行雲流水

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真理を無理に求めない

2024年08月23日 | 仏の心
インターネットの中に真理はなかなか見つからないと思っていますが、禅は真理を無理に見つけようとしないで、棚上げしているところがあると思います。 
この世の真理や真実などないといえば危険なニヒリズムになるし、真理がわかったといえばたいてい陰謀論やおかしな宗教などに引っ掛かっていることになります。
若いときには人生の意味を求めて悩むことがあります。人生の意味はあるのかもしれませんが、神様だけが知っていることなのかもしれません。
キリスト教や仏教など本当の宗教は人生の意味や真理を考えることを神様や阿弥陀仏、大日如来などに預けてしまうことだと思います。わからないことはおまかせするのが宗教だと思います。
しかし、簡単に答えを出してしまうのは危ない宗教なのだと思います。オウム真理教に若い人が群がったのはまさにそうだったのではないでしょうか。
中国に南泉というお坊さんがいて、その弟子達がかわいいネコを奪い合っていました。南泉はそれをみて、ネコを奪って「何かコメントしないとネコを殺すぞ」と言いました。だれも何も言わなかったので、南泉はネコを斬り殺してしまいました。
そこへ趙州という弟子が来て頭に草履を載せて出て行きました。
ネコは死後の世界だとか、人生の意味だとか、答えがわかるはずのない問いや複数答えのある問いだと私は解釈しています。
南泉がネコを斬ったのはそういう問いをふりだしに戻した。趙州が頭に草履を載せたのは、問いの答えを棚上げしたということではないでしょうか。
わからないことを適当に言うのではなく、棚上げすることも必要だと思います。 
何でも知りたがり、答えを知りたがり、白黒つけなければ気の済まない人にはとても苦痛だと思いますが。
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