行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

無意識とは・・・

2020年05月29日 | 禅の心
あのニーチェさんがこのようなことを言っています。

Every extension of knowledge arises from making the conscious the unconscious.

無意識を意識することが知識を拡大させることなのだ。


パソコンやスマートフォンはあるアプリを使っていないときにでもバックグラウンド(画面に表示されないところ)で動いていることがあります。パソコンのディスプレイに大きく表示されているのが《顕在意識》であるなら、自分のパソコンのハードディスクに保存されているものが《潜在意識》、インターネットに保存されているのが《無意識》です。私は深層心理を《潜在意識》と《無意識》に分けて考えていますが、仏教の唯識論で言えば第7識《末那識(まなしき)》第8識 《阿頼耶識(あらやしき)》とかではないかと思っています。ニーチェはこの無意識を意識せよと言っているのです。パソコンをオンラインの状態にすれば膨大な情報を得ることができます。
時間を忘れてゲームをしていると、頭であれこれ考えていないことに気がつきます。私の場合、頭で考えない方がゲームに勝つことができます。ゲームだけではなく仕事上の技術的なこともそうです。
瞑想というのは考えることをやめて無意識と繋がることではないでしょうか。
無意識というのは大きな力だと実感しています

世間に迎合しない生き方

2020年05月26日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
中国地方の妙好人といえば
石見の才市と
因幡の源左
ですが、私はどちらがいいと批評しようとは思いません。
ただ、才市は不良少年が改心して宗教に目覚めた人によくありがちな妙好人だと思います。それに対して源左は陽気なじいさんという感じです。とにかく明るく屈託のない人です。
それぞれ高く評価している人が
石見の才市・・鈴木大拙
因幡の源左・・柳宗悦
であることも二人の性格をよく表しています。
源左は江戸時代の終わりから昭和まで生きた人ですが、その言動には古いものを感じません。孫が障子を破いて、「障子を破ることは子どもの時でないとできない」など当時の世間の常識としては考えられないことです。子どもをのびのび育てる、子どもが引きこもりになったらそれはチャンスではないかと、世間の物差しを棄てて生きてきたのが源左の魅力だと思います。

世間は火事になった家のようなもの

2020年05月22日 | 日蓮 日蓮宗
火事になった家から早く飛び出さないと焼け死んでしまいます。世間の価値観に翻弄されて生きていると世間とともに運命をともにすることになります。世間を疑いながら生きていくことをいつしか身につけてしまったようです。

臨済録

2020年05月19日 | 禅の心
<span style="color:maroon;">中国文学の入矢義高先生の訳です。朝比奈宗源老師版は別の出版者から出ています。これが一番の愛読書になりました。繰り返し読めば読むほど味の出る不思議な古典です。「大馬鹿門こそ真の賢者であり風狂の中に真実がある。」


理屈や知識は棄ててしまえ

2020年05月15日 | 禅の心
広島出身の彫刻家に空充秋さんという方がいて、兵庫県宍粟市旧千種町の二つの山に建てられた《平成之大馬鹿門》の作者です。美味しいものを食べたり美しい景色を見るのに理屈や知識など必要ありません。人間の心の奥底にある純粋なもの(仏心)が満足すればいいのです。心の奥底にある純粋なもの(仏心)は理屈や知識という妙な賢さが覆い隠してしまっています。自分の中の仏心に出会うには馬鹿になって、理屈や知識の壁を打ち破らなければなりません。火事場の馬鹿力というように、馬鹿のエネルギーは強大です。この難しい世の中に必要なのは賢さだけでなく、愚の力なのかもしれません。

https://chikusatown.net/tourism/oobakamon/?fbclid=IwAR1V-8D1urdZ6pt1y50OYhJBDgg412fD8yaP9b1jMSXGNQHdfhEC3nu4_MM