宗教を目的と考える人と手段と考える人がいると思います。どちらでもいいですが、私は宗教を工芸品を造るときの鋳型や版画の版木のようなものだと考えています。だから作品ができれば壊してしまえばいいですが、人間は永遠に完成しない作品なのです。
宗教を目的と考える人と手段と考える人がいると思います。どちらでもいいですが、私は宗教を工芸品を造るときの鋳型や版画の版木のようなものだと考えています。だから作品ができれば壊してしまえばいいですが、人間は永遠に完成しない作品なのです。
寒山詩は世間を馬鹿にしているようで、この世の中の真理をついています。実際のところ、寒山は好きでないという人も多いですが、私は寒山を禅者の最高傑作だと思います。世間を馬鹿にして生きる。世間は狂っていると考えるのが風狂の生き方なのです。兼好、一休、小林一茶など、みな風狂の人でした。私は純粋な心がなければ風狂にはなれないと思います。
一休さんは言動が奇怪だったと言われていますが、その中に真実を見つめていたのではないでしょうか。常識を好む人には風狂は鬱陶しいものだと思います。地位や名誉を追いかける人生も否定はしませんが、ゆったりのんびりと生きる生き方もいいと思います。
目の不自由な方々がおのおの象に触れると、ある人は柱のよう、ある人はホースのよう、ある人はホウキのようだと言いました。どれも正解です。物事を決めつけない、人を裁かない。諸法実相の心です。