行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

庭前に白く咲きたる椿かな

2016年08月30日 | 仏の心
俳人の上島鬼貫は、禅を学んでいた人です。

ある日、禅の先生から

「おまえの俳諧の心境を言うてみんさい」

と問われました。

鬼貫は


「庭前に白く咲きたる椿かな」

と答えました。

庭に咲いている椿は真実の姿であって、何の飾り気もありません。

椿は真実を語っています。

私たちは兎角、自分の都合のいいように物事を見ていこうとします。

陰謀論や歴史修正主義は自分の気のすむように、真実をねじ曲げて見ようとする愚行です。

八正道では正しく物事をみる正見が基本です。

真実をみるということは禅の心なのです。

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よき人の香は

2016年08月26日 | 法句経
華の香は 風に逆らいては行かず

よき人の香は 風に逆らいつつもいく

(法句経54番)


華の香は風に逆らってにおってくることはないけれど、

人徳のある人は、風向きに関係なくその心の温かさが伝わってくるものだ。


能力はあるけど、心の冷たい人もいれば、

何も言わなくてもその場にいるだけで、暖かいものが伝わってくる人というのはいるものです。

人徳の備わっている人は幸せです。

なぜなら他人を幸せにすることができるからです。




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自分の中の自分はすべてを見ている

2016年08月23日 | 仏の心
至道無難禅師の道歌集より、

身の科(とが)を己(おの)が心に知られては

罪の報いを

いかが逃れん


たとえば、人殺しをしたとしましょう。

完全犯罪のつもりで、絶対に捕まらないと思っていても、

自分の中に罪の意識が芽生えてくることがあるものです。

良心の呵責というものです。

誰も見ていなくても、自分の中の本当の自分は見ているのです。

これが仏心というものです。

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人、皆己己の得たる所一つあるものなり

2016年08月19日 | 仏の心
人、皆己己の得たる所一つあるものなり

沢庵禅師の言葉です。

人には誰でも一つは長所があるということです。

長所と言わずに仏心といってもいいかもしれません。

仏教は誰でも生まれながらにそなわっている仏心を信じる宗教です。

どんな極悪人にも仏心はあるのです。

縁によって悪いことをしているだけなのです。

人の中の仏心を拝むことができれば何も怖いものはありません。

人は仏心に生まれ、仏心に死んでいくのです。

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差別なき平等 平等なき差別

2016年08月16日 | 仏の心
伝教大師最澄の言葉です。

凡そ差別なきの平等は仏法に順せず、悪平等の故なり。また、平等なき差別も仏法に順せず、悪差別の故なり。『法華去惑』

現実の世界で、人間というものはみんな違います。

金子みすゞの「みんなちがっていい」のです。

しかし、個人としての尊厳は平等でなければなりません。

みんな違ったままで尊いのです。

残念ながら現代社会は、画一的なものを求められる代わりに、異質なものは排除される傾向にあります。

最澄の言わんとしているのはまさにこのことなのです。

そのまんまで尊い、それが仏の心です。

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