行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

権力者に利用されるな

2020年11月20日 | 仏の心
長い歴史の中で、仏の教えや、儒教などは、権力者に利用されてきました。しかし、それは仏様の願いとは異なる形でした。このことは現代でも同じことです。

1.人生は苦しいものだ。

《権力者の思い》
「人生は苦しいものだ。貧しくても我慢せよ。我々のために一生懸命働きなさい。」

《仏様の願い》
「人生は苦しいものだけど、その中から楽しみを見つけましょう。苦しみは楽しみの元ですよ。」


2.感謝の心で
《権力者の思い》
「私たちのおかげでお前たちは生活できているのだから感謝しなさい。」

《仏様の願い》
「みんな、目に見えない多くのご縁によって生きているのです。毎日を感謝の心で安らかに生きましょう。」

3.悪口を言わない
《権力者の思い》
「私たちが何をやろうとも、悪口を言うのは悪いことだよ。」

《仏様の願い》
「いつも愚痴をこぼしているのは良くないが、権力に対して建設的意見を言って世の中を正していくことは、宗教者の役割ですよ。」


【寒山詩】巌前に坐る

2020年11月03日 | 禅の心
今日巌前坐
坐久梱雲収
一道清鈴冷
千尋碧埠頭
白雲朝影静
明月夜光浮
身上無塵垢
心中那更憂

注 朝影-朝日の光。




今日、巌前に坐すれば
坐すること久しゅうして栖雲収まる
一道清仙静冷やかに
千尋碧時の頭
白雲朝影静かに
明月夜光浮ぶ
身上塵垢無し
心中、那ぞ更に憂えん



きょう、岩の前に坐った。長いあいだ坐っていたら、もやがおさまった。見えてきたのは、清ら
かに流れる1すじの清く澄んだ谷川と、千尋の高い緑の山の峰、白雲に朝日の光は静かにうつる。    
明月は夜光の珠のように輝く。わが身上に一点のよごれもない。まして、心中になんの憂いがあろ
うか。    .                              
 巌前とは、寒山子が住んでいた寒山の山中の「寒巌」と名づけた岩窟の前でもあろう。寒は、寒
さであるが、この寒さの中に、貧しさ・きびしさや孤独の意味がこめられ、・安易な気持ちがきびし
く否定されている。
     
 岩の前で曹らく坐禅をつづけると、心中のもやもやした心のうずまきが収まった。すると心中に

一道の清らかな谷川にも似た道が開けてきた。
 緑の高峰にかかる白雲にそそぐ朝の陽光のように、また夜光の殊にも似た明月のように、わが身
                   ヽ ヽ
上にも心中にも、いささかのかげもない。
 寒山子はこのように坐禅のよろこびをうたいあげるが、ここで「坐禅」のことを少し学習してみ
よう。