行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

藤井日達師の言葉

2011年09月09日 | 禅の心

驕慢の衆生を礼拝すべし  謙下の功徳を積まんがために
悪口の衆生を礼拝すべし  世間の機嫌を守らんがために
打擲の衆生を礼拝すべし 忍辱の修行を成ぜんがために
悪人を礼拝すべし  善人となさんがために
孤児を礼拝すべし  戦争の犠牲になるがゆえに
暗黒と阿修羅の娑婆国土と人間を浄化せよ

【言葉を味わう】
平和を願い、平和を愛し、不殺生戒を貫き通した、本物の僧が3人いました。
高尾山薬王院の山本秀順師、京都南禅寺の柴山全慶老師、そして、藤井日達師です。藤井日達師は、法華経の「常不軽菩薩」そのものでした。

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浅原才市のうた

2011年09月06日 | 禅の心
わしが阿弥陀になるじゃない、
阿弥陀の方からわしになる。
わしが聞いたじゃありません
わしが聞いたなありません
こころにあたるなむあみだぶつ
いまはあなたに打たれ取られて。
ええな 世界虚空が みな仏 わしもそのなか なむあみだぶつ
わしのこころは あなたのこころ
あなたごころが わたしのこころ
わしになるのが あなたのこころ


【味わう】
 鈴木大拙先生が絶賛していた、妙好人浅原才市(あさはらさいち)は島根県大田市温泉津町で生涯を過ごしました。この歌には、極めて純粋な心が歌われています。阿弥陀仏と自分が一体であったり、宇宙と自分が一体であったりという宗教体験が歌われています。浅原才市の歌の底にあるものは、自分に対する、慚愧と、懺悔でした。自分のようなものが生かされていることに対する感謝の気持ちでした。

島根県大田市

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大西良慶師の言葉

2011年09月02日 | 禅の心
清水寺が千年以上も昔の通リあるのは、
昔通リに「くすぶっているから」。
くすぶっているものは長持ちする。
人間、余りえらくならんでいいのやないか?


「我」があるから苦しくなる。
「我」があるから人と比べて劣等感を感じる。
自分の寸法の行いを心がけたらええ。

【言葉を味わう】
生きることに執着しすぎるのは迷いであり、苦であります。
しかし、長生きしている人は、決して無理をせず、さらりと生きているものです。精神的な安定が健康に生きていくためには不可欠なのです。
自分の背丈で生きていくことも大切です。

【大西良慶師】
1875年 奈良県に生まれる
1889年 奈良・興福寺に入る
1890年 法隆寺の佐伯定胤師に唯識を学ぶ
1899年 興福寺住職
1904年 法相宗管長
1914年 清水寺住職
1983年 遷化

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