企業のトップの人は、「夢を持て」というのが好きなようです。この場合の「夢」には、「欲」というニュアンスを含んでいる事が多いです。また、本当は「将来に対する理想的な自分の姿」を「夢」という言葉を使って表しているのだと思います。「夢」はあくまでも幻であって、仏教では「むなしいもの」「無常なもの」というとらえ方を基本的にはしています。
さて、道元禅師は悟りの象徴として「夢」という言葉を使っておられる向きがあります。
「夢中に夢を説く処、これ仏祖の国なり」
と言っておられます。夢中は悟りの世界ということで、「悟りの世界で人生の無常を説くのが、仏の教えです」というようなことになりましょうか。
道元禅師は夢という言葉を二つの意味で用いておられます。無常にとらわれるのも夢なら、この夢からさめたのも夢です。
さらに道元禅師は歌で「本末もまた偽りの九十九(つくも)髪 おもい乱るる 夢をこそ説け」とも言われます。人間の一生はつくも髪(白髪頭)になるまで夢(無常)だった。でもこの無常にとらわれてはいけないのです。
さて、道元禅師は悟りの象徴として「夢」という言葉を使っておられる向きがあります。
「夢中に夢を説く処、これ仏祖の国なり」
と言っておられます。夢中は悟りの世界ということで、「悟りの世界で人生の無常を説くのが、仏の教えです」というようなことになりましょうか。
道元禅師は夢という言葉を二つの意味で用いておられます。無常にとらわれるのも夢なら、この夢からさめたのも夢です。
さらに道元禅師は歌で「本末もまた偽りの九十九(つくも)髪 おもい乱るる 夢をこそ説け」とも言われます。人間の一生はつくも髪(白髪頭)になるまで夢(無常)だった。でもこの無常にとらわれてはいけないのです。