行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

哲学や宗教が権威になってはいけない

2024年03月15日 | 禅の心

雲門が「仏様は糞かきべら」だと言ったり
南泉が猫を斬ったり
一休さんが不動明王に小便かけたり
蜷川新右衛門がお迎えに弓矢を弾いたり
宗教が権力になったり権威になってはいけないということです。
哲学者も宗教家も自分の思想や主張が一番だと思っている人が多いことでしょう。
自分は悟ったのだ、自分は凄い境地に達したのだと思うのは魔境に入ったのであり、禅なら野狐禅です。
逆にわざとらしく謙遜してみせるのも同じことです。
天狗になっても逆さ天狗になっても宗教家や哲学者は毒をまき散らすだけです。
華厳経の「事々無礙法界」はみんなつながっていて、しかもみんな中心の世界ということです。神とか仏とかいらない世界です。
脱宗教こそ究極の宗教の姿でしょう。

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哲学とは常識をわかりにくい言葉で表現したもの(ゲーテ)

2024年03月12日 | 日記など

哲学も宗教も多くの人には必要ないものなのかもしれません。
哲学や宗教が必要な人も多いと思いますが、必要な人には必要なのです。

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自分とはやっかいなもの

2024年03月08日 | 日記など
【自我とはやっかいなもの】
○「死」とは何よりも自分自身との別れである。
○プライドをもたなければプライドをは壊れない。
○自信を持たなければ自信はなくならない。
○無我になることはできなくても、自我を小さくすることはできる。自我は小さい方が楽に生きられる。

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取扱い注意の本でしょう

2024年03月05日 | 日記など
橘玲さんに心酔、傾倒している人は多いと思います。この『もっと言ってはいけない』は、遺伝について書かれていますが、読み方を間違えるととても危険な本だと思います。読者の論理的思考と感性が問われる本で、危険な優生思想とニヒリズムに陥ってしまいます。もちろん著者の橘玲さんには悪意はないのですが、読者の力の問題です。


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一休さんと蜷川新右衛門の現実主義

2024年03月01日 | 禅の心
下の一休さんと蜷川新右衛門の逸話は、禅の特色をよく表しています。つまり、極楽浄土も神通力も迷いだとかんがえているわけです。極楽浄土は浄土宗、浄土真宗、不動明王は密教の象徴ですが、一休さんは浄土真宗や真言宗に反発していたわけではありません。一休さんは年下の蓮如上人を尊敬していたようです。お迎えが見えるのも神通力も魔境だと考えていたわけです。
《魔境に惑わされない》
○一休さんが琵琶湖で船に乗っておると、同乗していた山伏が、
「ワシは神通力をもっておるんじゃ。今から奇跡を起こして進ぜよう」
と自慢げに言うておった。
○山伏は船の舳先に不動明王を出したんじゃ。
○船の乗客はみんな驚いて拍手喝采を送ったんじゃと。
○それを見ておった一休さん、不動明王の前に歩み寄ると、
こともあろうか一物を引き出して、不動明王に小便をかけてしもうた。
○不動明王は消えてしもうた。
○一休さんいわく、これはそなたの迷いのなせるわざ、魔物は消しておかにゃあ。
○一休さんの弟子となった蜷川新右衛門の臨終の折に、お迎えの仏様が現れたんじゃと。
○新右衛門は最後の力を振り絞ってお迎えの仏様に弓矢を放ったんじゃ。
○仏様はすっと消えて新右衛門は息を引き取ったんじゃ。
○一休さんの弟子らしい最後じゃった。
○江戸時代の禅僧、鈴木正三にも同じような話があるが、奇跡は人間の迷いが作り出すものなのじゃ。
○魔境に惑わされてはならぬ。

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