行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝禅話集(29)

2018年11月30日 | 仏の心
蓮如上人が「朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」と言われたのも、一休禅師が元日に頭蓋骨をもって京都を走り回られたというのも、虚無じゃのうて、無常の人生をいかに有意義に生きるかという問いかけなんじゃ

攻撃を攻撃で返せば共倒れ。攻撃は慈悲の心で返そう

若者が元気過ぎるのは一つの苦しみなのじゃ。元気を良い方向にもっていくのが社会の役目じゃよ。

「自分さえよければ」と「自分を愛する」は大違い。「今さえ良ければ」と「今という時を精一杯生きる」とは大違いなんじゃ

「自分さえよければ」という人は、自分を悪くしているのじゃ

烏鷺滝禅話集(28)

2018年11月27日 | 仏の心
〇昔からお坊さんには長生きの人が多いが、長生きのお坊さんは思考や食べ物のバランスがよく、ストレスと上手につき合っている。

〇【慈悲】慈悲は、「相手になりきる愛情」なのじゃ

〇何かに所属すれば自分を失う。寺も単立でええ。何ににも入らんのがええんじゃ

〇仏の教えは網の目のように、いろいろなものとの関係を重点においておるんじゃ

〇「明日死ぬかもしれない」ということは、若者だろうが、年寄りだろうが平等なのじゃ。生きていることは有り難いことよのう

烏鷺滝禅話集(27)

2018年11月23日 | 仏の心
〇意地悪な人、いじめる人、差別する人の多くに共通することがら。・・・・・自己肯定感が低い

〇誰からも支配されない。誰も支配しない

〇弱い人には強く出て、強い者には何も言えない。そんな生き方、恥ずかしいよ

〇ワシは禅坊主ながら、「倶会一処」という言葉の深さをしみじみ思うようになったわい

〇仏の道を歩むものは「自己責任」という言葉を軽々しく使うちゃあいけんよ。「自己責任」には、相手を冷たく突き放す無慈悲さがあるからじゃ。慈悲のないものは仏法ではないよ

烏鷺滝禅話集(26)

2018年11月20日 | 仏の心
〇人間は、自分のことは棚に上げて、他人の悪いところが目につくものじゃ

〇他人の不幸をあざ笑うような人になってはいけないよ

〇平和は愛するんでのうて、自分自身が平和にならんとの

〇自然を愛するんでのうて、自分自身が自然そのものなんじゃ

〇「今を精一杯生きる」のと、「今さえよければ」とは似ているようで大違いなんじゃよ

道元禅師の言葉

2018年11月16日 | 仏の心
その布施といふは、不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふへつらはざるなり。(道元禅師『四摂法』)
道元禅師は、権力者や世間や有力者にへつらわないことが、布施なのだと言っているわけです。


愛語よく廻天の力あることを学すべきなり(道元禅師『四摂法』)
愛語には世界を一変させる力がある。愛語は練習すれば上達する