行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

自己曼画

2021年11月26日 | 禅の心
網の目は一つでは存在できないように人間も社会のつながりの中で生きています。そしてお陰様やご縁を自覚しつつ個人として生きることが大切なのです。
内山興正老師の『進みと安らい』の中の自己曼画を見てそのように思いました。


リンクは山下良道師のブログです。
https://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/98a90e5750ce61e09a2077acb8742938?fbclid=IwAR1zACA4dFo02UJ9jBfikj-etqf_FfqnucI5t4VAvfkNcBL-Z7EVAxrEjUA

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自己を習う

2021年11月23日 | 禅の心
人の苦しみや悩みの多くは、他人や社会のことはよくわかっていても、自分のことがわからないことによる。「佛道を習ふといふは 自己を習ふなり」(道元禅師)

頼まれもないのに、上から目線で相談に乗ろうとしたり、その人の先生でもないのに教え諭してやろうとしたくなるのは自分の未熟さと幼い自己承認欲求故だと思う。誰のことでもない自分のこと。


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色即是空

2021年11月19日 | 禅の心
「人生に意味がない」というのは確かだが、これが虚無主義にならないようにきをつけなければ。「人生に意味がない」ことに意味があるというのが般若心経の「空」の見方なのだ。

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まとめて雑感

2021年11月16日 | 禅の心
【念彼観音力 火坑変成池】怒りの炎は我が身を焼き尽くす。怒って解決することなどそんなにない。怒って感情あらわにするのはみっともなく恥ずかしいだけ。怒らない、怒らない。怒りの炎を穏やかな池に変えよう。

密教や神道は非科学的なものと割り切ればいいのに、物理学や生物学と結びつけてしまうと、グロテスクなオカルトになってしまう。

書物であれ、インターネットであれ①薬になる情報②毒にも薬にもならない情報③毒になる情報があるが、③毒になる情報は麻薬のように、気分を高めたり気持ちよくさせてくれるが、じわりと心を蝕んでくる。③には陰謀論、ニセ科学、歴史修正主義の他、「他人の不幸は蜜の味」というようなものもある。その蜜の味が積み重なれば、甘いものが歯をむしばむように心を蝕んでいく。

量子論や分子生物学などの自然科学と宗教の対話は必要ですが、それらを無理に統合しようとすると危険なモンスターになってしまうかもしれないので、注意が必要です。

インターネットのニュースもYouTubeも、関連ニュースや関連動画を次々とクリックしていくと、洗脳装置になっていくような気がする。情報が偏っていくので気をつけたい。

国民的な憎悪心は、文化が低ければ低いほど強い。(オスカー・ワイルド) 文楽という伝統芸能を攻撃し、人々の憎悪を集めて大きくなった人、団体もいます。

正直にものを言ったり、信用される発信をすることよりも、おもろかったり、注目を集めればデマや、確かめもしない自分の思いつきを発信してしまう人は危うい。



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自然は優しく恐く

2021年11月12日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
老荘の「無為自然」はいい言葉ですが、よく考えてみるととても恐い言葉だと思います。無為自然の中には宗教などいらないからです。親鸞聖人の「自然法爾(じねんほうに)」にも私は好きな言葉であるとともに一種の怖さを感じます。河豚の毒のようなその怖さこそ親鸞聖人の魅力です。そしてすべてを焼きつくしたあとに残る「南無阿弥陀仏」が強烈に光を放つのです。
「諸法実相」も道元禅師の「溪声山色」も破壊的なエネルギーを持った言葉だと私は思うのです。

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