行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

自然科学と宗教

2022年01月28日 | 仏の心
例えば「護摩をたく」とか「法力」ということは自然科学では説明できないし、自然科学で説明してはいけないことなのだ。なぜなら、自然科学は人間の言語で語られていることだが、「護摩」とか「法力」は仏の言語で語られていることだからだ。自然科学で説明できないものを無理に説明しようとするとグロテスクなニセ科学やオカルトになってしまう。

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ニセ科学と宗教

2022年01月25日 | 仏の心
量子論や大脳生理学が語っていることは仏教で言っていることと似ていることがあるかもしれないが、同じではない。かつて天外伺朗さんの著書が話題になり、感銘を受けた方もあるかもしれないが、読み方には要注意である。

自然科学に思想が入り込むと危険なものやニセ科学になる。自然科学と宗教、哲学の対話は必要だが、一緒にしてはいけない。

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祈りとは

2022年01月21日 | 仏の心
「祈る」の本質は「お願いする」ではなく「お任せする」

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宗教は虚無主義ではない

2022年01月18日 | 仏の心
「人生に正解はない」はただの虚無主義で、正解はあるけど人間にはわからないので神仏にお任せするのが宗教だ。

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学人(がくにん)第一の用心は 先ず我見(がけん)を離はなるべし

2022年01月14日 | 禅の心
学人(がくにん)第一の用心は 先ず我見(がけん)を離はなるべし『正法眼蔵随聞記』

自分に都合のよい情報ばかり集めたり、自分勝手な見解が真理であるように考えるのは学問する者として好ましくない態度である。

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