行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

自動車が悪い

2010年04月30日 | 禅の心
山田無文老師が41年前に次のようなお話をされていました。
「今日の社会の混乱は・・・・・自動車が悪いのだ。
 あの冷たい車という機械の中に入ると、人間の心も機械のごとく冷却し、人間性を喪失せざるを得ないだろう。
 自動車に乗って、高速道路に出て、規定の料金さえ払えば、人間はみな平等の権利を持つのである。
前の車も、後ろの車も横の車も敵である。車に乗れば四方八方敵ばかりである。
これが今日の社会人の習慣づけられた性格ではなかろうか。一部過激学生に言わすと、教授も敵、学長も敵、理事会も敵、文部省も敵、佐藤内閣も敵である。
 いったい味方はどこにおるのであろうか。マイカーだけ。横に座っておる助手の妻と、後ろに乗せた子どもたちだけが味方である。マイホーム主義というのは、畢竟マイカー生活から割り出されたものではなかろうか。
 車の中は狭いのだから、両親や兄弟も別の車に乗ってもらわねばならぬ。両親が別の車に乗られるとたちまち敵になってしまう。なんと味気ない世相であることよ。」

車社会に限らず、文明とは、日本人の持っていた「和」の精神までも失わせるのでしょうか。今では、パソコンが家族を壊し、人間関係を壊し、人間そのものを壊しているのかもしれません。

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恨みに報いるに 恨みを以てせず

2010年04月27日 | 禅の心
法然上人の少年時代の話です。
法然上人が9歳の頃、法然の父である漆間時国(うるまときくに)は、預所(この地の荘園を管理する役人)の明石定明に夜討ちをかけられて殺されてしまいます。父、時国は臨終に法然(幼名・勢至丸)を呼び寄せて
「決してワシのかたきを討ってはならんぞ、お前がかたきを討てばまた定明の子供がお前に敵討ちに来るだろう。我慢するのじゃよ」
と言いました。
恨みの炎はどこかで消さなければなりません。戦争にしても日常生活にしてもです。
ただ、それはなかなか難しいことだとは思います。

写真は、岡山県久米南町・法然上人誕生寺の法然上人両親の墓。

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澤木興道老師の平和観

2010年04月23日 | 禅の心
澤木興道老師は、日露戦争に出征し、負傷されました。確かに当時はお国のために戦ってこられたのですが、第二次世界大戦が終わってみると、自らがグループボケしていたことに気付かれたようです。
「忠義、忠義と言うけれど、どっち向いてどうしておるのかわからぬ。わしらも日露戦争では本気になって戦争したのじゃが、こう負けてみると、せんでもよかったことをしたということが、よう分かる。だいたい戦争なんぞせんでもええんじゃ。」
澤木興道老師はよくグループボケということを言われますが、戦争こそグループボケのさいたるものなのです。そして、このグループボケののぼせをさますのが坐禅なのです。まわりに流さず、常に自分自身で、何が正しいか、何が善い事なのかを考えていかなければなりません。
コメント (2)
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忍をもって鎧となす

2010年04月20日 | 禅の心
釈尊を慕って、他の宗教からもたくさんの人が弟子になりました。
ある時、バラモン教の司祭の弟子が釈尊のところへ行ってしまいました。バラモン教の司祭は大変激怒し、釈尊をまくし立てます。怒りをぶつけても釈尊は黙っているので、司祭は、
「あんた、これだけ言われて反論ができないのかい。たいしたことのないやつだ。お前さんのまけだね。さあ、弟子を返せ」
釈尊はバラモンに静かにこう言われました。
「もし貴方様の家においでになったお客様が、貴方様のおもてなしをうけなかったら、どうなさいますか」
バラモンは
「そりゃあ、ワシが食わなしょうがないわな」
釈尊は
「私は、貴方様の悪口というご馳走を食べませんでした。このご馳走は貴方様が食べなければならないことになりますね」

怒っている人に怒りを返さない、悪口を言う人に悪口を返さないというのが真の勝利者なのです。

世の中は怒りや悪口で満ちています。それを怒りで返さないことが大切なのです。

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大和魂

2010年04月16日 | 禅の心
和という字は

1.和やか(なごやか)
2.和える(あえる)・・・異質のものを一緒にする。
  「和え物」と言います。
3.和・・・足し算の答え。2つのものを合わせたもの。

などと読みます。そして、「和」とは日本の国の事でもあります。
聖徳太子は、物部氏(神道派)と蘇我氏(仏教派)の我が国の最初で最後の宗教戦争で蘇我氏を支持し、蘇我氏の勝利を導きました。
そして、聖徳太子は、このような宗教上の争いを二度としてはならぬと、「和の心」をお解きになったのです。
そして、聖徳太子の時代(飛鳥時代)、奈良時代、平安時代から明治維新まで、日本の神道と仏教は神仏習合というアイディアによって、仲良く共生してきたのです。
さて、このように異質のものを一緒にする「和える」という「和の心」は平和の「和」であり、「和気藹々(わきあいあい)」の「和」です。
つまり、争わずみんな仲良くしようというのが、「和の心」なのです。
もともと日本を表す「ヤマト」という言葉には「倭」をあてていたのですが、「大和」と書いて「ヤマト」と読むようになりました。つまり、
「平和を愛してみんなが仲良くする国=大和」が日本なのです。
聖徳太子の憲法17条にある「和を持って尊しとなす」という言葉をもう一度かみしめてみたいものだと思います。
大和魂とは。人に優しく、思いやりをもって行動する。喧嘩はしない。それには自分に対する厳しさが必要だという精神なのです。


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