分でなくても、自分のおじいさん、おばあさん、両親、子どもがお世話になることがあるかもしれません。人権問題はどこかの誰かのことではなく、自分自身のことなのです。
他人のためだと思っていることが自分のためになっていたりすることは多いと思います。ユニバーサルデザインとは言いますが、自分のこととして考えていくということなのです。

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分類や枠組みを疑ってみる

2021年07月23日 | 仏の心
「山陰地方」とかという枠組みで考えると落とし穴にはまるのと同じことが「爬虫類」「哺乳類」という生物の分類にも言える。例えば、サメのような軟骨魚類は他の魚類とは生理学的、進化の系統的に大きく違う。系統的にはタイはサメより人間に近いのだ。

枠組みや分類を疑ってみると、生物学的には男と女にきちんとわかれているわけではないことがわかる。性染色体では男の半分は女なのだし、テストステロン(いわゆる男性ホルモン)が男という幻をつくっているだけなのかもしれない。「男らしさ」「女らしさ」など意味のないものなのかもしれない。

性的マイノリティは誰にでもあてはまる事柄だという概念がSOGI(ソジ=性的指向・性自認)で、発達障がいは誰にでもあてはまる事柄だという概念がスペクトラムである。人権問題は、どこかの誰かのことではなく、自分自身の問題なのだ。

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死を美化するな

2021年07月20日 | 仏の心
○高僧の方が仏門に入った動機に「幼いときに親しい人の死を通して無常を感じた」というのがよくありますが、私は4歳の時に祖父の骨を見て無常ではなく、ただ死は恐怖でしかありませんでした。この4歳の時の記憶が原点です。

○確かに『白骨の御文章』は無常を語ったものだが、私にとって死は恐怖でしかない。死ぬ前には強烈な苦しみと恐怖があることも何度か体験した。それはお前の修行が足りないからだと言われればそれまでだが、そんなものなのだろうか。死を美化する必要はないし、死を素直に恐れればいいのではないだろうか。だからこそ阿弥陀仏におまかせするしかないのだ。死を通してよりよい人生を考えたい。

○「死は恐くない」と説き、死を美化して若者を戦争に駆り出していったお坊さんはじめ宗教関係者がいた話を聞き、いつも腹立たしく思う。

○女性が亡くなってから腐乱して骨になっていく過程を表した絵画を九相図(くそうず)と言います。小野小町や檀林皇后がモデルになっているものがあります。無常を絵に表したものなのですが、決して美しいものではありません。
1970年代くらいまでは市営や町営の火葬場もありましたが、田舎には三昧(さんまい)という簡易火葬場が墓地の一角などにあり、棺桶から焼けていくところを皆で見送っていく野辺送りもありました。棺桶はすぐに焼け落ちてしまうので、遺体が焼ける様子が見えるのです。これは九相図に描かれていることを4時間くらいに短縮してみているようなものです。死は決して美しいものではないのです。逆に言えば生きていることの尊さをみることができるのです。

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楽しみ

2021年07月16日 | 法句経
世間のモノサシを捨てて、仏のモノサシでみると、勝ち負けや出世、名誉などどうでも良いものと気づくはず。
学歴を自慢しない。経歴を自慢しない。


200 われらは一物も所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように。喜びを食む者になろう。

201 勝利からは怨みが起こる。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。

202 愛欲にひとしい人は存在しない。ばくちに負けるとしても、憎悪にひとしい不運は存在しない。このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。やすらぎにまさる楽しみは存在しない。

203 飢えは最大の病いであり、形成された存在(わが身)は最もひどい苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。

204 健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナは最上の楽しみである。

205孤独の味、心の安らいだ味をあじわったならば、恐れも無く、罪とがもなくなる、真理の味をあじわいながら。


206もろもろの聖者に会うのは善いことである。かれらと共に住むのはつねに楽しい。愚かなる者どもに会わないならば、心はつねに楽しいであろう。

207 愚人とともに歩く人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人と共に住むのは、つねにつらいことである。仇とともに住むように。
心ある人と共に住むのは楽しい。親族に出会うように。

208よく気をつけていて、明らかな知慧あり、学ぶところ多く、忍耐づよく、戒めをまもる、そのような立派な聖者、善き人、英知ある人に親しめよ。月がもろもろの星の進む道にしたがっうように

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