行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

風動くに非ず、幡動くに非ず

2016年09月30日 | 仏の心
禅の講座の前に、2人の若い僧が、風になびいている旗を見て議論していました。、

「あれは旗が動いとるんじゃ」

「いや、あれは風が動いとるんじゃ」

それを見ていた慧能大師が、

「それは、あんた方の心が動いとるんじゃ」

といいました。

世の中には理屈をこねまわすのが好きな人がいますが、禅は理屈ではないのです。

旗が動いているのも正しいし、風が動いていると言っても正しいのです。

自分が旗が動いていると思えばそれでいいのだし、風が動いているように感じられればそれでいいのです。

「自分」という視点が抜けていてはどうにもならないのです。

真理は議論して得られるものではありません。

真理は自分の中にあるのです。




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おのれなりけり軒の玉水

2016年09月27日 | 禅の心
聞くままに また心なき身にしあれば おのれなりけり軒の玉水

道元禅師の傘松道詠の一首です。

心静かにたたずんでいると、ふと不思議な感覚をおぼえるものです。

啼いている蝉の声が消え、自分が啼いていると感じるのです。

波の音が消え、自分が波になっていると感じるのです。

自分は蝉であり、波である。

観察する対象になりきってしまうのです。

人間の感覚とは妙なるものだと思うのです。

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荊棘林中一条路

2016年09月23日 | 仏の心
荊棘林中一条路

人生はイバラの道を行くようなものだとは言いますが、そんな中でも救われることはあるものです。

人生の窮地に追い込まれてもあきらめずに考えて行けば活路は見いだせるものです。

人生ピンチの時こそ大きくはばたくことのできるチャンスになることもあります。

どうしょうもないときには、じっとして神仏にお任せするのもいいかもしれません。

お任せして路が開けることもあるのです。

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親切、辛切、深切

2016年09月20日 | 禅の心
山本玄峰老師は、

「人に親切、自分に辛切、法に深切であれ」

と言われていました。

他人には親切にし、自分には厳しくするというのはわかります。

自分に厳しくあるためには、真理(法=ダルマ)を深く知らなければならないのです。

真理が体得できれば謙虚さがわかり、人に優しく、自分に厳しくなれるのです。


最近は、自分のことは棚に上げて人を攻撃するような風潮が強くなりました。

自分の正義を振りかざして正義に酔っているのです。

そのような人は謙虚さも何もありませんが、仏教徒と自認するのは嘆かわしいことです。

仏の教えは人に厳しくするものではありません。





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春は花

2016年09月16日 | 禅の心
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さへてすずしかりけり

道元禅師の『傘松道詠』の中の有名なうたです。

自然はすべて真実を表しているという「諸法実相」が歌われています。

自然は人間の手を加えない「本来の面目」を備えています。

私たち人間にも本来の面目はありますが、いかんせん人間には色気というものがあるので、本来の面目が隠れてしまいます。

いい学校に入るためにがんばって勉強しようとか、

出世するためにがんばって仕事しようとかと思ってしまうものです。

花は黙って咲いて黙って散っていくのです。

自然に、ただ何かをするということがなかなかできないのが人間というものです。

自然に習い、自然に学んでいきたいものです。



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