行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

山田恵諦師の言葉

2011年07月29日 | 禅の心
名も知れぬ草でも、何か役に立つから生えている。この世にあるものはすべて価値があるから存在している。

【言葉を味わう】
仏教の根本思想だと思います。雑草でも、生態系の中で調和を保つ役割を担っています。雑草が生きているから、私たちは酸素を吸うことができるのであり、生き物を養うことができるのです。
この世に存在する全ての物には、仏の命が宿っているのです。

【山田恵諦師の略歴】

1895年 兵庫県姫路市に生まれる。
1920年 天台宗西部大学卒業
1974年 天台座主に就任
1987年 比叡山宗教サミットを主催
1994年 示寂



山本秀順師が平和を語る

2011年07月26日 | 禅の心
私、若いときに、留置所に入れられたことがございます。戦争に反対したからであります。そのときに体験した心と体の関係を申し上げたいと思います。
私が、なぜ戦争に反対したかと申しますと、生き物の命を大切にすることが、仏教の精神だからであります。仏教の精神の柱は「愛情」です。ですから、お釈迦様は二百五十戒、三百戒といわれる戒律の第1番に不殺生戒をもってこられました。戦争は、人を殺せば殺すほど勲章がもらえるわけですから、私は戦争に賛成できなかった。当時、戦争反対者は国賊であります。
6ヶ月間、留置所に入れられ、からだじゅうが、皮膚病に冒されました。薬をくれ、というと、
「国賊につける薬はない」
身も細ってまいります。



【言葉を味わう】
平和を守ることは、生命を尊重すること。山本秀順師は、それをひたすら守り抜いたのです。平和を渇望して、戦争に反対することは、仏教者、宗教者として当然のことであるべきですが、投獄されてまでそれを実行することはなかなかできるものではありません。
平和、不殺生は釈尊の第一の精神です。平和を守ることができないのなら、それは仏教者ではありません。

【山本秀順師略歴】
1912年 生まれる
戦時中、反戦に邁進する
1996年 遷化

清水公照師の言葉

2011年07月22日 | 禅の心
なまけるな

怒るな

威張るな

あせるな

くさるな

まけるな

おごるな


【言葉を味わう】

真ん中の5つの言葉のはじめの1文字を組み合わせると

「おいあくま」となります。

怒る事は、人間関係を破壊してしまいます。恐ろしい烈火です。

威張る人は、本人は尊敬されているのと勘違いしていますが、本当は軽蔑されているのです。

焦ると、忘れ物をしたり、転んでケガをしたりと、ロクな事がありません。

くさっても、ふてくされても、まわりの人は、ただ幼稚な人とバカにするでしょう。

負けるなは、人に負けるなではなく、自分に負けるなです。



【清水公照師の略歴】

明治44年(1911年)兵庫県姫路市に生まれる

昭和 8年(1933年)龍谷大学卒業・関精拙老師に参ずる。

昭和50年(1975年)華厳宗管長・東大寺別当に就任

昭和55年(1980年)東大寺大仏殿の昭和大修理・落慶法要を営む。

平成11年(1999年)示寂

西田幾多郎の言葉

2011年07月19日 | 禅の心
  「ただ一つの思想を知るということは思想というものを知らないというに同じい」
【言葉を味わう】
一つの思想に凝り固まってしまうことは、危険です。
物事には、必ず、プラスの面とマイナスの面があるからです。
仏教を学ぶにしても、キリスト教など他の宗教を少しでも学んでおく必要はあるのです。まして、自分の信ずるもの以外のものを攻撃するのはよくないことです。
これが、般若心経の「空」の心です。

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」
「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」

人は人 吾は吾なり とにかくに
吾が行く道を 吾は行くなり



【言葉を味わう】

教えることはより深く、学ぶことである。
西田幾多郎の悲哀があってこそ、西田哲学が生まれたのです。
宗教も哲学も、人間の苦悩が出発点なのです。




澤木興道老師が語る

2011年07月15日 | 禅の心
○美味いいものをよって食って、ついに美味いものがなくなるというのは非常に悲惨な人生である。楽をよってしまったら、もう楽のしようがなくなってしまう。幸福ということは、自分が貧乏に生まれ自分が難儀をしたからである。そうすると実際は難儀が難儀でなし、楽が楽でなし、その何にもない処でヤッサモッサ大騒動してのたうち回っているのが、この凡夫というものである。さあ好きなものを追っかけるか、嫌いなものから逃げるのか・・・そこにジーッとしているのが、一番幸福である。

【言葉を味わう】
あまりにも快適な空間にいると、普通の世界がとても味気ないものに思えてしまうものです。美味しいものばかり食べていると、普通のものがまずく思えてしまうものです。
しかし、上り坂を苦し紛れに走っていると、平坦な道が楽に思えるように、
人生、苦しいところに身を置いていると、人生というのは、結構楽しいものだと思えてくるものなのかもしれません。
贅沢な生活が空しさを呼ぶのです。

【澤木興道老師】
明治13年(1880年)三重県津市に生まれる。
明治30年(1897年)永平寺に入り、出家。
昭和10年(1935年)総持寺後堂・駒澤大学教授
昭和40年(1965年)遷化