行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

粗なる言葉をなすなかれ

2018年05月29日 | 仏の心
粗なる
ことばをなすなかれ
言われたる者
また なんじにかへさん
いかりに いづることばは
げに くるしみなり
返杖(しかえし)かならず
汝の身にいたらん
(法句経133

言葉は生きています。汚い言葉は天井につばきするがごとく、自分に返ってきます。
言葉は心の足音であり、心の脈拍です。言葉を整える事は心を整える事でもあり、幸せな人生を送って行く第一歩でもあります。

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手塚治虫のメッセージ

2018年05月25日 | 仏の心
京都市下京区

京都駅の駅ビルに手塚治虫ワールドがあります。




リボンの騎士のサファイヤです。




鉄腕アトムと、ジャングル大帝のレオです。




手塚治虫が亡くなってから、30年が経ちました。

そして、この30年は、人々の心が荒廃していった30年でした。

手塚治虫が今の時代を見たらどう思うでしょう。

子供でも、カネが全てだと口走る。

平和を願うものが攻撃される。

とにかく他人を攻撃したがる人が増えてきました。

手塚治虫は、こんな世の中を予見しているかのようでした。

手塚治虫の言葉をいくつか挙げてみたいと思います。

私にはただひとつ、これだけは断じて
殺されても翻せない 主義がある。
それは戦争はごめんだ、ということだ。
戦争というのは、兵隊が戦って死んでゆく、
という単純なものではありません。
歴史の上で何回も戦争は繰り返され、
そのたびに多くの子どもたちが
犠牲になってきました。
いまも世界中で沢山の子どもたちが、
大人たちの争いの中で傷つき、
手足を奪われ、両親や兄弟と引き離され、
命も未来も踏みにじられています。
その現実から目を逸らさないこと。
「関係ないじゃん」とそっぽを向かないこと。
平和な世界を望むなら、
まずそこからはじめなければなりません。

手塚治虫の一番のメッセージは平和な世界ということでした。

人ごとではないのですね。戦争の悲しさを手塚漫画は語りかけています。

ぼくらは欲望のままに物質の豊かさを求めて、
わき目もふらずに突っ走ってきましたが、
いまがここらで立ち止まって周りを見回す
最後のチャンスではないかと思います。
最先端の科学を手にする、ということは
「力」を手にする、ということです。
そして人以上の「力」を手にした時、
そこに「慢心」が生まれ、
「人より強い=人より偉い」という
間違った考えに支配されがちです。
力を支配するために使うのではなく、
弱い者を支えるために使おうとする「心」の
発展が進んだら、その時、科学の発展を
本当の意味での「進歩」と言えるように
なるのかもしれません。

科学技術の進歩によって人間は幸せになったようで、心が荒廃してしまいました。

科学の進歩は、 本来人類に幸福を
もたらすはずだったものです。
ところが、いまでは地球を痛めつける
悪い奴になってしまった。
かつて荒唐無稽だと笑われたこともある
ぼくのマンガどころの騒ぎではおさまらない。
閉ざされた人工の世界でしか、
生きることが出来なかった、 未来の子どもたち。
この悲しい物語は、ただの「物語」だと、
いま、言えない現実があります。
進み行く環境汚染。 危険な食品添加物、
そして世界のどこかで続けられている核実験。
世界はこのまま「濁った空気の底」に
沈んでしまうのでしょうか・・・

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稔るほど頭を垂れる稲穂かな

2018年05月22日 | 仏の心
私たちは、毎日自分自身を見つめ直さないと、謙虚さを失い、高慢になっていく存在だと思います。

自分がまともで、他は馬鹿に見える。

自分が偉くなったように思える。

自己顕示欲の塊である自分に気がつかない。

こんな状態になったら、要注意です。

日本人は、負けることの大切さを知っている民族です。

はじめから相手を立てて、自分を下げておく。

狭い道をすれ違うときに、お互いに道を譲り合う、

そうすることによって、相手との関係がスムーズに行くわけです。

謙虚な人は気持ちが良く、好感が持てるものです。

年をとるほど、誰に対しても謙虚になって、腰を低くしていきたいものです。

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あ・うん

2018年05月18日 | 仏の心
狛犬や金剛力士像は、
片方が口を開けていて「あ」と言っており、
もう片方が口を閉じて「ん」と言っている。
「あ」はこの宇宙の始まりであり、「ん」はこの宇宙の終わりである。
「あ・うん」はこの宇宙の全てを表している。
「オウム」「ナーム(南無)」「アーメン」などの宗教的な言葉はみなこの「あ・うん」からきているのだともいう。
奇しくも、五十音では始めが「あ」で最後が「ん」である。
宇宙とは、生命とは、この世の真実とは、人は何故生きるのか。
「あ・うん」だけがその答えを知っているのだ。


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諸行無常

2018年05月15日 | 仏の心
太宰治の『人間失格』の第三の手紙の最後の部分です。

いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。

「ただ、一さいは過ぎていきます」が真理らしく思われたというのです。
これは仏教思想というよりは、日本人の持ち続けてきた感性です。

全てのものは移り変わっていくのですが、その中に永遠不変なものを求めていく。
始まりがあれば必ず終わりがある。
出会いがあれば必ず別れがある。
生があれば必ず死がある。

全てのものは過ぎ去っていきます。しかし、その中に永遠不変なものを求めていくのが、華道、茶道、俳諧などの日本文化なのです。

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