行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝禅話集(6)

2018年07月31日 | 仏の心
○若い衆はどうして強い人、弱い人にこだわるんかの?人間、強くもあり、弱くもあるんじゃよ。

○人のことを「弱い人だから・・・」などと言うもんじゃない。弱い人、強い人は誰にも決めつけられるもんじゃないんじゃ。生きているだけで十分じゃないか。

○自分の黒を白と言い、他人の白を黒といって、おとしめる人は自分の醜さに気が付かないものじゃ。

○自分はマナーが良い、道徳的だと信じてやまない人は、自分の出している害毒に気が付いていないだけなんじゃ。

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観音様と生きる

2018年07月27日 | 仏の心
「死にたい」と言っている人に

「生きていればいいことがあるよ。」

と答えることが、とても残酷なことである場合があります。

生きていてもいいことがないから、「死にたい」と言っているのですから。

そんなとき、観音様は、「私も苦しいのですよ」

と、一緒に泣いて下さいます。

観音様は、

男の前では男に、女の前では女に、赤子の前では赤子の姿で、年寄りの前では年寄りになって、喜んだり、悲しんだりして下さるのです。

時には、人を励ますことも大切かもしれません。しかし励ますだけでは決して救われません。

「生きろ」ではなく「一緒に生きましょう」が観音様の心なのです。



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信用について

2018年07月24日 | 仏の心
無人市です。

たくさんの人に美味しい野菜を食べてもらおうと思って、

毎日、遠くから野菜を運んで来られる方。

そんな方々は、その地域の人を信頼して野菜を置いていくのです。

日本人は、信用を大切にする国民だと思います。

富山の薬売り然り、

善意の傘然りです。

この無人市の、料金箱は、お互い顔を合わせることのない

売り手と、買い手の信頼の絆なのです。

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自己理解

2018年07月20日 | 仏の心
自分の将来を考えるのに、自己理解が必要だといいます。自己理解は自分を知ることです。道元禅師は「仏道をならふといふは、自己をならふなり」とおっしゃっています。坐禅の坐は、土の上で2人の人が対話している様子を表していると言われています。2人のうちひとりは、自分です。そして、もう一人は自分の中の本来の自分なのです。禅では「無位の真人」と言っています。自分との対話。これが禅なのです。

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烏鷺滝禅話集(5)

2018年07月17日 | 仏の心
仏像がありがたいんじゃないんじゃ。人間が有り難いんじゃ。

【諸行無常】世の中も人間も常に移り変わっておることがわからないから苦しむんじゃね。

【正見】人間は自分にとって、都合の良い情報ばかり得て、不都合なことには目を閉じ、耳を塞ごうとするのじゃ。じゃけぇ、ものの見方が歪んでしまうんじゃ

富士山を愛された白隠禅師は富士を「不二」と考えられたんじゃ。生と死、右と左など、物事を二つに分けて考えることがつまらないことじゃあ思われたからなんじゃ。

本当に頭のいい人は「正論」とか「論破」という言葉は使わないんじゃよ。多くのことに答えが一つではないことを知っているのが本当に賢い人なんじゃよ。



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